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第29話 文化祭2日目 余韻

 最後の一音が鳴り終わると、会場は熱狂と余韻に包まれたまま、一瞬の静寂が訪れた。

 そして───次の瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が湧き上がる。


 千成は息を切らしながら、ステージに立ち尽くしていた。鼓動はまだ速い。

 この熱量。この景色。

 それを噛みしめるように、彼はゆっくりとマイクを握り直した。


「ありがとう……! これから続く3年生のバンドも引き続き楽しんでください!」


 そう告げると、さらに大きな歓声が上がる。

 この一体感。この場所に、自分たちの音が確かに刻まれたという実感が、彼の身体を満たしていた。


 メンバー全員で軽く会釈をし、ステージ袖へと向かう。


 舞台袖に入った瞬間、千成はどっと溢れる脱力感に襲われた。汗が背中を伝い、息が切れている。

 健明が「やり切ったな!」と爽快な笑顔を見せ、康太は「本当に!盛り上がったな!」と上機嫌だ。


「よっしゃ、片付けるぞー!」


 健明が言いながら、キャリーカートにギターケースとエフェクターボードを手際よく縛り付ける。康太はスティックしか持ち物がないため、機材が多い健明を手伝っていた。

 千成も自分のベースをケースに入れ、エフェクターボードを片手に持つ。


 彼らが体育館のアリーナへと続く通路を抜けると、そこには既にクラスメイトや文化祭Dチームのメンバーが待っていた。


「「「お疲れっ!!!」」」


 体育館のざわめきの中、Dチームの面々が一斉に駆け寄ってくる。


「いやー、めっちゃ盛り上がってたな!」

「最高だったよ!」


 正悠や玄杜が笑顔で迎え、凛咲も「凄かった」と控えめながらも嬉しそうに言った。

 燈哉が「お疲れ」と短く言いながら3人分のコーラを差し出してくる。


「花崎くん……ありがと」


 千成はまだ心臓の高鳴りが収まらないまま、それを受け取ると、健明、康太と一緒に一気に喉を潤した。


「まさかこんなに盛り上がるとはね……凄いよ」


 正悠が感心したように言うと、健明がすかさず「だろ?」と得意げに笑う。


 衿華は千成を見つめていた。

 千成はベースを肩に担ぎ直しながら、衿華と目を合わせる。


「……どうだった?」


「言うまでもなく、最高だったよ」


 衿華が笑うと、千成は「……そっか」と短く返し、少しだけ肩の力を抜いた。

 汗を拭いながら、まだ少し息が上がったまま頷く。


「楽しんでくれて……ありがとう」


 その横で、桃杏珈は少しそわそわしながら視線を動かしていた。

 そして意を決したように、ちらっと康太の方を見る。

 康太はアーティストのロゴが入ったタオルを肩に掛け、端っこで額の汗を拭っていた。


「あ、あの……!」


 勢いのある声。

 気付いた千成が視線を向けると、彼女は緊張しているのかびくっと肩を震わせた。

 呼ばれた康太が「ん?」と桃杏珈を見る。


「えっと、その……! 2年B組の木村桃杏珈って言います! ドラム、凄かったです!!」


 言いきった瞬間、彼女の顔は朱に染まっていた。

 康太は少し驚いたように目を瞬かせたあと、ニッと笑う。


「お、マジ? ありがと!」


 目が合い、桃杏珈は慌てて手をぶんぶん振った。


「本当に! 最初から最後まで、すっごく格好よかったし……その、最後の方とか……!!」


 桃杏珈はどこが凄かったのか具体的に言おうとしたが、言葉が詰まって上手く言えずにいた。

 けれども康太は「おお、最後のとこね!」と軽くスティックをペン回しのようにくるくると回しながら、気さくに笑う。


「……!」


 その何気ない仕草に、桃杏珈は一瞬息を呑んだ。


「うん! 本当に! 凄かった!!」


 結局、同じことしか言えず、彼女は恥ずかしさに耐えきれなくなったのか顔を逸らした。

 そんな彼女の隣で千成と衿華は目を合わせ───クスッと微笑む。


 ───木村さん……人見知りなのか?


