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第28話 文化祭2日目 体育館ライブ

「〝MEBUKI〟です! 宜しく!」


 康太のフォーカウントから、千成は歌い出し、健明はブリッジミュート(ギターの弦が張ってある部分を右手の側面を軽く触れて、くぐもった音でリズムを刻む奏法)を駆使しながら弾き始める。


 演奏しているのは〝BLUE ENDLINE〟の『もっと灼熱を』という曲のスリーピースアレンジだ。

 直ぐサビに入り、曲の構成はシンプルながらも盛り上がれる曲。そのため、曲を知らなくても楽しめる。


 歌う千成に重ねるように、康太はコーラスの声を入れる。


 衿華は、人の波に揺られながら、千成たちの演奏に釘付けになっていた。


 最初のサビの時点で、すでに観客の熱気は上がっている。曲の勢いに乗せられて身体を揺らす人、リズムに合わせて手を叩く人。まばらだった観客が、じわじわと前へ押し寄せていく。


 千成の声は、空気を切り裂くように真っ直ぐに響いていた。

 シャウトなどのテクニックはない。でも、それ以上に熱があった。康太のコーラスが重なり、さらに曲に厚みが増す。


 サビに突入すると、観客のボルテージは一気に跳ね上がった。


 拳を突き上げる者、飛び跳ねる者。音楽に飲み込まれるように、会場全体が揺れている。健明のギターが刻むリズムは、胸を打つほどに力強い。康太のドラムが、心臓を直に揺らすように響く。


 千成は、まるでその空間を支配するかのように、伸びやかに歌い続けた。

 そして、存在を主張する跳ねるような千成のベースライン。彼の左手は忙しなく動いていた。


「「凄い……」」


 衿華と桃杏珈は息を呑んでいた。

 彼女らが偶然目にしたストリートライブの時とは、様子が全く違っていた。

 観客の熱と、バンドの熱がぶつかり合って、ひとつの大きな渦になっている。

 千成たちが今、ステージの上で自由になっていることがはっきりと伝わってきた。


 1曲目を歌い終え、千成はマイクを握り直す。

 汗が額を伝うのも気にせず、息を整えながら観客を見渡した。


「ありがとう……!! 次からはオレたちのオリジナル曲です……!!」


 言い終えた瞬間、歓声が沸き起こると同時に視界の端でふと視線を感じた。

 最前列───そこで桃杏珈がスマホを構え、動画を撮っているのが見える。その隣、衿華もステージを見つめていた。


 ───衿華。


 目が合った。

 ステージ上と、観客の最前列。

 たった数メートルの距離だったが、世界が違うような感覚を千成は覚える。


 そのとき───


「えっと……ここでお知らせです!!」


 突然、健明がマイクを取ると、観客に向かって声を張った。


「俺たち〝MEBUKI〟は明日の6月20日にもライブがあります! 詳細は俺のインスタに載せてあるので、みんなこの場でスマホ開いて確認しましょう! IDは───」


 健明は、MCの間に上手く観客をアカウントに誘導する。

 それを見て、康太がドラムのスティックをくるりと回しながらニヤリと笑う。


 ───健明、ナイスアドリブ……!!


