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第31話 傍で支えたい

「……ねえ、千成」


 不意に衿華が口を開いた。


「ん?」


「桃杏珈って、白銀くんのこと、ちょっと気にしてるよね」


 千成は少しだけ目を細める。


「……まあな。ストリートライブのときから、なんか気にしてるっぽかったけど」


「やっぱり、そう思う?」


 衿華は楽しげに笑った。


「今日も、白銀くんの近くにいるとき、ちょっとそわそわしてたし」


「……そういうとこよく見てんだな」


「まあね。桃杏珈のこと、ずっと見てきたし……女の子は恋バナが好きだからね」


 そう言って笑った衿華の横顔があまりにも可愛らしくて、千成は「ふーん」と曖昧に返し、窓の外に目を向ける。


「……ねえ、私たちってどんな関係なんだろう?」


 衿華は首を傾げていた。


「……っ!」


 千成は思わず肩を強張らせた。


 ───今のは、どういう意味の問いかけなんだ?


 気軽に聞き流すべきか、それとも深く考えるべきなのか。

 電車の静かな空間の中で、千成は妙に落ち着かない気持ちになる。


「そりゃ、友達……いや……もっと関係はあるはず……だろ」


 どうにか口にした答えは、思った以上に不自然で、ぎこちなかった。


「そうだね。私もそう思う。少なくとも『ただの友達』じゃないね」


 千成は衿華の方を向く。

 彼女は真っ直ぐな瞳で千成を見つめ、少しだけ表情を和らげた。

 その暖かい視線に気付き、千成は振り返る。


「千成はね、男の人の中でいちばん安心できるから」


 心臓が跳ねた。不意打ちだった。


「……っ、な……」


 急に熱くなる顔を隠そうと、千成は視線を逸らそうとする。

 けれども衿華は、そんな彼の手を遮り、少しだけ微笑んだ。


「千成、顔……赤いね」


 衿華はそのまま千成の顔をじっと見つめてきた。

 彼は逃げ場を失い、仕方なく衿華を見たのだが───彼女も頬を真っ赤に染めていた。


「お前も赤くなってるじゃねぇか」


 何とか絞り出した言葉は、それだった。


「真っ赤だね、お互い」


 ゆっくりと、衿華の唇が動く。

 それがやけに艶めかしく、千成の心臓は早鐘を打った。


「何で……こんなことするんだよ」


 震える声で千成が問うと、衿華は軽く肩をすくめて答えた。


「うーん、ただ、ちょっと気になっただけ。千成がどんな風に思ってるのか、ね」


 その言葉に、千成は心の中で一瞬、何かが弾けるような感覚を覚える。


「俺が、どう思ってるか……」


 その問いに、何か言葉を返そうとしたけれど、上手く言葉が出てこない。どこかで、言葉にしてしまうのが怖いような気がして胸が少し痛んだ。


 そんな千成を見つめた衿華は、少し真剣な表情で言った。


「千成、私はね……」


 少しの沈黙が流れる。空気が少し重く感じられた。


「私は、千成のことが大事だって思ってる。今まで出会ってきた男子の中で……一番に」


 その言葉に千成は、何も言えずにただ見つめ返すことしかできなかった。


「千成のこと、いつも考えてるって言ったら嘘になるけど……でも、私は今……千成に夢中だから」


 彼女の頬は、火傷しそうになるほど赤かった。

 自分もそれと同じような表情をしていることを、千成は自覚していた。


 衿華は続ける。


「だから、もし千成が……私に対して何かを感じてくれているのなら……いつでも私は待ってるよ。無理に答えを出さなくてもいい。でも、クリスマスまでには答えをもらえたら嬉しいな」


