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第20話 風斗の背中は安心する

「ずっと、レンズ越しに見てたんだよ」


 ……怖い。


「本当に、綺麗で。ずっと触れたいと思ってた……」


 宮部の手が、有凪の頬に触れた。


 手の甲で、撫でられた。


 その瞬間、ぞわっと悪寒が走った。


「や、やめて……」


 叫んだつもりだったのに。


 有凪が発したのは、か細い声だった。助けも呼べない。絶望的な気分に陥っていたら、聞き覚えのある声が聞こえた。


「なにしてんすか」


 風斗だった。


 相変わらず、ダルそうにしている。


 生意気で、クソガキで。そんな風斗の顔を見て、有凪は思わず泣きそうになった。安心したのだ。


 涙ぐんでいる有凪に気づいて、風斗が眉を顰めた。 


「なに泣かしてんの」


 そう言って、風斗は宮部の肩を押し退けた。


 宮部と有凪の間に割って入る。目の前に大きな背中がある。風斗の背中だ。そう思ったら、わけもなく安心した。


「……君には、手出しできないな」


 宮部が、忌々しげに言った。


 その言葉に、風斗が反応する。


「このひとにはできて、俺にはできない? それは俺が、藤間貴一ふじまきいちの息子だから?」


 藤間貴一は、風斗の父親だ。


 大御所俳優として、誰もが知る存在だった。


「僕はまだ、この世界で仕事をしていきたいからね」


 宮部が、そう吐き捨てる。


「ダセぇ」


 心底、軽蔑するみたいな声だった。 


「小さな事務所の、なんの後ろ盾もないこのひとなら、自分の思い通りにできると思った?」


 風斗の言葉に、有凪はハッとした。


 自分は、そういう存在なのだ。


「アンタが視界に入るのも、不愉快だから。どっか行ってくれない?」


 そう言って風斗は、あっという間に宮部を追い払った。


 宮部の姿が見えなくなって、有凪は全身の力が抜けた。その場にしゃがみこむ。


「……平気ですか?」


「うん」


 自分の声が、まだ潤んでいる。


「ありがとう」


 ぐず、と洟をすする。


「……立てます?」


「うん」


 そうは言ったものの、力が入らない。情けないなと思っていたら、風斗に腕を掴まれた。強制的に立たされるのかと思ったら、抱き上げられた。


「へぇ……?」


 予想外すぎて、声がひっくり返る。


 有凪を抱っこしたまま、風斗はスタスタと歩く。信じられない。いくら有凪が細身とはいえ、身長はある。決して軽々と抱えられるとは思えないのだが……。


 同じことを思ったのか、有凪と風斗を見た坂井は、あんぐりと口を開けていた。


「ふ、二人とも、どうしたの……?」


 焦る坂井に、風斗が事情を説明する。


 坂井の表情が、顔面蒼白になっていく。


「も、申し訳ない!」


 坂井が、ガバッと頭を下げる。


「マネージャーとして香椎くんのこと、もっと真剣にガードしないといけなかったよ……!」


 何度も「ごめんね」「申し訳ない」と、坂井は繰り返す。


「……俺が、いつも冗談っぽく言ってたから。危機感を感じなくて当然だよ」


 少しずつ、宮部の態度に異変を感じていたのに。それを坂井に伝えることができなかった。


「大丈夫だった? なにもされてない?」


 風斗に抱かれたままの有凪を心配そうに見る。


「うん。平気だよ」


「これからは、鉄壁のガードをするからね……!」


 有凪に抱き着きそうな勢いだ。そして、ちょっと坂井は涙ぐんでいる。


「それが良いと思いますよ。このひと、中身はごく普通の一般人だけど、外見は桁違いに綺麗ですから」


 追い打ちをかけるように、風斗がそんなことを言う。


 文句を言いたかったけれど、気力がなくて反論できなかった。


 ちなみに、この問題を知って社長はブチ切れていたらしい。


 抗議をしまくり、宮部をカメラマンとして使い続けるなら、二度と仕事はしないと啖呵を切ったという。


 後日、社長から呼ばれて坂井と一緒に事務所に赴いた。


 メンズ雑誌の仕事は、なくなるかもしれない。


 なにも悪いことをしていないのに、有凪の側が仕事を失うのは不公平だと思う。


 でも、仕方のないことだ。むしろ、所属タレントをきちんと守ってくれる事務所で良かったと、有凪は改めて思った。


 坂井と一緒にソファに座り、社長と向かい合う。


「……それでメンズ雑誌のほうは、どうなりました?」


 坂井が、遠慮がちに訊く。


 社長の雪村は、パチパチとまばたきをした。


「メンズ雑誌? そんなもの、すっぱりと切ったわよ! ぐだぐだと言って、煮え切らない態度なんだもの」


 あっけらかんと言い放つ。やはり、有凪は仕事を失ったようだ。


「そうですか……」


 モデルの仕事は、好きだった。これまで頑張ってきたし、やりがいも感じていた。食べるものにも極力、気を使った。


 好きなものを好きなだけ食べることは、絶対にできなかった。でも、それが有凪にとっては当たり前のことで……。


 有凪が肩を落としていると、社長が立ち上がった。


「落ち込んでいるヒマなんて、ないわよ……!」


「どういうことですか?」


 坂井が、眉を寄せながら問う。


「専属モデルにならないかって、声がかかってるのよ!」


「せ、専属モデル……?」


「例の月刊誌よ! 風斗と一緒に撮影した超有名雑誌! そこからオファーが来るなんて、すごいことよ~~!」


 社長は浮かれている。小躍りしている。


 有凪は、イマイチ現実味がなかった。


 風斗と一緒に表紙を飾ったものは、まだ発売されていない。


「発売後に評判が良くて、とか。そういう理由なら分かりますけど……」 


 なぜ、自分が専属モデルに選ばれたのだろう。


「有凪が美しいからじゃない?」


「……はぁ」 


 釈然としない感じだ。それが、社長にも分かったのだろう。


「なんてね。理由は、聞いてるわよ」


「え?」


「被写体として良いのは、もちろんだけど。インタービューのときにね。すごく真面目で、質問に対して一生懸命に答えていたのが、印象に残ったんですって」


「そ、そんなことが、ですか……?」


 あまりにも予想外のことで、有凪は拍子抜けした。 


「質問に対して真面目に答えるのは、当たり前のことだと思うんですが……」


「そうとは限らないわよ。不機嫌な態度になったり、ワガママだったりね。そういうタレントはいるのよ。いくら事務所が教育しても、難しいのよね」


 小心者の有凪には、考えられないことだ。


「それから、有凪のSNS。昔の投稿を見て、編集長が褒めてくださってたわよ」


「え……?」


 風斗と一緒に映っている画像には、たくさん反応があるけれど。


 昔の投稿で、特に話題になったものはない。


「どんなに小さな仕事でも、きちんとSNSでファンの子に報告してたでしょう。丁寧に文章を綴って、たくさん感謝をして。そういうところに、好感を持ったんですって。一緒に仕事をしたいと思ったらしいわ」 


 有凪は、思わず俯いた。


 くちびるを噛み締める。涙がこぼれそうだった。


「ちゃんと見てくれるひと、いたんだねぇ……」


 隣に座る坂井が、しみじみと言った。


 その言葉に、有凪は何度も何度も、うなずいた。

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