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第26話 文化祭1日目 中夜祭

 千成は苦戦することもあったが、衿華のサポートもあって最後はある程度の接客を出来るようになっていた。


「お疲れ様!千成……段々上手くできるようになれたね!やっぱり慣れが重要かな?明日も頑張ろ!」


 衿華が千成に、にこやかに笑いかける。


「ぶっちゃけ、衿華のお陰でもあるな……でもこの時間で客は200人くらい捌けたし、明日も今日の通りにやれば上手く行けそうな気がする」


「自信持っていこうね!」


 廊下で話していると、教室から正悠が顔を出した。


「2人とも。そろそろ着替えないと中夜祭に間に合わないよ?」


 千成と衿華は顔を見合せ───すぐに、更衣室へと駆けていった。









 ………………

 …………

 ……










 千成と衿華が制服・クラスTシャツ姿で体育館へ向かうと、既にクラスメイトの大半が集結していた。

 これから中夜祭が始まるのだが、例年オープニングは軽音部の3年が担当することになっている。

 ステージの緞帳は降りていて、その向こうからは調整の音と、ガリ音やノイズが聞こえていた。


「千成、今年はどんな演奏なのかな?」


「ま、毎年皆が盛り上がる有名曲しかやらないから……てか今日のは……どうせあの人達だろうし」


「演奏する人を知ってるの?千成?」


「まあ、一応?演奏は軽音部の3年の中では1番上手いバンドだな。となると……曲は……」


 千成が候補になりそうな曲を挙げようとした、ちょうどその時。

 スポットライトが回り、緞帳が上がっていく。

 ステージ上のライトも激しく点滅し、体育館の空気が一気に熱を帯びた。


「それじゃあ、中夜祭! 

 思いっきり楽しんでいこうぜ!!」


 歓声が湧き上がった。

 ヴォーカルの先輩が叫ぶと、すぐにドラムの4カウントが始まる。

 ギターと細かいドラムから始まったイントロの前半。


「あっ、この曲……!」


 衿華の表情が輝く。


「まさか〝THE ILLEGAL CIGARETTES〟の『狂喜乱舞』をやるとはな。ブチ上がるぞ」


 千成の表情は、衿華以上に輝いていた。


 イントロの前半が一瞬だけ静かになるタイミングで、先輩は声をマイクに乗せる。


「〝Tonight, we paint the chaos!〟」


 その一言を皮切りに、イントロがまた始まっていく。

 細かいギターの音とドラムの重厚なビートが体育館に響き渡り、観客たちのテンションは一気に最高潮へ達した。続いてベースが唸るような低音で暴れ出し、曲を一気に加速させる。


 ヴォーカルの先輩も「Jump!Jump!Jump!Jump!」と場内を煽っていく。

 ノリ方を知っている人々───千成もだが、彼らは曲のリズムに合わせて腕を上げ、ぴょんぴょんと飛んでいた。

 衿華も千成の動きを見様見真似でコピーしながら楽しんでいる。


 この曲は、〝THE ILLEGAL CIGARETTES〟の有名曲で、動画投稿サイトでは1.8億回再生。

 激しくもキャッチーなメロディと、独特のボーカルが特徴で、ライブではモッシュ(密集した状態で身体を押し合ったり、ぶつけ合ったりすること。危険なため禁止されているライブもある)やサークル(観客がBメロで円を作り、サビに入ったら一斉に円の中心に駆け出してモッシュをする行為)が起こるほどの人気ナンバーだった。

 体育館の中も一気に熱気が増し、クラスメイトたちも「うおおお!!」と歓声を上げてジャンプし始める。


 イントロが終わり、Aメロが始まると、暴れるベースは相変わらずだが、ギターはカッティングが増えてくる。


 が、その時。

 だが、千成の耳は、ある違和感を拾っていた。


 ───なんか……ギターがズレてる気がする。カッティングって走りやすいもんな。


 そう思った瞬間、リードギターのフレーズが一瞬もつれた。

 直後、ベースも少しリズムを外し、ドラムが慌てて立て直そうとする。

 それでも、演奏の熱量と観客の盛り上がりがそれをかき消していたため、多くの人は気付いていない。


 千成はヘドバンしながらも、冷静に音を分析してしまう自分に苦笑した。

 こういうとき、素直に楽しめないのが演奏者の悲しい性である。


 曲が進むにつれ、演奏の乱れはさらに目立ってきた。

 特にギターソロで、タッピング(ギターの指板上の弦を指で叩いて音を出す奏法)の後に本来なら勢いよく駆け上がるフレーズのはずが、若干もたついてしまい、リズムが不安定になる。


