指が、微かに震えていた。
私は今、初めてバンド練習した「バーニング・ビースト」のスタジオの真ん中に立っている。
向かいには、菜々子がいる。
少しだけ離れた所に、皇とミラもいる。
でも今は、誰も見ない。見てる余裕なんかない。
ただ、音で伝えるしかないって、そう思った。
「菜々子、聞いて。これが、今の私の全部だから!!」
そう言って、私は演奏を始める。
曲目は、『宇宙刑事シャリバン』のエンディングテーマ『強さは愛だ』だった。
また深呼吸ひとつして、小さく弦を鳴らす。Gコード。低く深く、ゆっくりとしたリズムで『強さは愛だ』のイントロを弾き始める。
思ったより指がうまく動かなくて、音が少しだけ濁った。けど、それも今の私の音だ。隠さない、全部。
思い出す。ギターを買って間もない頃、1人部屋の中で、この曲を何度も練習したこと。全然思い通りに出来ないから、泣きながら演奏してたんだ。
「――ッッ♪」
歌ってる途中で、胸の奥が熱くなった。震える声をこらえながら、私はひとつひとつの言葉を、まるで手紙を書くみたいに丁寧に歌い続けた。
ふと、菜々子を見ると、口元をギュッと引き結び、ジッと私を見つめてる。
左手がCコードへ滑らかに動いた。音が、少しだけ柔らかさと哀しみを含んだ物へと変わる。右手に持ったピックで、慎重に弦をなぞる。
私は、今まで逃げてた。菜々子と皇を信じる事や、本音でぶつかる事から!
2人とも私なんかには勿体無いくらい、素敵で良い友達じゃないか!!
どうして、今まで、こんな大事な友達に素直になれなかったんだよ!?
だけど、今、やっと、やっと私の声とギターで、2人に向き合ってる。
手汗が凄くて、ストロークが滑った。
けど、気にしない。今だけは、気にしちゃダメだ。 声が、さっきよりも震えてるのが分かる。でも、それでもこの演奏だけは絶対に止めない!
だって、歌い切る事が、私に出来る唯一の償いなのだから!!
……今までで一番、心の底から歌えた気がした。 最後のコードをゆっくりと弾いて、演奏を終えた。
私は、弦にそっと指を添えたまま、しばらく動けなかった。
音は、静かに消えていく。
スタジオに残ったのは、深い沈黙だった。
空気が静か過ぎて、自分の心臓の音だけが大きく響いてる気がした。
誰も動かなかったし、言葉を発さなかった。
まるで、演奏終了と同時に、この世界から〝音〟が消えたような錯覚すら感じる。
私は、怖くて俯いたまま顔を上げられなかった。
「来夢ちゃん。どうして、『強さは愛だ』を選んだの?」
沈黙を破るかのように、菜々子の声が聞こえた。
私は、小さな声で言う。
「……覚えてたんだよ。忘れるわけないじゃない!」
自分でも、こんな風に言うつもりじゃなかったのに、口からポロっとこぼれた。
「初めて会った時さ。菜々子言ってたじゃない?この『強さは愛だ』が大好きって、目を輝かせて話してくれてたのを私は忘れてないよ」
あの時の菜々子の顔は、今でもハッキリと思い出せる。
まっすぐで、嬉しそうで、私に対して心を開いてくれたような、そんな瞳をしてた。
「菜々子が大好きな曲を教えてくれた時の笑顔が、とても嬉しくて、きっと、ずっと心の中に残ってたんだと思う」
声が震えて、喉が詰まりそうになる。
「だから、他の曲なんて思いつかなかったし、私の菜々子への気持ちは、この曲を好きだと話してくれた時と変わらないって伝えたかったんだ」
私は、やっと顔を上げて、菜々子を見た。
「来夢ちゃん、あの時のナナの言葉覚えててくれてたのね」
そう言って、菜々子はポロポロと涙をこぼし始めた。
私はギターをそっと床に置いて、菜々子の目の前に静かに立った。
菜々子は、涙を拭こうともせずに、まっすぐ私を見た。涙で溢れている瞳は、どこか覚悟を決めたような色もしていた。
「ナナね、2人にずっと話せなかったことがあるんだ」
そう言って、菜々子は息をゆっくり吸い込んだ。
空気が変わる。スタジオの照明が少しだけ暗くなったように感じた。
「中学の時、毎日、死にたいって思ってたんだ」
その言葉は、あまりにも静かで、重かった。
私は言葉を失って、ただ菜々子の顔を見つめることしかできなかった。