 康太相手に挙動不審になる姿を見て、千成は彼女に親近感を抱いていた。

 そして、空になったコーラの缶を見ながら、ぼんやりとクラスメイトを見る。


 こうして話しかけられることが、文化祭以前にあっただろうか。

 クラスの中では、成績上位なこともあってある程度認知はされていただろう。

 けれど、こんなふうに自然と囲まれることなど千成にはなかった。


「文化祭ライブ、大成功じゃん」


「間違いない。お前ら、本当にすごかったよ」


 正悠と玄杜が顔を見合わせて頷き合う。

 燈哉も「音楽って、こんなに人を惹きつけるんだな」とぼそりと呟いていた。


 千成は、缶を軽く振った。


 彼らを、友達と呼んでいいんだろうか。

 ふと、そんな疑問がよぎる。

 今まで「友達」と言える存在は、バンドのメンバーや衿華以外居なかった。

 正悠や玄杜、燈哉たちは、あくまでクラスメイト、文化祭のチームメイトであって、それ以上の関係だとは考えたことがなかった。


 でも。

「友達かどうか」なんて、考える必要はあるのだろうか。話しかけられて、労い合って。それだけで十分じゃないだろうか。


「……ありがとな」


 千成は、心の中の迷いを振り払うように、静かにそう言った。


「お?」

「珍しく素直じゃん」


 正悠がニヤリとし、玄杜も目を細める。

 燈哉は無言だったが、その表情はどこか柔らかい。


「さて……そろそろシフトの準備だな。忙しくなるぞ」


 正悠の言葉に、千成はハッとした。

 気付けば、和風カフェのシフト開始時間が迫っている。

 健明と康太に視線を向けると、彼らは笑っていた。


「千成……カフェの方も気合入れろよ? そっちの方が心配なんだわ」


「うっせぇ……解ってる」


 千成がむすっと答えると、今度は康太が肩を竦めた。


「入口担当だろ?にっこり笑って『いらっしゃいませ』だ。無愛想なままでやってたら、客足遠のくぞ。ま、不安だから見に行ってやるから」


「…………康太、テメェは俺の母ちゃんか」


 その言葉に、千成は渋い顔をする。

 だが、康太と健明の軽口には、揶揄い半分ながらもどこか気遣うような空気があった。


「まあ、適当に頑張れ」


「健闘を祈るぜ、店員さん」


 千成は、溜息混じりに「はいはい」と手を振る。


 軽口を交わしながらも、どこか安心する2人。

 自分を送り出してくれる仲間がいることが、少しだけ誇らしく思えた。


「……んじゃ、行ってくる」


 最後に短くそう言い残し、教室へと戻って行った。









 ………………

 …………

 ……






 カフェは賑わいを見せていた。

 客の出入りが激しく、入り口付近には何組かの列ができている。


「いらっしゃいませ!」


 衿華が明るく声をかける隣で、千成も小さく息をつく。

 昨日は、客の顔を見るのすらぎこちなかった。

 だが今日は少しだけ、目を合わせることが出来るようになっていた。


「いらっしゃいませ……」


 ぎこちないながらも、確りと声を出せた。

 視線を逸らさず、客の顔を見る。

 その度に緊張するが、昨日よりはずっとマシだった。


「千成……目線上がってきたね」


 ふと、衿華が小声で言った。

 千成は一瞬驚いて彼女を見たが、衿華は嬉しそうに微笑んでいる。


「……まあな」


 千成は短くそう返しながら、次の客へと視線を向けた。

 少しずつ、慣れていけばいい。

 そんなことを思いながら彼は、ちょうど次の客を迎えようと顔を上げた。


「いらっしゃいませ───」


 しかし、その顔を見た瞬間、言葉が詰まった。


