インターホンが鳴って、確認するとサングラスにマスクをした男が立っていた。
心臓に悪い。明らかに不審者だった。相手が風斗だと分かっていても驚いてしまったので、普段の自分も周囲からすると怪しい人物なのかなと考える。
「でもさ、変装は必須だよな?」
風斗を部屋に迎え入れながら、同意を求める。
「一応は芸能人ですしね」
そうなのだ。しかも、BL営業が功を奏して認知度も上がった。
変装しないまま外出することはもう、難しいと思う。
「……マジで料理するんですね」
エプロン姿の有凪を眺めながら、風斗が言う。
「もちろん」
「ささみとか温野菜とか、ですか……?」
「なんで分かるの」
有凪が普段、頻繁に口にしているメニューだ。
「想像はつきます」
「ふうん」
「俺は、それにマヨネーズを大量にかけて食べるんで良いんですけど……。というか、マヨネーズって置いてます?」
「そんな高カロリーなもの、うちの冷蔵庫にはないよ」
サラダを食べるときのドレッシングは手作り派だ。市販のものは味が濃くて苦手なのだ。
「嘘だろ」
風斗が頭を抱える。
「でも、大丈夫だよ。風斗の分は唐揚げにするから」
下準備はOKで、今から揚げる予定なのだ。
「マジですか」
「うん。だって、事務所でやたら揚げ物とか食べてたじゃん。好きなのかなと思って」
風斗の目がキラキラと輝く。「気が利く。最高」と有凪を褒めちぎる。
出来上がるまで、風斗にはくつろいでもらうことにした。包丁で指を切るような危なっかしいヤツなので、手伝ってもらうより自分ひとりのほうが効率が良いと思った。
油の中に鶏肉を入れながら、揚げ物をするのが久しぶりなことに気づいた。
少なくとも、東京に来てからは一度も作っていない。しゅわしゅわという油の音を聞きながら、気分良く料理していく。
炊きたてのごはん、わかめと油揚げの味噌汁、鶏の唐揚げ。なかなか良いラインナップだ。
「あとは、サラダも作ろう」
うきうきしながら作業をしていたら、背後に風斗の気配を感じた。
「なに?」
「有凪さん、俺……」
「うん」
「もう、我慢できないです」
そう言って、風斗の腕が伸びてくる。
「あっ」
思わず声が漏れた。
「ダメ……!」
「いいじゃないですか」
振り返ると、風斗が舌なめずりしていた。ぎらりと鋭い、獲物を狙う目だった。
「ダメだって言ってるのに!」
「減るもんじゃないんだし、良いでしょ」
「ばか! 減るだろ! つまみ食いなんかしたら」
風斗は、揚げている最中の唐揚げ(獲物)を奪いに来たのだ。つまみ食いをするなんて、行儀が悪い。お坊ちゃまのくせに。
「美味いな……」
熱々で最高、と言いながら唐揚げを頬張っている。
「もう……!」
ぷりぷりしながら、作業を続ける。
唐揚げが完成したので、ささっとサラダも作って食卓に並べる。つやつやの炊き立てごはん、カラッと揚がった唐揚げ。味噌汁にサラダ。こんなにしっかりとした献立は久しぶりだ。
いつもはカロリーを気にして、ちょっと寂しい食卓なのだ。
記念に撮影することにした。スマートフォンでパシャパシャしていたら、風斗がじいっとこちらを見ていることに気づいた。
「あ、ごめん。食べたかった?」
風斗は、無言でこくこくとうなずく。
お腹が空いているせいなのか、今日の風斗は素直だ。「もう食べて良いよ」と言うと、嬉しそうな顔になった。
……なんか、可愛いな。普段は不愛想なのに、今日はやたら可愛い。
「いただきます!」
風斗がパンッと手を合わせる。
そして、勢いよく食べ始めた。ものすごいペースで唐揚げが減っていく。
多めに揚げておいて良かった、と心の中で安堵する。
有凪は、自分用に作った温野菜とささみをちびちびと食べた。風斗の食べる勢いに圧倒されて、見ているだけでお腹がいっぱいになる。
「……いや、ならないでしょ」
味噌汁をすすりながら、風斗に指摘される。
「一個くらい食べません?」
「なにを」
「唐揚げ」
「美味いですよ」
もぐもぐと口を動かしながら、向かいに座った風斗が覗き込んでくる。
そういえば、味見をしていなかった。
今後も作るなら、ひとつくらい食べて味を確認しておきたい。
「……うん、じゃあ。一個だけ」
有凪がうなずくと、風斗が満足そうに笑った。唐揚げを箸で掴んで、有凪の口元に持ってくる。
……前もあったな、これ。
間接キス。
ひとりで、心の中で大騒ぎしていた。今思えば恥ずかしい。きっと風斗は、なんとも思っていなかったはずだから。
目の前の唐揚げにかぶりつく。
「美味しい……」
サクサクの衣と、じゅわっとあふれてくる肉汁。下味もしっかりきいている。
唐揚げはささみではなく、もも肉で作った。そうして正解だった。すごくジューシーなのだ。
「料理上手キャラでもいけるんじゃないですか?」
「……え、いや。俺が作るのは、ぜんぜん映えないし。ありきたりな料理だから」
地元にいた頃も、よく料理を作っていた。
料理が好きだったというよりは、必要に迫られてのことだった。母親は仕事で忙しかったので、有凪が家のことをやっていたのだ。
そういえば、自分以外の人間のために料理をするのは、ずいぶんと久しぶりだった。
有凪の向かいで、風斗が美味しそうに唐揚げを頬張っている。さらに白米を詰め込み、もしゃもしゃとサラダを食べて、味噌汁をすする。
何度も「美味い」を連呼するので、恥ずかしくなった。
どれもこれも、ごく普通の家庭料理なのだ。褒められるほどのものではない。もちろん、特別なレシピなんてない。
でも、嬉しい。誰かのために料理をするのは良い気分だ。
ごはんのおかわりをする風斗を眺めながら、そう思った。