 衿華の言葉は、優しさと決意が込められていた。


 千成はその言葉に動揺しつつも、少し心の中で整理がつくのを感じた。

 自分の気持ちがどうであるのか、まだ判然としない。それでも、衿華の言葉を無視するわけにはいかないかった。


「……クリスマスまでか」


 千成は小さく呟いた。


「うん。あんまり待たせないでね」


 衿華の笑顔に、千成はほんの少しだけ安心した気持ちを覚えた。それでも、心のどこかで不安が渦巻いている。


 ───答えを……出さないと。


 千成はぼんやりと窓の外の流れる景色を目で追いながら、ふと、隣に座る衿華をちらりと見る。


 彼女は、いつものように落ち着いた表情で、楽しげに窓の外を見ていた。柔らかい髪が頬にかかり、電車の振動に合わせて微かに揺れている。


 千成は視線を戻し、胸の奥がざわつくのを感じた。

 自分は、まず間違いなく衿華に好意を抱いている。

 彼女と話すと、気持ちが軽くなる。ふとした瞬間に目が合えば、胸が小さく跳ねる。衿華が笑えば、つられて自分も笑いたくなる。

 けれども、それが「恋」なのかは解らない。


 今まで、そんなことを考えたことがなかったから。


 千成は中学の頃───母親に、そして、友達だと思っていた人に裏切られた。

 それがあったからこそ、人との距離の取り方には、ずっと慎重になっていた。

 その状況の彼にも手を差し伸べてくれた健明や康太しか信じることはできなかった。


 それなのに、衿華のことは……不思議と信用できる気がする。

 彼女が傍にいると、少しづつ自分の殻を破ってみたくなる。変わりたい、と思う。


 けれど、それが恋だとは断言出来なかった。


 ───今はまだ、解らない。でも、クリスマスまでに少しずつ答えを探していけばいいのかもしれない。


 そんなことを考えていると、不意に衿華が口を開いた。


「あとね、千成」


 衿華はゆっくりと口を開いた。

 千成は小さく肩を震わせ、彼女の方へ視線を向ける。


「ん?」


「バンド……千成はどこまで行きたいの?」


 その言葉に、千成は驚いて目を見開く。

 まさか、衿華からそんなことを聞かれるとは思っていなかった。

 彼女は真剣な眼差しで千成を見つめていた。ただの興味ではない。何かを確かめるような、そんな目だった。


「そういや、オレ……バンドの目標を衿華に言ってなかったな」


 思い出したかのように、彼は呟いた。


「オレたちの目標は、日本のロックを変えること……」


「……ロックを変える?」


「誘ってくれた時に康太が言ってたんだけどな。オレらの音楽で、日本のロックシーンに新しい風を吹かせるって。まあ、大それた目標だろ?」


 千成は少し自嘲気味に笑う。


「そうだね……凄いし、とても難しい目標だと思う」


「だろ?だからそのために、バンドを大きくしなきゃいけない」


 千成はスマホを取り出し、画面をスクロールする。

 やがて、あるページを開くと、衿華が見やすいようにスマホを傾けた。

「JAPAN ROCK FESTIVAL」と書かれたページに、オープニングアクトの募集要項が記されている。


「……これって?」


「プロが集まる、国内最大級のロックフェスの一つだ。今年のオープニングアクトの募集要項が載ってる」


 衿華は画面を食い入るように見つめた。


「千成たち……これが目標なの?」


「ああ。オレたちの高校時代の目標は、このフェスの前座枠を勝ち取ることだ。既に一次選考の映像審査の結果待ちだ」


「前座枠……」


「簡単に言えば、プロのバンドが出る前の時間帯に演奏できるってことだ。もちろん、普通の高校生バンドがそう簡単に選ばれるわけじゃない。けど、ここで演奏すれば、一気に知名度が上がる。ファンも増えるし、音楽関係者の目にも留まるかもしれない」


「凄い……千成は、しっかり目標を立ててたんだ」


「有名になるために、オレらは高校在学中に……絶対にここに立つ。今年か、来年のどっちかで、必ず掴み取る」


 千成の声には、迷いがなかった。

 衿華は驚きと尊敬が入り混じった表情で千成を見つめる。


「千成……話してる時の顔、凄く輝いてた。

 バンドの目標、凄く大切にしてるんだね」


「当然だろ。オレらは本気で音楽をやってるからな」


 そう言った千成の横顔は、いつになく真剣だった。


 衿華は千成のスマホの画面をじっと見つめたまま、唇を噛んだ。

 彼の言葉を反芻するように、ゆっくりと息を吸い込む。

 やがて静かに目を伏せると、何かを決意したように拳を握りしめた。


 千成はその変化に気付き、少し眉を顰める。


「……何か考えてる?」


 衿華はゆっくりと顔を上げ、千成を真っ直ぐに見つめた。

 そして、少しだけ口元を引き締めたあと、ふっと笑う。


「私……千成たちが有名になるために、精一杯手伝いたい。さっき応援するって言っちゃったけど、撤回させて欲しいな。千成を……そして3人を傍で支えたい───それが私の正直な気持ちなんだ」


「え?」


 千成は目を丸くした。


「もちろん、私が全てをするわけじゃないけど、千成たちがもっとたくさんの人に知ってもらえるように、何か手伝えることがあればって思って」


 衿華の真剣な眼差しに、千成は少しだけ戸惑うように首を傾げる。


「お前、嬉しいけど……わざわざなんでそんなことを……?」


「私は千成たちのバンドのことを本気で気に入ってるし、少しでも役立てるなら全力でやりたい。それだけ、あの空気に惚れ込んでるから」


 不意に、千成の目頭が熱くなった。

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