ー▲月〇日午前11時ー
最終審査タイムリミットまで残り7時間となった。
今日やらなきゃいけないことは、たった1つだけ。
菜々子に会って、自分の気持ちを伝えること。
私は小さく頷いて、スマホを握った。
連絡先一覧から、『バーニング・ビースト』の番号を選んで通話ボタンを押す。
プルルル……プルルル……
『はいはーい。バーニング・ビーストだよ~。もしかしてレンタルスタジオの予約かな?』
電話の向こうから聞こえる少しダミ声混じりの中年男性の声に、思わず肩の力が抜けた。
声の主は、バーニング・ビースト店長の猫山田さん(多分50代)だった。
「店長さん、あのスーパーヒーロー&ヒロインラヴァーズの来夢です。あの、スタジオの予約をお願いしたいんですけど」
『おぉ!来夢ちゃんかい!相変わらずウルトラマンや仮面ライダーの歌を演奏してんのかい?しばらく顔見せねぇから、バンドやめちまったのかと……って、いやいや、そりゃ違うな。声の感じがさ、なんつーか、戦の前の武士みたいだな』
いつも冗談みたいなテンションだけど、根っこのところで、人の心をよく見ている人だと思う。
この店長さんとは、昔から不思議とウマが合った。
『で?いつの予約だい?時間は?』
「えっと、今日の13時から、出来れば目一杯借りたいんですけど、何時まで借りられますか?」
菜々子が来てくれるにしても、何時に来るか分からないので、時間の許す限りスタジオを借りたかった。
『13時からかぁ。あー、ちょっと待ってな』
電話の向こうでカレンダーをめくるような音がして、しばらく沈黙が続く。
『18時までなら空いてるよ。それでいいかい?ってか、18時までってことは、けっこう長丁場だな?』
「ありがとうございます!それじゃ18時までお願いします!すみません、無理言って。でも、どうしても〝ここ〟じゃなきゃダメなんです」
思わず言葉に力がこもった。
店長は少しの間、何も言わなかった。
『来夢ちゃんと出会ったのは半年前だけど、そういう〝言い方〟する時は、いつも本気の時だ。訳は聞かねえよ』
ガサッと紙の音がして、続けて店長が言った。
『あーもう、しゃーねぇ。今日は休憩取るヒマねぇけど貸すよ。その代わり18時までだぜ?』
「はいっ! 本当に、ありがとうございます!!」
『礼なんていいよ。それより』
「え?」
『来夢ちゃんのギターをタップリと鳴らしてやんな。俺のスタジオが寂しがってからよ』
その一言に、胸がギュッと締めつけられる。
「はい!いっぱい鳴らします!じゃあ、後で」
『あいよ。気ぃつけてな』
通話が切れる。
私はスマホを見つめながら、小さく「よし」と呟いた。
ここからが、再スタートだ!
身支度を整え、ギターケースを背負い玄関のドアを開けたその時。
「ちょいと待つのじゃ!ライ様ひとりで行くのか?ミラも同行するのじゃ!」
振り向くと、青色のワンピースを着てリュックを背負い、どこにしまっていたのか、ピンク色の魔法少女みたいなステッキの玩具を片手に持って出かける気満々のミラが立っていた。
「でも、あんたが来ても、つまんないわよ?」
「ダメじゃ!これはバンドの危機じゃ!友情の物語じゃ!ライ様の好きな特撮で言うなら最終回なのじゃ!」
「勝手に最終回にしないでよー!縁起でもないじゃないの」
私は、ミラにツッコミを入れる。
「すまんすまん。ともかく曾孫の誇りにかけてお供するのじゃ!!」
「分かったわ。それじゃあ、お願いね」
一方、カン・テイシーは玄関で座禅を組んでいた。
「自分が行くと、菜々子様が〝ただのヤクザ〟と思って怯えるでございましょう。従って、自分は留守番を致します。しかし、任務は果たしますぞ」
私達に合掌して言葉を続ける。
