風斗が有凪の部屋に初めて来たのは、ちょうど二週間前。
あれから、すっかり入り浸るようになった。居心地が良いのだそうだ。
予想していたけど、風斗には生活能力がなかった。放っておいたら部屋は散らかすし、掃除のやり方も知らない。一番驚いたのは、洗濯機の使い方を知らないという点だった。
「今まで、どうやって生活してたんだよ」
呆れながら、風斗に訊いた。
どうやら、実家から派遣されていたという家政婦さんがすべて身の回りのことを整えてくれていたらしい。
自分でやると決めてからは、クリーニングに衣類を持ち込んでいたようだ。
驚きすぎてなにも言えなかった。自宅に洗濯機があるのに、わざわざクリーニング……? そっちのほうが面倒じゃないか……?
風斗が異星人に見えてくる。完全に有凪とは違う世界の住人だ。
おまけに、舞台の仕事に熱中すると、風斗は周囲のことが見えなくなる。
寝食を忘れて台本を読み込んだり、マネージャーからの連絡に返信しなかったり。話しかけても上の空なのだ。
舞台は体が資本なので、有凪は栄養のあるものを作って風斗に食べさせた。
きちんと風呂に入るよう指導して、時間になれば問答無用で電気を消して就寝させた。有凪のベッドはダブルサイズなので、男二人でも使用することができた。
ちなみに、なぜダブルサイズなのかというと、有凪は寝相がひどいのだ。
シングルだと落下してしまうので、奮発してダブルサイズを購入した。今となっては買って良かったと思う。
これではもう、入り浸るというより完全に二人暮らしだ。
風斗のマネージャーである嘉内からは、この状況を歓迎された。風斗から返信がない際は、有凪に連絡をとれば良い。
事務所に行ったとき「これからも、よろしくお願いします……!」と、何度も頭を下げられた。
マネージャー業も大変なんだな、と嘉内のことを気の毒に思った。
つい同情して「任せてください」と言ってしまったくらいだ。
正直、自分でも驚いているのだけど、風斗の面倒をみることは苦痛ではない。
それどころか、楽しい。あれこれと世話を焼くことが性に合っているらしい。まさか、自分に長男属性があったとは驚きだ。一人っ子なのに。
「それに、部屋に明かりがついてると安心するし……」
夜、仕事から帰ってきてもひとりではない。そのことにひどく安堵する。
もちろん、風斗のほうが帰宅が遅い日もある。そういうときは、まだかな、と思いながら彼の帰りを待つ。その時間が好きだ。自分は、もしかしたらさみしかったのだろうか。
そんなことを考えながら、有凪は自宅のキッチンでレタスを洗った。
炊き立てのごはんを器に盛り、ちぎったレタス、それからハンバーグをのせる。目玉焼きを作ってハンバーグの上にスライドさせたら、ロコモコ丼の完成だ。
ちなみに、ハンバーグはスーパーの総菜コーナーで買ってきたもの。かなりのビッグサイズだ。ソースは手作りしたけれど、全体的に見ればかなりの手抜き料理なのは間違いない。
それでも、風斗は美味しそうにもりもり食べている。
有凪は、オニオンスープをテーブルに並べながら「おかわりあるから」と風斗に微笑む。
とてもじゃないけど、このビッグサイズのハンバーグは食べきれない。一口あれば十分だ。
残りは、風斗に食べてもらおう。そんなことを考えながら目玉焼きの黄身を崩す。とろっと半熟にできていた。
「有凪さんって、料理上手ですよね」
もぐもぐしながら、風斗が言う。
「……今日のハンバーグは、買ってきたやつだから。俺が作ったんじゃないよ」
「でも、目玉焼きは作ってましたよね」
「うん」
「黄身のとろっと感が最高です」
グッと親指を立てられ、有凪は目を伏せた。
「大げさだな」
でも、嬉しい。
褒めてもらって、ちょっとドキドキしながら、有凪はロコモコ丼を口に運んだ。
✤
ちょっとした打ち合わせがあり、昼過ぎに事務所を訪れた。
社長の雪村がいて、有凪はバシバシと肩を叩かれた。
「まさか、ママ属性があったなんてねーー!」
雪村は、満面の笑みだった。
隣にいた坂井が「ブフッ」とふき出す。
……ままぞくせい?
意味が分からず、有凪は雪村と坂井の顔を交互に見た。
「良いキャラクターなんだけど、今はまだ出さないほうが無難よね。王子様からの高低差があり過ぎるものね。風斗とのセクシー路線のほうが、まだアリだわ……」
雪村は、ひとりでブツブツと言っている。
「あの、ままぞくせいって……?」
遠慮がちに訊ねると、雪村が「あなた、ママみたいなものでしょ」と有凪を指をさす。
「ママ……? 誰のですか?」
産んだ覚えはないのだが? というか、産めないのだが?
「風斗よ」
「えぇ……」
意味が分からない。
衝撃すぎて、一瞬だけ宇宙が見えた。
「有凪には感謝してるのよーーー! 風斗ったら、すぐ仕事に夢中になるでしょ? 他のことには意識が向かなくなるから。困ってたのよね」
「はぁ」
「有凪が一緒にいてくれたら安心だわ。しっかり者だもの。というより、嬉々として息子の世話を焼く母親ね!」
豪快に雪村が笑う。
……せめて、世話焼きな長男体質ということにしてもらえないだろうか。
坂井のほうをちらりと見た。口元を押さえながら、小刻みに震えている。笑いを堪えているらしい。
有凪は、帰りの車中で思いっきり主張した。
「俺は、風斗のママじゃない……!」
運転席の坂井はハンドルを握りながら、やっぱり小刻みに震えていた。