 千成は健明が喋っている間にペットボトルの水を口に含んでいた。健明も康太も、いつでも演奏を再開できる状態にあった。

 そして───千成は、もう一度最前列を見て深呼吸をする。


「2曲目……『朝焼けを待つ人』」


 千成がそう呟くと、健明のリバーブが掛かったアルペジオが聞こえてくる。

 ギターの音が調度良い所でサステイン(弦振動を持続させる状態)に入ると、康太がカンカンとスティックを鳴らした。


 その瞬間、千成はベースの弦を勢い良く弾く。


 それと同時に───健明のギターの音色が変化し、力強く単音で刻まれた。

 中音域から高音域にかけて、シンプルながらも無駄なく引き締まったフレーズが響く。

 ギターの音が鋭く会場を突き抜け、まるで空気が震えるような感覚が広がった。


 その一音一音に合わせるように、千成のベースが反応する。

 彼は暴れるようにベースを弾き始めていた。

 鋭くピッキングをしながら、リズムに合わせて低音でドラムに負けない迫力のあるフレーズを繰り出す。

 ギターと拮抗するように駆け上がるフレーズ。指板の上を指が跳ねていく。

 その音は、健明の音に合わせてどんどん増幅され、まるで爆発するかのようにビートを支配した。


 健明のギターと千成のベースが康太の完璧なリズムキープによって絡み合い、二人の音が一体化して暴れ出す光景。


 ノッている最前列を見ると千成はブレスを整え、歌い出した。

 康太が作り出す正確なテンポを聴きながら、彼は一音一音丁寧に紡いでいく。


 人間関係の不安。

 壁を作っていた千成だったが、衿華と出会ってから、少しづつクラスメイトに受け入れられ始めている。

 彼女がストリートライブで話し掛けてくれたことを切っ掛けに、クラスの壁がほんの少し揺らぎ始めたこと。


 不安と希望が入り混じるコード進行のこの曲は、まるで夜明け前の空のようだ。まだ暗いけれど、遠くに曙の色が見える情景を、そのまま歌にして届けたい。

 そんな千成の願いが込められている。


 サビへと向かうにつれ、曲の熱量が増していく。

 千成のベースは一瞬静まり、健明のギターが地を這うようなフレーズを奏でる。その音に呼応するように、康太がドラムのスネアを強く打ち鳴らした。


 そして───千成の歌声が空間を突き抜け、サビが解き放たれる。


 康太がハイハットを強く踏み込み、クラッシュシンバルが弾ける。

 健明のギターがパワーコードで加速するように掻き鳴らし、一気に曲は広がりを見せていく。

 そして、千成のベースは───曲の骨格を力強く支えていた。


 ───夜明け前の静けさが、朝焼けの光に塗り替えられていくように。


 観客たちの熱気も、サビとともにピークへと達していく。身体を揺らす者、拳を突き上げる者、思い思いの形で音楽に身を委ねていた。

 その波の中で、衿華はただ一点、千成の姿を目で追い続けていた。


 千成の顔には、これまで見たことのないような感情が浮かんでいた。

 歌うことに必死なのに、どこか嬉しそうで、衿華は小さく唇を震わせる。


「……カッコいい」


 小さく零した声は、歓声と音の渦に掻き消されていた。


 隣の桃杏珈のスマホの画面には、躍動する千成たちの姿が映っている。

 ライブの熱量がそのまま伝わるような映像。それを見ながら、彼女は無意識に画面を揺らしてリズムを取っていた。


 サビの最後、千成は高く伸びるメロディを歌い上げる。


「───!」


 声が空間を満たし、康太のドラムが鋭く一打を刻むと、一瞬の静寂が生まれた。


 息を呑む観客たち。

 熱に浮かされたように揺れる空気。


 けれども次の瞬間、千成の指が再び弦を弾いた。


 暴れるようなベースラインがうねりを上げ、健明のギターがそれに呼応するように力強く鳴り響く。康太のドラムが爆ぜるようにビートを刻み、ステージ上の音は再び熱を帯びて加速していった。


 曲はまだ終わらない。


 千成は汗を拭う暇もなく、マイクに食らいつくように歌い続けた。

 額に滲む汗も、喉の渇きも、今はどうでもよかった。ただ、自分の声を、この場所に刻みつけるように放つだけ。


 健明のギターは、ロングトーンを響かせる。康太のスネアドラムとバスドラムは鋭く空間を切り裂いていく。


 会場は、まだ夜が明ける直前のような、昂る熱気に包まれていた。

 拳を突き上げる者、声を上げる者、全身で音を感じ取る者。皆が彼らの曲を知らないのに、音の渦に飲み込まれていた。

 この瞬間、この会場にいる全員が、確かに〝MEBUKI〟の音楽の中にいた。


 やがて最後の一音が鳴り響き、余韻が静かに消えていく。

 千成は、拍手喝采を浴びる中で荒い息を整えながらマイクをしっかりと握りしめた。


「次で、最後の曲です」


 千成の言葉に、名残惜しそうな歓声が上がる。


「聴いてください。『月夜を越えて』」


 ジャキジャキと鳴り響く、健明のカッティング。

 千成はもう一度、深く息を吸い込む。


 ───夜明けを待つ人が居るけれど、まだ夜は明けない。けれど、この音楽がある限り、きっと朝は来る。


 そんな願いを込めながら、千成の左手は次の音へと向かっていった。

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