「おい……嘘だろ!?」


 千成は驚いて、目を見開いた。

 そこに立っていたのは、健明と康太だったのだ。


「よっ、店員さん。オススメは?」


 健明はスマホのカメラを千成に向けながら、彼の姿をパシャリと撮った。


「おい、勝手に撮るんじゃねぇ」


「いやいや、千成の『いらっしゃいませ』なんてレアだからな。記念に一枚」


「要らねぇだろそんなもん……!」


 千成が顔を顰めて健明を睨むと、隣で康太がニヤリと笑った。


「ガチでやってんじゃん。凄いな、千成が真面目にクラスのシフトやるなんてな」


「そりゃそうだろ。オレもこんな経験は初めてだ」


「でも、意外とちゃんとしてる」


 康太は感心したように千成の肩を叩きながら、カフェの内装を見回す。


「和風カフェ……なんか落ち着く雰囲気でいいじゃん。お前のクラス、こういうの得意そうなやつ多いの?」


「それが……オレは入口担当だから、あんまり中のことは知らないけど……あそこの川瀬くんが接客指導をしてたんだ」


「なるほど……『川瀬』は……あそこか……」


 康太がしげしげと玄杜を眺めていると、千成が「お前らいい加減入れよ。後ろは何人も待ってるんだから」と睨む。


 健明と康太は「へいへい」と言いながらようやく列を進み始める。


「川瀬くん、こいつら席に案内してくれないかな」


「了解。いらっしゃいませ! お席にご案内しますね!」


 玄杜が無駄のない動きで2人を店内へと誘導した。


「メニュー決まったら再度お呼びください」


「あいよ。何頼もうかな」


 健明がメニューを眺めながら、のんびりと席に着く。康太は腕を組みながら「和風スイーツってあんまり食ったことないんだよな」と呟いていた。


 千成は2人が中へ入っていくのを見届け、ふぅと息をつく。


 ───まったく、冷やかしか? 本当に来やがって……


 次の客を迎えるために顔を上げた瞬間、千成は思わずまた固まった。


「お邪魔しますっ!」


 そこにいたのは、桃杏珈たち女子グループだった。


「えっ、えっと……」


 千成が若干戸惑うと、桃杏珈はぱっと千成の顔を見た後、すぐに店内へ目を向ける。


「……!」


 その視線の先には、ちょうど席に着いたばかりの康太の姿があった。

 一瞬だけ動きを止めた桃杏珈だったが、すぐに友達に促されるようにして前へ進む。


「い、いらっしゃいませ……5名様ですね」


 千成はそんな桃杏珈の反応を見て、思わず口元を引き締めた。


 ───木村さん、完全に康太を意識してんじゃねぇか。


 心の中でぼやきつつ、たまたま近くにいた凛咲に「今度はこっちを頼む」と視線を送る。

 机は、ちょうど今1組分空いたところ。

 彼女は「解ったよ」と頷き、手際よく桃杏珈たちを案内し始めた。


 女子グループ店内へと進んでいくと、ちょうど桃杏珈の視界の端に康太の姿が入る。

 彼女は思わずそわそわと視線を彷徨わせる。康太のほうはまったく気付いていない様子で、健明とメニューを見ながら話していたが、それでも彼女の意識は否応なくそちらへと引き寄せられている。


「桃杏珈……なんかソワソワしてるよね。初々しいって感じで」


「そうだな……なんか、凄く解りやすいな」


 千成は、わざと視線を逸らしながらそう答え、仕事へと意識を戻して次々と客を迎える。


「い、いらっしゃいませ……」


 千成は少し緊張しながらも、しっかりと目を合わせて声を掛けることが出来た。

 昨日までは誰かと目を見て話すことすら難しかった自分が、こうして堂々と接客できている。


 ───オレ、成長してるのか?


