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第4話 彼岸(慶)

「あ~……カエルに目を持っていかれてる……」


 布団袋をハッチバックから車に突っ込むついでに、自分の上半身も突っ込んで、白木がぼやいた。


「何それ?」

「春はカエルが目を借りる、っていうてな……要は目が開かねえってことよ」


 もごもごと答える声にかぶせて、


「春眠暁を覚えず、じゃねえの?」


 そう言いながら小山が白木を引きずり出して、空いたスペースに段ボール箱を押し込んだ。

 白木と比べると小山はずいぶんとひょろひょろなのに、意外に力が強いようで、ひょいって感じだったよね、今。

 抵抗してなかったせいかもしれないけどさ。


 三月末の連休。

 今日はいい天気で引っ越し日和。

 そう。

 俺はやっと寮を出ることができるのだ。

 こじんまりした核家族用のアパートが、これからの俺の住処になる。

 ミキと俺の、愛の巣、なのだ。

 ホントはミキと一緒に選びたかった。

 だけど、受験後の彼は色々と多忙で、それはできなかったんだ。

 不動産屋デートは、次の機会に持ち越しってやつだね。

 今回は俺が不動産屋に行って内覧して、その時の様子をメールで送ってっていう、やり取りで決めた。

 それはそれでとても楽しかった。

 目が回るくらいに間取り図を見た。

 足を運んで周辺の様子も見たし、大学からの所要時間も計った。

 どっちの部屋をどっちが使うかを決めるのに、ちょっとした言い合いにもなったけど、それがまた楽しかった。

 だって、念願の同棲生活のための苦労だからね。


 そして今日のこの日を迎えた。

 のだけど、待ちに待った日だというのに、俺は怪我のせいで戦力外通告されていて、忙しいのは口だけ状態。

 実質の荷づくりや荷運びは、友人の白木と小山に頼ることになってしまった。

 原因は不慮の事故。

 ちょっとした弟とのもめごと。

 勢い余って腕にひびが入ってしまい、現在簡易ギブスで固定中なのだ。


「どっちも意味は同じよ」


 うーーーん、と伸びをしてから白木は別の荷物を取りに行く。


「半分寝ての荷物運びは危ないぞ、気をつけろよ」

「春氷を渉る真似はせんよ」


 ひらひらと手を振って寮の中に行く白木を、小走りで小山が追って行った。

 ホントに友はありがたいね。

 たとえこの報酬に学食のランチ一週間分を持っていかれようとも、それくらいは安いものだと思うんだ。

 寮の部屋は広くないし、もともと最短で出ようと思っていたから、持ち込んだ荷物はほとんど増えていない。

 布団と着替えと勉強道具。

 家具って家具はプラボックスくらいで、それも次のやつに使ってもらえばいいやと置いていくことにしている。

 それでもそれなりに運ばなくてはいけないものはあって、ワンボックスカーをレンタルして白木と小山に助っ人を頼んだわけだ。

 元々は自分一人でもいいかなって思っていたんだけどね。

 わいわいと言い合う声がして、俺は建物の方に目を向けた。

 戻ってきたふたりは荷物を抱えていて、何かの呪文のような言葉を言い合っている。


「三寒四温」

「一場の春夢」

「ん~、と、暑さ寒さも彼岸まで」

「春蘭秋菊ともに廃すべからず」

「……じゃ、春に三日の晴れはなし」

「春の晩飯後三里」

「ええ? あ、春宵一刻値千金」


 春に関する慣用句、かな?

 よく耳にするのは小山が言っている方で、白木が口にしているのはなんとなく聞いたことがあるようなないような、っていう感じのもの。


「春風の中に坐するが如し」

「いや、待って、お前どんだけ出してくんの? それホントに慣用句? おれのこと騙してねえ?」

「こんなことで君を騙してどうすんの? 大体、これくらいの慣用句なら、小学生あたりで覚えさせられたろ?」

「そうだっけ?」


 すらすらと慣用句を唱える白木に、小山が首をかしげる。

 うーん、中学入試対策で覚えさせられた記憶はあるけど、中身までは覚えてないよな。

 この場合、白木がすごくよく覚えているんだと思う。


「花咲く春にあうとか、けい蛄春秋を知らずとか、一人娘と春の日はくれそうでくれぬとかさ~」


 車に持ってきた荷物を積み込みながら、白木がまた追加の慣用句を口にする。

 一人娘と春の日はくれそうでくれぬ。

 ぐさってきた。

 あとひとつ、残された大きなハードル。

 一人息子も同じで、くれそうでくれない。

 だから引っ越しの荷物を運び終えたら、一回地元へ帰るのだ。

 もう本格的に新生活の準備に入っているこの段階で、未だにミキの親御さんが納得をしていない。

 ミキは優しいから、その状態で家を出るのは心苦しいんだと言う。

 お父さんの方はね、一応ご理解いただけているみたいだけど、お母さんの方が。

 そのことにミキが参ってしまって、カミングアウトするかとか進路変更するかとか、別れた方がいいのかとか、もうそれはそれは可哀想なくらいに、ぐるぐるに考え込んでしまっているのだ。

 だけどそれはこれからの二人のためには、どうしても超えなきゃいけないもの。

 そして、今回越えちゃえばもう逆に大きな利点になるはずなので、問題なし。


 春植えざれば秋実らず、っていうからね。


「羽鳥、荷物これで全部だったよ」

「お、ありがと。じゃあ、行こうか。小山、運転よろしく」

「ん~」


 運転席に小山。

 俺はナビなので、助手席。

 荷物の間に、体を小さく丸めて白木が潜り込んだ。

 窮屈でごめんよ。


「部屋に荷物いれたら、こっち戻る?」


 シートベルトを締めて、座席の調節をしながら小山が言った。


「うん、退寮手続き済ませちゃって、一旦地元行く」

「忙しいなあ……」

「そういうもんでしょ」

「春だからね」

「そうそう、春だから」


 そうそう。

 手伝ってくれてる二人だって、四月になる前には退寮するのだ。

 いろいろと。

 心機一転で忙しなくなって、やることがいっぱいで大変な気がするけど、すごくワクワクする。

 だって、春だからね。


 ミキ、待っててね。

 急いで会いに行くから。

 そうだな、手土産に牡丹餅でも持っていこうか。

 新しい部屋の近くに、美味しそうな和菓子屋さんがあったんだよ。

 どんなところか少しでも情報があったら、親御さんも安心できるんじゃないかと思うんだ。



 走る車の窓を開けたら、ひんやりした風に混じってほのかに甘い香りがした。






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