「イジメが凄かったの。理由なんか特に無かった。周りの同級生より、ナナが小さくて幼い顔をしてただけで標的にされた。机の中にゴミ入れられたり、下駄箱にはネズミやゴキブリの死骸入ってたり、帰り道に呼び出されて、カバン水路に捨てられたり、清掃用具のロッカーに閉じ込められた時は、狭くて、暗くて、怖くて、オシッコまで漏らしたのに出してもらえなかった……。先生も見て見ぬふりだし、両親にも迷惑かけるの怖くて言えなかった。毎日、どうやって自殺しようか、それしか考えてなかった」
言葉が痛かった。しかし、それを話している菜々子の顔は、すごく静かだった。
中学時代にイジメられていたというのは、前に少しだけ聞いた事はあった。
でも、その時の菜々子は笑ってたし詳しく話さなかったから、ここまで壮絶なイジメだとは思わなかった。
「ある日、本気で、学校帰りに線路に飛び込もうって決めたけど……やっぱり出来なくて、家に帰ったら、お兄ちゃんが居間で『宇宙刑事シャリバン』を観てたの」
菜々子の目が、少し遠くを見つめる。
「その時、初めて聴いたのが『宇宙刑事シャリバン』のエンディングだった。『強さは愛だ』って、すごい直球な曲名でさ。最初は(なんだこれ?)って笑いそうになったんだけど」
言葉に詰まりながら、菜々子は話を続けた。
「〝
私は、手の平をギュッと握った。菜々子が、そんな辛い過去を抱えてたなんて!?全然、知らなかった……。
「それからナナは、毎朝『強さは愛だ』を聴いて、学校行ってた。イジメっ子達に、ボロボロにされても、倒されても、その度に〝前よりも強くなって立ち上がってやる〟って、自分に言い聞かせたの。そして、少しずつやり返すようにしたら、イジメも無くなったんだ」
菜々子の顔から、ポタリと、また涙が落ちる。
「来夢ちゃんがこの曲を演奏した時、ナナ心臓止まるかと思ったよ。だって、この曲が好きな理由は、ナナだけの秘密だったから」
菜々子は、膝の上で指を握りしめたまま、言葉を絞り出した。
「ナナ、本当は運営委員の人に連絡して、ミュージックフェスを辞退しようと何度も思ったよ。でも、どうしても出来なかった。だって、その度に来夢ちゃんと皇ちゃんの笑顔が頭の中に浮かんできたから!」
そこまで話すと、菜々子は大粒の涙をポロポロと流しながら言葉を続ける。
「でも、でもね……。ナナは、やっぱり来夢ちゃんと皇ちゃんの3人で、ミュージックフェス出たい!もしも、対バン決闘で負けて解散する事になってもいい!だから、後1回だけで良いから一緒に演奏しようよぉぉー!」
「な、菜々子、もしかして私の事を許して……くれるの?」
私は、恐る恐る菜々子に尋ねる。
「ナナの何気ない言葉を覚えててくれてて、その曲をナナのために、全力で演奏してくれたじゃない。そんなの嬉しいに決まってるじゃん!許さないわけないでしょ!もう!最後まで言わせないで!来夢ちゃんのバカ!!アハハ!」
泣きながら、菜々子は笑った。そして、目を赤くしながら、私をジッと見た。
「来夢ちゃん、許してあげるの今回だけだからね!次、同じ事やったら、何があっても絶対に許さないんだから!分かった!?」
涙と鼻水まみれの笑顔なのに、それが物凄く綺麗で、可愛くて、尊くて、私も気づいたら泣いていた。
私は両腕を伸ばして、ギュッと菜々子を抱きしめた。
菜々子も、肩を震わせながら、私の背中に腕を回した。
「菜々子、ほんとに、ごめん!許してくれて、ありがとう!!もう、絶対に自分勝手な事はしないから!!」
「いくら昔に聞いたからって、普通、仲直りの曲で『宇宙刑事シャリバン』のエンディングを演奏する?でも、来夢ちゃんのそういう所、嫌いになれない……ううん、大好きだから!ナナもひどい事を言って、ごめんね!」
その時、後ろから勢いよく誰かが抱きついてきた。
「来夢ぅぅぅう〜! 菜々子ぉぉぉお〜!お前ら、アタシを泣かせんじゃねーよ! よかったぁぁぁああ〜〜!」
それは、涙で顔をグシャグシャにした皇だった。
「うっ、ううっ!ぐすっ!ライ様は本当に頑張ったのじゃ!ナナ様と仲直り出来てよかったのじゃー!!うええええええん!」
更に、ミラまで号泣しながら飛びついてきて、私たちはスタジオの床にドタドタと倒れ込んで、4人で抱き合って泣いていた。
ああ!私たちのバンドは、戻ってこられたんだ!
