自分の腕が、風斗の首に回されているのに気付いて、有凪は慌てて距離をとった。
「良いのが撮れたよ!」
カメラマンに画像を見せられ、有凪は思わず顔を覆った。
……完全な乙女顔だ!
腰を抱かれている瞬間だった。戸惑いながらも頬を染めている(ように見える)。
「これとかも、良いよね」
鼻先が触れそうな至近距離の場面。涙の膜が瞳を覆っている。
……これは、BLの受けがよく見せる表情だ!
とろん、とした顔で目の前の男を見つめているのだ。
「やっぱり、香椎くんは才能があるね」
カメラマンに褒められた。あまりうれしくない。だって、明らかに風斗に負けていたし。
思わず、「それは『受け』の才能ですか?」と問いたくなった。風斗もカメラマンに賛辞をもらっていた。悔しい気持ちはあるものの、悪い気はしない。
撮影が終わり、有凪は風斗と一緒に車に乗り込んだ。
運転席には、坂井がいる。
嘉内は、担当している他のタレントの仕事に付き添っているのだ。だから今日は、臨時で坂井が風斗の送迎も担っているのだった。
「新境地だね~~! 大人っぽかったねーー!」
満足そうに笑みを浮かべながら、坂井がハンドルを握る。
「……まぁね」
まだ羞恥心から解放されていない有凪は、身を縮こまらせながら、静かにうなずいた。
隣に座る風斗は、腕を組みながら目を閉じている。イヤホンで音楽を聴いているのだ。どこまでもマイペースで羨ましい。
「そういえば、香椎くんは『かざゆう』って知ってる?」
信号で停車中、坂井が訊いてきた。
まったく聞き覚えのないワードだ。
「なんですか、それ?」
「香椎くんと、風斗くんを表す言葉らしいよ」
「へぇ」
なんでも「かざと」と「ゆうな」で「かざゆう」なんだとか。
「SNSに投稿するとき、ファンの子たちが使ってくれてるみたいだよ」
いよいよ、カップルだと認識されてきたな……と手ごたえを感じる。
信号が青になり、車が発進する。しばらく走行していたら、坂井のスマートフォンが震えた。
安全な場所に一時停車して、坂井がコールに応答する。
「え、本当ですか。うーーん……」
坂井が困惑している。なにやら、問題が発生したらしい。
「スケジュールの伝達ミスがあったみたいで……」
いつも撮影しているメンズ雑誌で、追加のカットが必要になったのだとか。
その連絡が坂井に届いていなかったようだ。
「社内で行き違いがあったみたいだね。完全に、こちら側のミスだ」
「それで、俺の撮影は何時からなの? 間に合う?」
もしかして、約束の時間はとうに過ぎてしまっているとか……?
有凪が冷や汗をかいていると、坂井が「飛ばしたら、ギリギリ間に合うくらいだよ」と言った。
「風斗くん、悪いんだけど。ここからタクシーで……」
坂井が言い終わらないうちに、風斗が運転席に身を乗り出した。
「俺のことは、構わないで良いですから。すぐに向かいましょう」
風斗は、いつの間にかイヤホンを外していた。「そこを右折したら、抜け道です」とか言って、坂井に指示まで出している。
「……嘉内さんが、抜け道のプロなんです」
有凪の視線に気づいたのか、言い訳するみたいに風斗が言う。
「嘉内さん、運転うまいの?」
「ただのスピード狂ですよ」
「そ、そうなんだ……」
ひとは見かけによらない。
「風斗くんがいてくれて良かったよ。なんとか間に合いそうだ」
いつも安全運転の坂井が、今は強めにアクセルを踏み込んでいる。声には安堵が滲んでいるので、どうやら大丈夫らしい。
有凪は、オフにしていた仕事のスイッチをオンに切り替えた。
◇
追加の撮影というのは、どうやら撮り直しのことだったらしい。ワンカットだけで、撮影自体はすぐに終わった。
遅刻することなく、無事に撮影も終了して、有凪は安堵した。
「長時間、風斗を待たせることもなかったし。良かった……」
