文化祭の片付けが終わった教室。
衿華は教卓の前に立ち、皆を労っていた。
教室の中は、文化祭の名残を残しつつも、ほとんど片付けが終わっていた。机や椅子は元の配置に戻され、飾り付けもすべて撤去されている。
そんな中、衿華は教卓の前に立ち、クラスの皆を見渡した。
「みんな、本当にお疲れ様! 準備から本番、片付けまで大変だったけど、食品部門賞を取れてよかったよね!」
彼女の言葉に、クラスメイトたちから「お疲れー!」「マジで頑張ったよな」と笑い声が上がる。
「いやぁ、みんなお疲れ!」
が突然、ガラッと扉が開いて担任の先生が教室に入ってきた。そして、両手にぶら下げているコンビニの袋を掲げる。
「お前らが頑張ったご褒美にアイス買ってきたぞ!」
「えっ、マジで!?」
「やったー!」
教室が一気に盛り上がる。先生はにこやかに袋を机の上に置くと、「適当に取ってけよ」と促した。
「ちょっと待って、ちゃんと配りますから!」
衿華が慌てて先生の前に出て、アイスの種類を確認しながら配り始める。
「はい、バニラ好きな人は教卓! チョコ派は私の席ね!」
袋を二つに分けて手際よく配っていく衿華に、千成は思わず感心する。
「三谷さん、こういうの仕切るのやっぱり上手いんだね」
正悠は千成にそう話し掛け、千成も「だな」と返す。
「千成は味どれにするの?」
「悩みどころだな……溶けちゃうから早く食べたいけど」
いつの間にか、千成は正悠と目を合わせることが出来ていた。
「そういう堀田くんは、何にするの?」
問いかけると、彼は「そろそろ千成だって下の名前で呼んでくれてもいいんじゃないかな? 苗字は距離感感じるしさ」と笑う。
千成は少しだけ考えたが、口を開く。
「じゃあ……正悠。何選ぶんだ?」
「うんうん、千成はそういう口調の方が似合ってるよ。俺は……強いて言うならチョコかな」
正悠がチョコアイスを手に取ったのを見て、千成は「なら、オレも」と同じものを取った。
ちょうどそのとき、衿華が配り終えたらしく、「全員行き渡った?」と教室を見渡す。クラスメイトたちはそれぞれアイスを片手にしながら、和気あいあいと話していた。
「よし、じゃあ改めて───」
衿華が手を叩き、教卓の前に立つ。
「みんな、本当にお疲れ様! 最高の文化祭だったね!」
その言葉に「おう!」「またこのメンバーでやりたい!」「来年はクラス替えあるだろうが!」「マジでいい思い出!」と、口々に楽しそうな声が上がる。
千成はアイスを一口食べながら、その様子を静かに眺めていた。
───文化祭が始まる前は、こんなふうにクラスの輪の中にオレがいるなんて思ってもみなかった。
ふと、正悠が「千成、なんか表情変わったな」と笑いかけてきた。
「オレ……変わったのか?」
「うん、たぶん。なんか、前より柔らかくなった気がする」
「気のせいだろ。寧ろ……ぶっきらぼうで尖ってるんじゃ」
そう言いながら、恥ずかしくなって千成は目を逸らす。
「口調はそうかもだけど……表情が柔らかくなったんだよ」
衿華がクラスをまとめている姿や、正悠と軽口を叩いている自分、そして周りにいる仲間たちが自然と脳裏に浮かぶ。
───これまで気付かなかったけど、オレは少しずつ変わってきてるのかもしれない。
アイスの冷たさが、じんわりと温かく感じる気がした。
………………
…………
……
文化祭の余韻が残る夜の街は、昼間の熱気をわずかに引きずりながらも、心地よい風が吹いていた。
場所はユーカリが丘。千成たちがストリートライブを行った場所である。
千成はバンドメンバーと共に、駅へ向かう道を歩いていた。
「いやー、打ち上げ楽しかったな!」
健明が満足げに腕を伸ばす。
「文化祭もだけど、普通に飯が美味かった」
康太もクラスTシャツの襟元を軽く引っ張りながら、腹をさする。
「お前ら結局、食ってばっかじゃねぇか」
千成が呆れたように言うと、健明が笑いながら肩をすくめた。
「まあまあ。文化祭成功したんだし、こういうのもアリだろ? それに───」
「明日は本命のライブだしな」
康太が腕を組みながら言うと、千成も小さく頷いた。
「文化祭の感触は悪くなかったし、それよりもライブハウスは音響が整ってるんだから大丈夫だとは思うけど」
「……まあ、あそこではもう4回目のライブだし……俺たちがやらかしても千成が歌えばなんとかなるっしょ!」
「お前がそこ適当でどうすんだよ」
千成は健明に鋭くツッコむ。
そんな会話を交わしながら彼らは駅に到着したのだが、健明と康太の2人はトイレに入ってしまった。
そんな時に。
「え……?」
千成は、改札に入ってくる見覚えのある姿を見つけて思わず足を止めた。
