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第30話 映画館で泣く

「食べてるところ撮りますから」


 風斗は楽しそうだ。パシャパシャと有凪を撮る。


「……うん」


 クレープの端っこをかじると、想像以上に甘ったるくて驚いた。


「おいしい……」


 ホイップとカスタードが強烈に甘い。でもイチゴがほどよく酸っぱくて、ちょうど良い感じだ。


 無言ではぐはぐと食べていたら、風斗が愉快そうにスマートフォンの画面を眺めていることに気づいた。


「……もしかして、動画撮ってる?」


「たまには良いでしょ。動いてる有凪さんが見れたら、ファンも喜びますよ」


「うん……」


 また、胸の奥がもやもやする。


「おしゃべりするんですよね?」


 スマートフォンを閉じながら、風斗が有凪を見る。


「そうだよ」


「どんな話するんですか? 悩み相談?」


 決めていなかった。悩みか……。


「雑誌の専属モデルになるの、緊張する……」


 クレープをちびちび食べながら、有凪は悩みを吐露した。


「人気モデルばっかりだから。圧倒されそう」


「いじわるされるかもしれませんね?」


 風斗が悪い顔をする。


「やだぁ……。端っこモデルをいじめないで……!」


 心配になってきた。


「もし、イヤなことをされたら、それは有凪さんに嫉妬してるんだと思いますよ。美人過ぎるから」


「口がうまいね」


「真面目に言ってるんですよ。そういうときは、無言で微笑んであげたらいいと思います。中身は庶民派だけど、外見は高貴だから。微笑みで黙らせられると思う」


 アイスコーヒーをすすりながら、風斗が持論を展開する。


「そうかな……」


 実は、もうひとつ心配なことがある。


 風斗に言おうか迷ったけれど、意を決して口にした。


「……知らない男のひとが近くにいると、ちょっとビクッてしちゃうんだ」


 風斗が眉を寄せる。


「それって……」


「カメラマンの宮部さんに迫られて……あのときは、風斗が助けてくれたけど。でも、それ以来ちょっとダメなんだ」


 言い終わるのと同時くらいに、有凪の手を風斗が握った。


「こういうのもダメなんですか?」


「平気だよ。だって、風斗だもん」 


 マネージャーの坂井とか、事務所のスタッフとか、見知った相手なら問題ない。


「俺、モデルなのに……」


 不安で胸が押しつぶされそうになる。


「せっかく専属モデルになれたのに、ビクビクしてちゃ仕事にならないよな」


「大丈夫ですよ」


 風斗が、握った手に力をこめる。


 顔を上げると、視線が合った。


「有凪さんはプロのモデルだから、ちゃんとできます」


 まるで、暗示をかけるみたいに風斗が言う。


「だから、不安になる必要はないです」


 すっぱりと言い切られた。風斗の目には迷いはなくて、少しずつ「そうなのかな」という気持ちになってくる。自分でも単純だなと思うけど。


「でも、危機感を持つのは大事ですから」


「危機感?」


「そうです。有凪さんは美人なので」


 面と向かって言われて、カッと頬が熱くなった。


 ドキドキと心臓が暴れ出す。


 こんなのはおかしい。だって今まで、飽きるくらいに言われ続けてきたことなのに。


「少しでもやばいなって思ったら、すぐに逃げてください」


 風斗が、身を乗り出してくる。


「いいですね?」


「う、うん……」


 じっと見つめられて、思わず視線を逸らした。


 息ができないくらいに、心臓の音がうるさい。苦しくて、この状況から逃げ出したいくらいだった。


 でも、握られた手を解く気にはなれない。


「もうそろそろ、映画の時間ですね」


 風斗が、スマートフォンを見ながらつぶやく。


「あ、うん……」


 有凪は、ぎこちなくうなずいた。


 まだ残っていたクレープをかじる。あんなに甘かったはずなのに、味がよく分からない。ヒヨコのトッピングと見つめ合う。


 ずっと兄妹だと思っていたけど、今は恋人同士に思える。


 ちょこん、と並んだ「ピヨちゃん」と「ピヨくん」を見ていたら、意味もなく泣きそうになった。


 明らかに情緒がおかしい。どうしたんだよ、と自分にツッコみたい。


 きっとそうなのだろうという予感はあるけれども、ちょっと認めたくない。認めてしまったら負けのような気がする。なんだか無性に悔しい。





 クレープ屋から歩いて映画館に移動した。


 スクリーンには、甘酸っぱい恋愛模様が映し出されていた。まぶしい。自分には、こんな青春はなかった。


 キスシーンが神聖な儀式のように見える。


 そう思ったのは、有凪だけではなかったようだ。あちこちからすすり泣く声が聞こえた。


 帰り道、有凪は「難しいね」と言った。


 隣を歩く風斗が「なにがです?」とこちらを見る。


「芸能人が恋愛するの」


「隠すのが面倒ってことですか」


「……そうじゃなくて、キスシーンとかあるじゃん? 好きなひとは別にいるのに、違う相手とするんだよ」


「まぁ、そういうこともありますね」


「女優さんとか、イヤじゃないのかな」


 こんな風に考えるのは、自分が恋をしているからだ。今までは、こんなこと思いもしなかった。


「前に共演した女優が言ってましたけど」


「うん」


「作業だって言ってましたよ」


 キスシーンが、作業……。


「仕事なんだし、割り切ってるんじゃないですか」


 ほんとうに、そうなのだろうか。


「……良いこと、聞いた」


「え?」


「俺も、もしキスシーンがあったら作業だって思うことにする」


 そう思わないと、きっと苦しい。


「有凪さんは必要ないでしょ」


「なんで?」


 風斗を見上げる。


「だって、有凪さん恋人いないでしょう」


「そうだけど」


 でも、好きなひとはいるんだよ。


 悔しいけれど、認めるしかない。もう自分の負けでも良い。


 見上げた風斗の横顔が、前よりもずっときれいに見えて泣きたくなった。



「それに、有凪さんはドラマとかいつも脇役じゃないですか。だから、キスシーンなんてないですよ」


 風斗が身も蓋もないことを言う。


 初めての恋心を持て余して、こっちは半泣きになっているというのに。


「……うるさいな」 


 有凪の声がうるんでいた。


 風斗が驚いてこちらを見る。


「なんで泣いてるんですか?」


「……泣いてない」


 泣きそうにはなっているけど。


 風斗が身を屈めて、覗き込んでくる。見られたくないので抵抗した。


「ちょっと、さっきの映画を思い出しただけ」


 そう言って、なんとか誤魔化そうと試みる。


「そんなに感動したんですか?」


「うん」


「好きなやつでした?」


 有凪はうなずいた。


「……好き」


 好きだ。


 風斗のことが、好き。

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