 ───おいおい、大丈夫かよ……


 そう思った直後だった。

 ラスサビの中盤、ベースも、リズムを引っ張るように強めに弾き始めると、微妙にドラムと噛み合わなくなったのだ。

 ヴォーカルはそのズレに気付いたのか、ドラムを意識しすぎて歌っている、そのような気がする。

 けれども、何とか曲は続いた。


 隣の衿華をちらりと見るも、彼女はミスに全く気付くことなく楽しんでいる。


 ───まぁ、楽しめることが一番大事だよな。


 そう思い直し、千成も改めてノリに身を委ねることにした。

 多少のミスはあれど、先輩たちの熱は本物なのだ。


 演奏が終わると、体育館に響いていた爆音がふっと途切れた。そのすぐ後に、体育館には大きな拍手と歓声が響き渡る。

 飛び跳ねたり、ヘドバンしたりと楽しみきった千成は長い息を吐きながら衿華の方を向いた。


「衿華、楽しんでるか?

 これがオレのやろうとしてる事だ。コピーなんかじゃなくて、オレたちの曲で……盛り上がれるものを作りたい」


「そっか……!凄い楽しかったよ!千成も……明日の1番手、楽しみにしてるから」


 衿華は嬉しそうに微笑んでくれた。

 千成はそんな彼女の横顔を見ながら、改めて思う。

 演奏する側は些細なミスに敏感になりがちだが、結局は伝わるかどうかが重要なのだと。


 そんな2人を他所に、ステージ上のヴォーカルの先輩は、荒い息を整えながらマイクを握った。


「……っしゃあ!!ありがとう、お前ら最高だ!!」


 歓声が再び湧き上がり、会場は熱気に包まれる。


「さて!明日も俺たち軽音部、文化祭のステージを盛り上げていくぜ!皆、遊びに来てくれよな!」


 そう言ってから、ヴォーカルの先輩は少し間を置いて───ニヤリと笑う。


「ねぇ、千成!!あの先輩……千成のこと見て笑ったよ」


 衿華が、興奮して千成の肩を揺すった。

 けれども、千成は「一応、後輩として認知されてるからな」と落ち着いている。


「それに……オレらは2列目だぞ?たまたま見つけただけだろうし」


 素っ気ない千成とは裏腹に、ステージ上でヴォーカルはMCを続けていく。


「……でだ! ぜひとも1番手のバンドに注目してほしい!〝MEBUKI〟って言うんだけど……知ってるか?

 こいつらだけが参加者の中で唯一の2年生バンドなんだけど、ぶっちゃけ、軽音部の中で一番演奏が上手いんだ!」


 その瞬間、ざわっと会場がどよめいた。

 千成は目を丸くし、衿華も驚いたように彼を見る。


「マジで?」「軽音部の中で一番って……!」


 観客たちの間でも囁きが飛び交う。

 ヴォーカルの先輩は満足そうに続けたのだが、千成は喉がカラカラになっていくのを感じていた。


「間違いねぇよ!俺たちも、あいつらの演奏力には敵わねぇって思うくらいだからな!

 明日のトップバッター、シフトない奴は全員見に来い!13時からだぞ!!」


 ───嘘だろ……


 千成は背筋が凍るのを感じた。

 体育館の天井が、ぐるりと傾いたような気さえする。


 ───いや、いやいや……!待てって……!軽音部の中で一番上手い!?


