「あ、そうだ。香椎くん、今日は事務所に寄るからね」
坂井が思い出したように言った。
社長から、お呼びがかかったらしいのだ。
「BL営業のことかな?」
「風斗くんと嘉内マネージャーも呼ばれてるらしいから。たぶんそうだと思うよ」
デート写真が拡散され、かなり話題になっている。もしかして、社長から褒めてもらえるとか?
だとしたら、ファンの子のおかげだ。あのとき、彼女たちに遭遇して良かった。
……間が悪いかも、とか思ってゴメンな~~!
心の中で手を合わせながら、有凪はファンに詫びた。
社長室に入ると、すでに風斗と嘉内がいた。
「お疲れさまです」
挨拶をしながら、有凪も坂井と一緒に部屋の中に入る。
「待ってたのよ~~!」
どうやら、社長の雪村はご機嫌らしい。
「さぁ、座って」
彼女に促され、有凪と坂井はソファに座った。
「デート写真、盛り上がってるわねーー!」
社長は満面の笑みだ。
「おかげさまで!」
有凪は意気揚々と返事をした。
「本当は、もっと良いショットがあるんですけどね。素人の写真だから、香椎くんの美しさが半減してるんですよ。そもそもファンの子たちが勝手に撮ったものなので、盗撮なんですよね。事務所的には、あまり喜んではいけないと思うんですよ……」
坂井が、ぶつぶつと恨み言を吐く。
「今回ばかりは、盗撮云々は不問よ。有凪と風斗の知名度があがったんだから。それに、もともと撮影しに行ったんだもの。カメラマンがあなたからファンの子たちに変わっただけだわ」
「そ、そんな……」
「あなたは、イマイチだと言うけど。素人の撮影でも有凪は、じゅうぶん麗しいわよ! ほら、ここ見て。風斗にバックハグされてるときの表情! いかにも『受け』って感じが出てて、最高じゃない! やっぱり、有凪は理想の年上受けねーー!」
社長が「受け」を連呼するので、ちょっと恥ずかしい。
「……お、俺のSNSのフォロワーも増えました!」
赤くなった顔をパタパタと手で扇ぎながら、有凪はスマートフォンを見せる。
「なんか、インフルエンサーみたいな数字になっちゃいました」
ちまちまと自撮りをアップしていたころが嘘みたいなフォロワー数になっている。
「今まで、こまめに更新してきて良かったわね」
社長に微笑まれて、有凪は思わずグッときた。
「は、はい……」
実は、新規でフォローしてくれたひとたちが、過去の投稿を遡って反応をくれたりするのだ。
自分のやってきたことが無駄ではなかったと思えて、有凪はうれしかった。
「それで、今日あなたたちを呼んだのはね、仕事のことよ。依頼が来たの、ふたりに」
……ふたり?
同じタイミングで、それぞれに新たな仕事が舞い込んだということだろうか。それとも……。
「それって、一緒に仕事をするってことですか?」
有凪の向かいに座っていた風斗が、社長に問う。
「そうよ」
社長が、大きくうなずく。
「雑誌の表紙と特集ページを二人に任せたいって」
その雑誌というのが、驚きだった。
話題提供の発信源として認知されている超有名な月刊誌だったのだ。
ファッション系の流行語を数多く生みだし、旬の俳優やアイドル、タレントなどを起用する。表紙に抜擢されるだけで、毎回話題になるほどだった。
「う、うそ……」
正直にいって、普段撮影している雑誌よりも数ランク上だ。
モデル業界に身を置いているので、有名雑誌の存在の大きさに若干、有凪は尻込みしてしまった。
「これって、BL営業のおかげなんですか……?」
信じられない思いで、有凪は社長に訊いた。
「そうよ。二人ともスタイルが抜群に良いし、並んだときの感じも最高だって。他の媒体から声がかかる前に、スケジュールを押さえたいって、依頼をもらったの」
社長は、落ち着いた口調だった。
冷静に語っているように見えた。けれど、よく見ると右の拳が震えていた。どうやら、常にガッツポーズをしていたらしい。
それを見て、有凪もじわじわと喜びが込み上げてきた。
坂井が「良かったね」と言って握手を求めてきた。大きな仕事が舞い込んだので、彼もうれしいようだ。
嘉内は「すごいです!」と立ち上がって拍手している。
風斗だけが、足を組んだまま「え、そんなに有名な雑誌なんすか?」と言っていた。まったく、これだから世間知らずなボンボンは困る。
風斗のことは無視して、有凪と社長、それから坂井と嘉内で、喜びを分かち合った。
◇
体調は万全。ボディラインもOK。肌の調子だって、すこぶる良い。
それでも、有名雑誌だというだけで足が震えた。当然のことかもしれないけれど、関わっているスタッフの数も段違いに多い。
撮影スタジオでポーズを決めながら、有凪は緊張しまくっていた。
大きな仕事だからこそ、失敗したら大変だ。ガチガチになっている有凪の隣で、風斗はマイペースだった。緊張感の欠片もなく、自然体だ。
……大物だな。
正直、悔しい。慣れているはずの有凪は、こんなにもテンパっているのに。
「じゃあ、次は恋人みたいな感じでいこうか」
カメラマンから声がかかった。
SNSで「恋人みたい」と話題になったこともあり、それを狙っているのだろう。BLを嗜むようになったとはいえ、有凪は現実世界で恋愛初心者だ。
急に「恋人のように」と注文されても、どう動けば良いのか分からない。
ひたすら戸惑っていると、目の前にいる風斗に腰を抱かれた。たくましい腕で引き寄せられ、密着する。
……ひぇ!
漏れそうになった悲鳴をなんとか、有凪はかみ殺した。
バックハグされたり、顎をクイッとされたり。ひたすら密着シーンの撮影が続いた。悔しい。自分はモデルなのに。清純派を極めたばっかりに、こういう場合にどう動いたら良いのか分からない。
お互いの鼻先が触れそうになり、思わず有凪は目を閉じた。
次に目を開けたとき、まだ至近距離に風斗がいた。見つめ合いながら、素直に「格好いいな」と思った。顔の造形が、自分とはまるで違っている。野性的で、圧がすごい。
それでも、わずかに残る少年らしさを見つけて有凪は安堵した。気づいたら、風斗の首に腕を回していた。
いざなうように、自分のほうへと風斗を引き寄せる。
くちびるが触れる、という瞬間、「カット!」の声が聞こえた。
ハッと我に返る。
「お疲れさまですーー!」
カメラマンの声が、まるで合図みたいだった。それまで張り詰めていたスタジオの空気が、一気に緩んだ。