バラバラになりかけた絆が、音楽と心で、再び繋がる事が出来たんだ!特撮音楽の神様、本当にありがとうございます!
……やがて、誰からともなく涙が静かに止まり、ふと時計を見ると、すでに18時10分を過ぎていた。
「やばっ!とっくに借りられる時間を過ぎてるじゃん!」
私は、思わず叫んだ。
‶パチパチパチ!!〟
突然、拍手の音が聞こえたので、慌てて振り返る。
いつの間にか、店長の猫山田さんが、拍手しながら入り口に立っていた。
「来夢ちゃん。悪いけど、途中から見させてもらったぜ。何があったか知らないけど、菜々子ちゃんと仲直り出来て良かったじゃねーか。‶雨降って地固まる〟ってヤツだな」
「て、店長!オーバーしちゃってごめんなさい!すぐ出ていきますから!」
私は、約束時間を過ぎてた事を店長に謝る。
「あれ~?俺、今日は18時15分まで貸すって言ってなかったっけ?」
「えっ?いや、18時までって言ってましたよ?」
私が聞き返すと、店長は片目を細めてニヤリと笑った。
「そうだっけか?年を取ると物忘れが激しくてさ。どちらにしろ、次の客は掃除が長引いてるから、少し待ってくれって言ってあるからよ」
「店長!ありがとうございます!」
私は、店長の粋な計らいが嬉しくて、頭を下げてお礼を言う。
「気にすんな。それよりもネットで調べたぜ。来夢ちゃん達、今度の町内祭りのミュージックフェスに出るんだろ?頑張れよ!いつでも練習に来いよ!」
私は、店長に対して笑顔でサムズアップした。
……バーニング・ビーストを出ると、街はすっかりオレンジ色に染まっていた。そして、どこか優しい風が、頬を撫でる。
見上げた空は、ほんのり紫が混ざり始めていて、まるで、私たちの物語の‶第2幕〟が、静かに始まる合図みたいに思えた。
「もうすぐ夜ね」
私はポツリと呟いて、ギターケースを背中に背負い直す。重たいはずのその感触が、今はなんだか軽く感じた。
私の隣では、菜々子が鼻をすすりながら笑っていた。皇は腕を組んで仁王立ちしていて、ミラは店長からもらったキャンディーをしゃぶりながら、空を見ていた。
たった数十分前まで、私たちの友情は崩壊寸前だった。
けれど、今は違う!心の奥で繋がってる絆を実感している。
このメンバーで、また音楽が出来る。そう思うだけで、胸が熱くなった。
だけど——。
私の胸の奥には、もう一つ別の熱も灯っていた。それは、確かな‶闘志〟だった。
約1ヶ月後に、開催される町内祭りのミュージックフェス。
今までみたいに、ただ特撮ソングをなぞるだけの演奏してるウチらじゃ、きっと勝てない!!
それでも、絶対に負けたくない!!
このままじゃ終わらない。いや、終わらせない!‶スーパーヒーロー&ヒロインラヴァーズ〟のロックを必ず見せてやる!!
私は空に向かって、そっと拳を握る。
あの夕焼けの向こうに、バンドの未来がある。
その未来は、明るいものか?それとも、暗いものか?
今の私には全く分からない。
だけど、私には泣いて、ぶつかって、それでもまた一緒に立ち上がれる最高の
だから、もう、恐れないし、迷わない。
やるしかない。この絆を武器に変えて、全力でぶつかるんだ!!