 息が浅くなる。耳鳴りがする。やけに体育館の空気が重く感じる。


 周囲のざわめきは次第に歪んでいき、「すげえ!楽しみ!」「まじか!明日見に行こ!」という声で溢れていた。

 けれども、そんなものは今の千成には全然入ってこない。


 体育館の照明が少し落ち、軽音部のオープニングは終了した。機材が片付けられ、次の演目の準備が始まる。


「ハードル、めちゃくちゃ上がったんだけど……」


 何とか言葉を絞り出した千成の声は、どこか震えていた。


「千成……でもそれだけ、〝MEBUKI〟が凄いってことだよね」


 衿華は無邪気に笑うが、千成の視界はもうグラグラ揺れていた。


「……いや、プレッシャーえぐいって」


 頭を抱えたい気持ちを必死に抑えながら、千成はその場に立ち尽くした。



 その後の中夜祭の記憶は、千成には無かった。

 体育館の熱気、ざわめき、響く音楽、何もかもがぼんやりと遠のいていて、自分がどう過ごしていたのかも思い出せない。

 ただ、気が付けば中夜祭は終わっていて、体育館を出ていく人混みの中に取り残されていた。


 急に、スマホの着信音が鳴る。

 ポケットから取り出し、画面を確認すると、「健明」の名前が光っていた。

 通話ボタンを押した瞬間、健明の落ち着いた声が耳に飛び込んでくる。


『おい、千成、どこにいる?』


 その声を聞いて、彼はようやく自分が現実に引き戻されるのを感じた。


「……オレ、何してた?」


 言いながら、自分の肩にかかる柔らかい重みと、腕を支える手の温もりに気付く。

 見れば、衿華が、千成の肩をそっと支えてくれていた。


「千成、ちょっとフラフラしてたから……立ってるのもしんどそうだったし」


 心配そうな顔の衿華が、じっと千成を覗き込む。


「あ……ありがとう。もう大丈夫だ」


 千成は苦笑しながら、ゆっくりと背筋を伸ばした。

 プレッシャーに押し潰されそうになっていたことを、完全に自覚する。


『お前、明日が嫌すぎて飛ぶんじゃねぇよ』


 電話越しに健明が呆れたように言った。


「悪い。ちょっと頭の中、ショートしてた」


『明日は……出られそうか?』


「問題ない。逃げたいが……楽しみにしてくれてる衿華達を裏切れない」


『……は?』


 電話の向こうで、健明の声が一瞬止まる。


『いや、お前が「楽しみにしてくれてる衿華達」なんて言うとは思わなかったんだけど』


「……うっせぇ」


 千成は思わず顔を逸らした。


『ま、そっか。そんだけ自覚してるなら大丈夫か』


 健明の声が、ほんの少し和らぐ。


『けど、だったらもう一個くらい乗り越えとこうぜ』


「何をだ」


『ステージに上がるぞ』


 唐突にそう言われ、千成は目を見開いた。


「……お前」


『お前も聞いたよな?先輩ら、〝MEBUKI〟のこと、部内で一番上手いとか言ってたろ?』


「……まあ」


『あの先輩らが言うんなら、間違いねぇ。

 でも、そうなりゃ……オレたちは明日、一番上手いってことを証明しなきゃいけないんだろ』


 千成の心臓が、ドクンと跳ねる。


『だから……今見ておこうぜ、明日の景色を』


 言われた瞬間、千成の脳裏にある景色が浮かんだ。

 明日の体育館のステージ。

 緞帳が上がる瞬間。

 自分たちの演奏が始まる、その一秒前の空気。


「……っ」


 再び、胸が締めつけられる。


『今なら、ステージは開いてる。この場所に立って、感覚を掴んでおくのも悪くねぇだろ。楽器は先輩らが貸してくれるらしい。リハーサルと行こうぜ』


 健明の声は軽い調子を保っているのに、不思議と逃げ場を作らない。


「……っし、行くわ」


 千成は息を吐き、通話を切った。


「千成?」


 衿華が、不安そうに彼を見つめている。


「大丈夫。明日は……オレたちがやる番だし」


 小さく笑い、千成は衿華から体を離した。

 その足は、迷いなくステージへと向かっていた。



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先輩たちが演奏していた楽曲の元ネタは〝THE ORAL CIGARETTES〟の『狂乱 Hey Kids!!』です。


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