「貴女方が‶ベガタブ〟と呼んでいるベガ星の端末を通して、最終審査はリモートで実施させて頂きます。審査結果は、お帰りになられてから、お伝えいたします。バーニング・ビーストにWi-Fiはございますか?」
「多分あったわよ。ところで、ベガタブって本当は何て名前なの?アンタなら知ってるんじゃないの?」
「もちろん知っておりますが、本当に良いのですか?」
私の質問に対して、カン・テイシーは、何故か躊躇う様子を見せる。
「別に正式名を言うだけでしょ?何が問題なのよ」
「承知いたしました。ベガタブの正式名称は、地球の日本語に翻訳すると9000万文字以上になります。それでは言いますぞ……」
「うわー!止めて!止めて!それを聞いてるだけでタイムリミットになっちゃうじゃない!ベガタブは、ベガタブのまんまで良いわよ」
私は、両耳を押さえてカン・テイシーの言葉を遮った。
「それじゃ出かけてくるから!留守番お願いね」
「はい!来夢姫様のご武運をお祈りしております」
カン・テイシーの声を背に、私とミラはアパートを出る。
……その後、私たちは、サウンドスタジオ「バーニング・ビースト」へ到着していた。
古びた赤い鉄扉の表面には、長年貼られたままのバンドフライヤーが何重にも重なり、その端は風にめくれている。金属製の看板には、かすれた金文字で『バーニング・ビースト』と書かれてる。
中に入ると、くぐもった空気と、埃っぽい中に微かに混じったシールドコードの焦げた匂いがする。
黒い防音マットの床には、ガムテープの跡が残り、壁にはところどころ剥がれた吸音スポンジ。天井から下がる蛍光灯はチカチカと明滅し、換気扇はゴウンゴウンと気まぐれに回っていた。
「ここがライ様たちが初めて練習したっていうスタジオかぁ~」
ミラは、物珍しそうに店内をグルグルと見渡す。
「うん。そう、私たちの始まりの場所なの」
店長の猫山田さんが、受付から出てきた。いつものバンダナにワークシャツ姿で、手にはモップを持っていた。
「おぉ~来夢ちゃん!元気だったかい?うん?そっちの小さい女の子は誰だい?お姉ちゃんはいるって話は聞いた事あるけど、妹なんていたっけ?」
店長は、ミラの姿を見て首を傾げながら、私に尋ねる。
「あー、あははは!実は、お姉ちゃんの子供をしばらく預かる事になっちゃったんですよー」
私は、
「初めまして店長様。味蕾ミラなのじゃ。ライ様がお世話になっておりますのだ」
ミラは、店長に深々と頭を下げて挨拶する。
「おー。チビちゃんなのに、随分しっかりしてんだなぁ。ささ、奥の第一スタジオを準備してあるぜ。ギターアンプは、いつものマーシャルだ。たまにガリるけど、鳴るには鳴る」
店長の言葉に、思わず笑みがこぼれた。
「ありがとう!店長さん」
私は、お礼を言って第一スタジオに入る。
スタジオ内の赤茶けたカーペットには、ところどころ焦げ跡のような黒ずみが点々と残っていた。ガムテープで無理やり補修されたミキサーのツマミ、アンプのロゴは剥げかけてる。
小さな窓からは、昼下がりの光が射し込んで、埃が浮かび上がる。室内全体に漂う、汗と湿った木材の匂い。まるで、時の流れから取り残されたような空間。
けれど、その古びた空間が、私にとっては居心地が良かった。
……約束の13時を過ぎたが、菜々子は来ない。
来るまで待つって言ったんだもん!このくらいは覚悟の上よ!
私は待っている間、菜々子に聞かせる演奏のセッティングやリハを繰り返した。
ミラは、それを聞いて色々とアドバイスをくれたりしていた。
……気がつくと時計の針は、17時30分を過ぎていた。
「やっぱり、来ないのかな」
タイムリミットが迫る中、私はギターの弦をポロポロと鳴らしながら、ポツリと呟く。
ー17時45分。
あと、15分しかない。もうダメなのかな?