結局、風斗は途中で下車することなく一緒に来た。坂井と一緒に、スタジオの端で撮影を見学していたのだ。
衣装から私服に着替えていたら、顔見知りの女性スタイリストがやって来た。
「お疲れさまです……! 感激しましたーー!」
やたらテンションが高い。
「なにか、あったの?」
「もう、香椎さんってば! とぼけないでくださいよ~~!」
スタイリストはニマニマしている。
「やっぱり、デートだったんじゃないですか……!」
「あーー……」
以前のやり取りを思い出して、有凪は苦笑いした。どうやら、彼女も例のデート写真を見たらしい。
「おまけに、彼氏同伴なんて……! マネージャーさんと一緒にいますよね? もしかして、事務所公認なんですか?」
キャッキャッと、はしゃいでいる。
「い、いや、そういうことでは……」
上手な言い訳が見つからず、有凪は焦った。
「ほんと、お似合いですよねーー!」
「はは……」
苦笑いしつつ、なんとか有凪は着替えを終わらせた。「それじゃ、失礼します」と頭を下げて、彼女から逃げるように部屋を出た。
どうやら、自分はアドリブが苦手なようだと察する。
……雑誌の撮影は一緒にできても、同じ舞台に立つのはムリかな。
圧倒的に、有凪は舞台の仕事に向いていないと思う。残念だけれど。
スタジオを抜けて、坂井と風斗のいるところへ向かっていたとき。
「有凪くん」
ふいに、背後から呼び止められた。
「お疲れさま」
振り返ると、宮部がいた。
「お、お疲れさまでした……」
心臓が、イヤな跳ね方をした。宮部からは、明らかに不穏な雰囲気が漂っている。
先刻の撮影の際は、いつも通りの彼だと思った。
だから、安心していたのに。
前を塞ぐように立たれて、どうしたものかと困っていると。
「……今日、別の雑誌の撮影だったんでしょ?」
不機嫌そうな顔の宮部が、有凪に問う。
「え……?」
どうして、それを宮部が知っているのだろう。
「狭い世界だからね。噂が、すぐ回るんだよ」
「そ、そうなんですか……」
別に、気まずい思いをすることはない。なにも悪いことはしていないのだ。
有凪は、この雑誌の専属モデルではない。もちろん、毎号に出ていて、お世話にはなっているけれども……。
「彼でしょ」
「な、なにがですか」
「藤間風斗。一緒に撮影したって聞いてるよ」
そこまで、知られているのか。
「当てつけかな?」
「違います……!」
有凪は、はっきりと否定した。
「今日は、彼のマネージャーが同行できなかったので。それで一緒に、ここに来ることになっただけです。わざと、撮影現場に連れて来たわけではありません」
現場スタッフはもちろん、撮影で顔を合わせるモデルたちとも、それなりに長い付き合いになっている。親しみを感じているし、敬意を持って接しているつもりだ。
わざわざ別の撮影終わりに、風斗と一緒に乗り込んできたわけではない。そんなことをする意味がない。
「そっちじゃなくて。僕に見せつけるために、彼を連れて来たのかと思って」
「……そんなことは」
あるわけない。牽制することなんて、考えてもいなかった。
「なんだか、遠いところに行っちゃったみたいでさ。寂しいよ」
戸惑う有凪を見下ろしながら、じりじりと距離を詰めてくる。
「本当に、今日は偶然なので……。それに、俺は別に今までと変わってませんし……」
明らかに、宮部の様子がおかしい。
数歩、有凪は後ずさった。背中に冷たい感触がある。壁際に追いやられたことに気づく。
周囲には撮影機材があり、死角になっている。さっきまでスタッフがいたのに、今は見当たらない。
……どうしよう。
これって、マズい状況なんだろうか。
「彼とお似合いだね」
宮部が近づいてくる。逃げ場がない。
おかしい。いつもの宮部じゃない。
壁に押し付けられるみたいな、苦しい体勢になった。宮部の手が、自分に向かって伸びてくる。