 そう感じる瞬間があったからこそ、彼は少しだけ胸を張ることができた。


 正悠が近くにいたので、すぐに彼が手際よく案内を始めてくれる。

 教室の空きが出来る間、千成はふと、桃杏珈たちの反応に気を取られていた。彼女たちが康太を意識している様子を見て、背中を押してみたい気持ちと、自分はどうなんだろうかという思いが渦を巻く。


 ───康太、春が来るのかな。オレは……


 何故か、千成の脳裏に衿華の顔が浮かぶ。


 今までの千成なら、そんなふうに気を取られながら仕事をすればミスだらけになっていただろう。

 しかし、今回は違った。自分がどんな状況にいるのか、そして周囲の反応にどう振り回されないかを、少しずつ理解している自分に気づいていたのだ。


 衿華が横からさりげなく視線を送ってきた。微笑んでいる彼女の顔に、千成は力が抜けるような安心感を覚える。


 ───大丈夫。


 心の中で呟く。昨日までは自分のことで手一杯だったが、今は周りのことにも気を配れるようになっている。気付けば、視線を合わせることに躊躇いがない自分がいた。


「お客さま、いらっしゃいませ───」


 その声は、もうぎこちなさや緊張を感じさせることなく、自然に出てきた。

 言葉が自分の中からスムーズに流れ出していた。


「衿華の……お陰か……」


 ボソリと呟き、衿華は「うん?」と振り返る。


「何でもない。さぁ……最後の時間までやり切るぞ」


「だねっ!千成、出来るようになったじゃん」


 小さく呟くと、再び気持ちが軽くなった。少しずつ、彼は確実に前に進んでいる。

 自分の中で、少しの自信を持てるようになったことが何よりの変化だった。










 ………………

 …………

 ……







 各クラスの企画や出し物が終わり、いよいよ体育館で結果発表の時間がやってきた。


「それでは、次に発表するのは食品部門の最優秀賞です!」


 司会者がマイクを握りしめると、会場が一瞬静まり返った。緊張感が漂う中、千成は少し前に屈み込んで手を組みながら、少しでも自分のクラスが選ばれることを祈るような気持ちで耳を澄ませる。


「食品部門賞、栄えある受賞者は……」


 その瞬間、会場に響いた名前は。


「2年A組、和風カフェ!」


 その名前が発表されると、会場からは歓声と拍手が巻き起こる。千成は驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべ───


「おおっ、マジか……!」

「やったな!」


 燈哉や正悠が、興奮気味に声を上げる。

 千成も今にも心臓が飛び出しそうなほど驚いていたが、その反面、嬉しさもあふれてきた。

 結果発表の瞬間、次々に記憶が蘇って心が熱くなる。


「えっ……オレたち……マジで賞をとったのか」


 千成はその言葉が口をついて出た。


「クラスの代表者は至急、壇上へ上がってください!」


 アナウンスが流れる。


 アナウンスが響くと、会場の興奮が一層高まった。クラスメイトたちは、拍手を送ると同時に、一斉に衿華に視線を向ける。


「衿華、行ってきなよ!」


 凛咲が明るく声をかけ、他のメンバーも次々に声を掛ける。衿華は少し戸惑いながらも、クラスの期待を背負って立ち上がった。


「え、えっと……私、壇上に上がっていいの?」


 衿華が少し恥ずかしそうに周りを見渡すと、みんなが頷いて促す。千成も、照れくさそうに肩をすくめながら、衿華に向かって軽く頷いた。


「衿華が一番頑張ってたからな。行ってこいよ」


 その言葉に、衿華は微笑み、少しだけ緊張した面持ちで壇上へと足を踏み出した。


 壇上に上がると、司会者が温かく手を振りながら、トロフィーを手渡す。


「おめでとうございます。2年A組和風カフェ、食品部門賞です!」


 拍手と歓声が湧き上がり、衿華はマイクを握りしめる。


「えっと……ありがとうございます! 本当に、皆で一緒に頑張った結果です!」


 壇上から、衿華は少し照れくさそうに言葉を発し、会場に向かって深々とお辞儀をする。そこには、彼女の努力とみんなの協力が詰まっていた。


 千成は下からその様子を見守りながら、少しだけ胸が熱くなる。


 ───オレも、少しは役に立てたんだよな。


 そんな思いが胸に広がり、千成は無意識に握りしめていた手を少し緩める。次第に彼の中にあった緊張がほぐれ、今まで以上にクラスの一員であることに誇りを感じられるようになっていた。


 壇上に立った衿華も、皆の支えを感じながら微笑んでいるように見えた。

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