そこにあったのは、衿華と桃杏珈が談笑しながら歩いていた光景。
どうやら、彼女たちも別の店でお疲れ様会をしていたらしい。
「……奇遇だな」
千成がぽつりと呟くと、ちょうど2人も彼に気付いて近くに来た。
「千成?」
「神室くん?」
目を丸くして、足を止める。
「お前らも打ち上げだったよな?」
「うん。そうだよ!まさか千成もこの近辺で食べてたとはね」
「だな。まさか近くだったなんて」
千成がそう言うと、桃杏珈は彼が引っ張っていたキャリーカートを見る。
「そう言えば……神室くんたち、明日はライブハウスで演奏するんだよね」
「まあ、文化祭終わったばっかでヘトヘトだけど、2日連続で頑張るつもりだ」
「頑張ってね……!! 明日の千成、またかっこいいんだろうな」
頬を染めた衿華が言うと、千成は一瞬目を瞬かせる。
「……別に、そういうつもりでやってるわけじゃねぇし」
千成は、「モテたい」という理由で演奏しているわけではない。寧ろ彼は、「自分の音楽を聴いて欲しい」というマインドでステージに立っている。
「でも、やっぱり……かっこよかったよ」
衿華が微笑みながら言うと、千成はなんとなく気恥ずかしくなり、耳まで熱くなって視線を逸らした。
「神室くんも衿華も……自分たちの世界に浸りすぎ」
ツッコまれながら衿華とそんなやりとりをしていると、トイレを終えた康太が軽く手を上げる。
「おぉ、木村さんと三谷さんじゃん!お疲れ!」
その瞬間、桃杏珈が一瞬驚いたように固まった。
「……っ!」
そして、いつの間にかそそくさと衿華の後ろに隠れてしまう。
千成はその様子を見て、思わず口の端を上げた。
「何……?」
千成が肩をすくめると、桃杏珈はますます不機嫌そうに眉を寄せる。
「木村さん、俺なんか変なことした?」
康太が首をかしげる。桃杏珈は衿華の身体から顔だけ出していた。言葉に詰まり、目を泳がせる。
「べ、別に……何もしてないし!」
けれど、明らかに挙動不審だ。顔もほんのり赤い。
「いや、どう見ても怪しいよな」
トイレから出てきた健明がクスクス笑いながら康太の肩を叩く。
「え……?」
康太は本気で解らないらしく、軽く頭を掻いた。
───いや、それはお前が悪いわけじゃなくて……
千成は心の中でそう思ったが、口には出さなかった。
「じゃあ、オレたちはこっちだから」
千成は軽く手を上げて、下り方面のホームへ向かおうとする健明たちを見送る。
「明日は14時に集合だからな?遅刻するなよ?」
「大丈夫だって」
「ま、お前は遅刻したことないしな。冗談だよ」
「おい」
千成が健明を睨むと、康太も「明日のライブ、頑張ろうな!」と応じた。
「神室くんもお疲れさま!頑張ってね」
桃杏珈はチラチラ康太を横目で見つつ、千成に小さく手を振る。
「ありがとう。楽しみにしててね」
千成が答えると、桃杏珈は少し緊張した様子で頷いた。
………………
…………
……
千成たちと反対側、下りホームのドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出す。
桃杏珈は康太の隣に立ったまま、ちらりと外の千成と衿華を見ていた。
「……っ!」
千成たちの視線に気付いた桃杏珈は慌てて、ホームの自販機に隠れるように立ち位置をずらす。
「……なんか、桃杏珈……可愛いね」
衿華が言う。
「そうか? まあ、アレだろ……」
千成は曖昧に返しつつ、ちらりと去っていく電車を見送った。
「……アレってなに?」
衿華が問うが、それと同時に上りの電車がやって来たために千成の耳には届かない。
「私たちも乗ろっか」
衿華が促し、千成は無言で頷いた。
車内はそれほど混んでおらず、二人は並んで座る。
千成はキャリーカートを足元に置き、背もたれに軽く体を預けた。
「……流石に疲れたな」
「うん、でも楽しかったよね」
衿華は柔らかく笑う。
千成は何気なく窓の外を見た。夜の住宅街の灯りが流れていく。
クラスの団結、そしてストリートライブ……風景に合わせて、彼の脳裏には様々な思い出が蘇っていた。
「……変な感じだな」
千成は、不意に呟いた。
「え?」
「オレ、こんなふうにクラスの人達と楽しかったって思える日が来るなんて、想像してなかった」
その言葉を受け、衿華は頬を緩ませて千成を見た。
「でも、楽しかったんでしょ?」
「あぁ……衿華のお陰だよ。着付けの時に……正悠たちに前髪を弄られて、しょーもないことで困ってたオレを救ってくれた。アレがあったから……打ち解けたんだと思う」
「……ふふ、よかった」
衿華が微笑むのを見て、千成は少しだけ目を細めた。
電車の揺れが心地よかった。