専属モデルを務めることが決まってから数日後、初めての打ち合わせがあった。
メジャー雑誌ということもあって「
ちなみに「MEN'S LAUL」というのが雑誌名だ。
有凪は、まずひとの多さに圧倒された。いわゆる「偉いひと」たちとも顔を合わせた。
その中には、良くいえばフランク、悪くいえば慣れ慣れしい人間もいた。「美人だねぇ」と明らかに鼻の下を伸ばしている輩もいて、有凪は苦笑いするしかなかった。
マネージャーの坂井が、さりげなく間に入ってくれたこともあって、特に嫌な思いをすることはなかったけれど。
というより、苦笑いしかできない自分に驚いた。いくら相手が「偉いひと」でも、これまでは自分で対処できていた。
有凪だって、芸能界に入ってそこそこ年月が経っている。対処方法くらい分かっている。
でも、ダメだった。距離を詰められた瞬間、体が強張ってしまった。
「……もしかしたら、トラウマかもしれないね」
打合せが終わり、帰りの車中で坂井が言った。
「トラウマ……?」
なに、それ。と有凪が問うと、ミラー越しに坂井が申し訳なさそうな表情になる。
「ほら、この前……宮部さんとあったでしょう」
カメラマンの宮部。
思い出しただけで、ざわりと悪寒が体中に走った。
「……別に、なにもされてないよ? ちょっと迫られただけだもん」
そう言いながらも、イヤな感覚が体から抜けない。
もしも、坂井が指摘するようにトラウマなのだとしたら。
有凪にとっては由々しき事態だ。
他人と密着するだけで表情が強張ってしまったら、撮影どころではない。
「大丈夫だよ……」
有凪は自分に言い聞かせるようにして、つぶやいた。
◇
オフの日。
今日は一日中、部屋にこもってBL本を堪能すると決めている。SNSはぜったいに見ない。何が何でも見ない。
デジタルデトックスということではなく、今日は「MEN'S LAUL」の発売日なのだ。
有凪と風斗が表紙モデルを務めた「MEN'S LAUL」が発売される日……!
考えただけで緊張する。反応が怖い。どういう感想を抱かれるのか。前向きな性格ではないので、ネガティブなコメントを目にしたくない。
だから、今日は現実逃避をする。
めくるめくBLの世界へ旅立つのだ。
有凪は着古した部屋着を身に纏い、ベッドにダイブした。スマートフォンで電子書籍を読みあさる。
書店には恥ずかしい思い出があるので、もっぱら最近は電子書籍にお世話になっている。
思わず「ひゃーー!」と声をあげそうになるくらいオトナ向けの表紙でも、電子書籍なら簡単に購入できる。冷や汗をかきながらレジに並ばなくても良いのだ。
仰向けになったり、うつ伏せになったり。ベッドの上でゴロゴロしながら、幸福な読書時間を過ごしていたのだけど。
「え、うそ。『ときめくぜメモリアル』って、電子はまだ発売されてないの……?」
愕然としながら、有凪はスマートフォンを凝視した。
何度も見返したけれど、間違いない。「ときめくぜメモリアル」(通称ときメモ)は、大人気BL漫画だ。
BL界の巨匠、清潔ヤマモト先生の最新作。
発売前から、有凪もずっと楽しみにしていた。発売日と自分のオフが重なっていることを知った瞬間には、うれしくて小躍りしたくらいだった。
「そ、それなのに……!」
ベッドの上で、有凪は力なく寝返りを打った。
「紙と電子は同じ発売日にして……!」
枕をぽすぽすと叩きながら、恨み言を吐いた。
しかし、そんなことをしていても清潔ヤマモト先生の漫画は読めない。
「イヤだ~~! 読みたい!」
有凪はベッドから起き上がって、身支度を始めた。
仕方がないので、書店へ買いに行くことにした。寝ぐせを整え、伊達メガネとマスクで顔面を防御する。地味な服を着て、姿勢は若干前かがみに。
そのまま、全身を鏡でチェックする。
「よし」
どこから見ても、みすぼらしい青年だった。
痩せ型なので、姿勢が悪いと貧相に見えるのだ。これだと、どこから見てもモデルには見えない。
一般人を装って、書店へ向かう。
店に入ると、一直線にBLコーナーを目指す。
その途中で、女性店員に声をかけられた。
「今日も、BL本をお探しですか?」
「え、えええ、え……?」
軽くパニックになる。
よく見ると、以前BLの棚まで案内してくれた店員だと分かった。
「お、おおお、俺のこと、おぼえてるんですか……?」
しどろもどろになりながら、有凪は問う。
「はい! 男性でBL好きな方は、まだまだ少ないですから」
店員が笑顔でうなずく。
「そ、そうなんですか……」
恥ずかしい。冷や汗が出る。
はは、と笑いながら、早くこの場から逃げたくて仕方がない。
「あれから、またたくさん入荷してますよ」
「ど、どうも……」
軽く会釈をして、有凪はBLのコーナーに逃げた。
すっかり、BLの棚がある場所を把握してしまっている。新刊のコーナーには「ときめくぜメモリアル」がずらりと並んでいた。遠目からでも分かる。さすがは清潔ヤマモト先生だ。絵が美しい。主人公たちが光り輝いている。
大量に入荷されているのを見て、作者でもないのに誇らしく思う。この素晴らしい作品が埋もれることなく、認知されているという現実がうれしいのだ。
この世界も、まだまだ捨てたものじゃない。
そう思いながら、レジに向かおうとしたとき。女子たちのキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてきた。
なんとなく気になって、声がするほうを見る。
女子たちは、雑誌のコーナーにいた。
……雑誌。
そこでようやく、思い出した。
今日は「MEN'S LAUL」の発売日でもあったのだ。