諦めかけたその時、スタジオ入口のドアが〝カラン〟と乾いた音を立てて開いた。
私とミラは、振り返る。
そこに立っていたのは、菜々子だった。
そして、その隣には
え?どうして皇が、ここに?
久々に会った菜々子の服装は、淡い水色のフリルのブラウスに、ピンクのチュールスカート。足元は白のスニーカー。全体的にふわふわした雰囲気で、背が低いため、いつもの事ながら中学生と間違えられてもおかしくないほどだった。
対して、皇は、黒の細身のカーゴパンツに、胸元が少し開いた黄色Tシャツ、上にはカーキのMA-1風ジャケットを着てた。
しっかりした体格と、前髪を上げたヘアスタイルのためか、いつも通りのボーイッシュな雰囲気だが、意外と胸元が強調される着こなしに、女同士だけど思わず目のやり場に困る。
2人とも、服装はいつもと大して変わりないのに、何だか別人のように見える。
菜々子は視線を伏せていた。顔は見えなかったけれど、その足は確かに、私の方へと向けられていた。
迷いながらも、ここに来てくれたんだと、なんとなく分かった。
「本当は来る気なかった。でも皇ちゃんに相談したら、めちゃくちゃ強引に連れてこられて……」
菜々子が、そう言った次の瞬間だった。
〝バシィィンッ!!〟
「いっ……!?」
鋭い音が、スタジオの空気を裂いた。
皇が無言で、私の頬に平手打ちを炸裂させたからだ。
私は、その痛みに思わず右の頬を押さえた。
乾いた衝撃が、ピリピリと皮膚に残っている。
見上げると、そこには怒りの眼差しをこちらに向ける皇がいた。
眉間には深くシワが寄り、いつもの飄々とした雰囲気は影も形もない。
「菜々子の事で困ったら、アタシに話せって前に言ったよな?」
皇は、私の胸倉を乱暴に掴みながら言う。
その声は低くて、怒っているのに、どこか震えていた。
「全部、自分で抱え込んで、勝手に暴走してさ!挙げ句に、菜々子の事までアタシに黙ってやがって!何でアンタは、いつもそうなんだよ!アタシは、お前にとって何なんだよ!?
その声には怒気だけじゃなかった。
悔しさと、悲しさと、心配が、全部入り混じってるのが、私にも伝わる。
「スメ様!ライ様をいじめないで!」
「ミラは黙ってな!これはアタシと来夢の話だ!」
涙目になったミラが間に入ろうとするが、皇は構わず一喝する。
そして、再び私を睨む。
「どうなんだ来夢?アタシは仲間じゃないから、除け者にしたのかよ!?答え次第じゃ、もう一発殴るぞ!!」
「ご、ごめん!」
私は思わず頭を下げた。何だか自分の声が妙に小さく聞こえた。
「本当は、皇に菜々子の事を相談しようて何度も思った。でも、できなかった。いや、しなかったんだ。頼っちゃ‶ダメ〟だと思ったから」
私は拳をぎゅっと握りしめながら、唇を噛んだ。
「だって、そもそも全部、私のせいだったから。あの日、勝手に対バン決闘を受けて、菜々子を怒らせて、バンドの空気まで壊しちゃって。だから、自分だけで、どうにかしなきゃいけないって勝手に思い込んでたの」
胸倉から手を離した皇は黙ったまま、じっと私を見つめている。
ミラは、今にも泣きそうな顔をしながら、私と皇を交互に見ている。
菜々子は、俯いて黙ったままだった。
「でも、自分だけで背負うなんて違ってたんだよね?友達を信じるって事から、私は逃げてたんだ。皇だって、菜々子とバンドの事を私と同じくらい大事に思ってたのに」
涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえながら、私は再び皇に頭を下げる。
しばらく沈黙が続いたが、皇は小さく鼻を鳴らす。
「顔上げなよ来夢」
その言葉を聞いて皇を見ると、いつものニヤケ顔になっていた。
「バッカ。アンタ、酔っぱらったら暴れるクセに、変な所で真面目過ぎんだよ!でも、今ちゃんと自分の言葉で間違いを言えた事は、ちょっとだけ見直したわ」
皇は、ぐっと私の頭を引き寄せてコツンと額をぶつけた。
「もう1人で背負うな。アタシらは〝
「うん!うん!本当に、ごめん皇」
「ったく。アンタらしいっちゃ、らしいけどさ」
その声には、表情同様に、もう怒りは残っていなかった。
気が抜けたように肩を落としながら、それでもどこか、優しさを含んだ声で続けた。
「菜々子とバンドの事も、ちゃんと自分で向き合うつもりなら、アタシは何も言わない。背中押してやるよ」
皇はフッと笑って、ドラムセットのそばにあるパイプ椅子を広げて腰を下ろす。
「ミラ、さっきは悪かったな。隣に座れよ。もう怖くないからさ♪な♡」
そう言って、皇はパイプ椅子をもう一つ広げ、ミラに手招きする。
「うん、分かったのだ」
ミラは、皇の隣の椅子にチョコンと座る。
皇は腕を組み、私を見つめながらポツリと呟く。
「ここに菜々子を呼んだって事は、アンタの音楽聴かせてやりたいんだろ?アタシもここで聴いてやるよ。全部、ちゃんと伝えてやりな」
皇の言葉は、どこまでも優しく、温かかった。
その時、今まで黙っていた菜々子が、私の目の前まで来た。
「皇ちゃん。ありがとう。……ナナも、来夢ちゃんに話したいことがあるの」
菜々子の声は、かすかに震えていた。
「ナナね、最初から言ってたでしょ?楽しく町内祭りのミュージックフェスに出たかっただけなの」
その声には、怒りと寂しさ、そしてほんの少しの震えが混じっていた。
「それなのに、来夢ちゃんが勝手にオーヴァーちゃん達とバンド解散を賭けた対バン決闘を受けちゃって、楽しさなんか全然無い〝戦うためのバンド大会〟にしちゃったんだよ?」
今の言葉が、尖ったナイフのように私の心に突き刺さる。
菜々子は視線を逸らし、ぎゅっと両手を握りしめた。
「そういうのナナは凄く怖かったし、嫌だったの。来夢ちゃんは強いから、前に突っ走っていっちゃう。皇ちゃんも強いから、それに付いていける。でもナナは2人みたいに考えられなかった。ただ3人で〝楽しい思い出〟を作りたかっただけなのに……」
その肩が、かすかに震えていた。
「あの日、ファミレスを飛び出した後(来夢ちゃんは、ナナたちの事を駒くらいにしか考えてないんだな)って、思っちゃったの。ナナの事をバンドメンバーだとは思ってても〝友達〟じゃないんだなって」
言葉が途切れ、しばらくして菜々子はふっと息をついた。
「ナナは、まだ来夢ちゃんを許したわけじゃない。でも、皇ちゃんが『来夢はお前を大事に思ってる』って言ってくれて。ナナ、自分の目で確かめたくなったの。その言葉が、本当なのかって」
そう言って菜々子は、私の顔を見つめる。その瞳の奥には、まだ怒りの感情があった。
胸の奥で何かが軋む。でも、決して目は逸らさない。
だって、菜々子の痛みも悲しみも全部、自分が引き起こしたものだから。
私はギターをアンプに繋ぎ、ストラップをかけて弦に指をそっと添えた。
その仕草を、菜々子も皇も、そしてミラまでもが息を呑んで見つめている。
「私、自分の言葉じゃ上手く伝えられない事が、いっぱいあるんだ」
ギターを構えたまま、私は菜々子に言った。声が震えてるのが自分でも分かる。
「私はバカだから、あの日、菜々子がいなくなってから、間違ってた事に気が付いたよ。本当にごめんね。許してくれなくても構わない。でも、私の中にも、どうしても伝えたい気持ちがある。だから、それを聞いて欲しいから演奏させて」
私は、深く深呼吸をして、静かにコードを鳴らした。
それは、同時に最終審査の始まりも意味している。
でも、今の私には、そんな事はどうでもよかった。
菜々子に自分の音を聴いてもらえたら、それだけで充分だから!