「食べてるところ撮りますから」
風斗は楽しそうだ。パシャパシャと有凪を撮る。
「……うん」
クレープの端っこをかじると、想像以上に甘ったるくて驚いた。
「おいしい……」
ホイップとカスタードが強烈に甘い。でもイチゴがほどよく酸っぱくて、ちょうど良い感じだ。
無言ではぐはぐと食べていたら、風斗が愉快そうにスマートフォンの画面を眺めていることに気づいた。
「……もしかして、動画撮ってる?」
「たまには良いでしょ。動いてる有凪さんが見れたら、ファンも喜びますよ」
「うん……」
また、胸の奥がもやもやする。
「おしゃべりするんですよね?」
スマートフォンを閉じながら、風斗が有凪を見る。
「そうだよ」
「どんな話するんですか? 悩み相談?」
決めていなかった。悩みか……。
「雑誌の専属モデルになるの、緊張する……」
クレープをちびちび食べながら、有凪は悩みを吐露した。
「人気モデルばっかりだから。圧倒されそう」
「いじわるされるかもしれませんね?」
風斗が悪い顔をする。
「やだぁ……。端っこモデルをいじめないで……!」
心配になってきた。
「もし、イヤなことをされたら、それは有凪さんに嫉妬してるんだと思いますよ。美人過ぎるから」
「口がうまいね」
「真面目に言ってるんですよ。そういうときは、無言で微笑んであげたらいいと思います。中身は庶民派だけど、外見は高貴だから。微笑みで黙らせられると思う」
アイスコーヒーをすすりながら、風斗が持論を展開する。
「そうかな……」
実は、もうひとつ心配なことがある。
風斗に言おうか迷ったけれど、意を決して口にした。
「……知らない男のひとが近くにいると、ちょっとビクッてしちゃうんだ」
風斗が眉を寄せる。
「それって……」
「カメラマンの宮部さんに迫られて……あのときは、風斗が助けてくれたけど。でも、それ以来ちょっとダメなんだ」
言い終わるのと同時くらいに、有凪の手を風斗が握った。
「こういうのもダメなんですか?」
「平気だよ。だって、風斗だもん」
マネージャーの坂井とか、事務所のスタッフとか、見知った相手なら問題ない。
「俺、モデルなのに……」
不安で胸が押しつぶされそうになる。
「せっかく専属モデルになれたのに、ビクビクしてちゃ仕事にならないよな」
「大丈夫ですよ」
風斗が、握った手に力をこめる。
顔を上げると、視線が合った。
「有凪さんはプロのモデルだから、ちゃんとできます」
まるで、暗示をかけるみたいに風斗が言う。
「だから、不安になる必要はないです」
すっぱりと言い切られた。風斗の目には迷いはなくて、少しずつ「そうなのかな」という気持ちになってくる。自分でも単純だなと思うけど。
「でも、危機感を持つのは大事ですから」
「危機感?」
「そうです。有凪さんは美人なので」
面と向かって言われて、カッと頬が熱くなった。
ドキドキと心臓が暴れ出す。
こんなのはおかしい。だって今まで、飽きるくらいに言われ続けてきたことなのに。
「少しでもやばいなって思ったら、すぐに逃げてください」
風斗が、身を乗り出してくる。
「いいですね?」
「う、うん……」
じっと見つめられて、思わず視線を逸らした。
息ができないくらいに、心臓の音がうるさい。苦しくて、この状況から逃げ出したいくらいだった。
でも、握られた手を解く気にはなれない。
「もうそろそろ、映画の時間ですね」
風斗が、スマートフォンを見ながらつぶやく。
「あ、うん……」
有凪は、ぎこちなくうなずいた。
まだ残っていたクレープをかじる。あんなに甘かったはずなのに、味がよく分からない。ヒヨコのトッピングと見つめ合う。
ずっと兄妹だと思っていたけど、今は恋人同士に思える。
ちょこん、と並んだ「ピヨちゃん」と「ピヨくん」を見ていたら、意味もなく泣きそうになった。
明らかに情緒がおかしい。どうしたんだよ、と自分にツッコみたい。
きっとそうなのだろうという予感はあるけれども、ちょっと認めたくない。認めてしまったら負けのような気がする。なんだか無性に悔しい。
✤
クレープ屋から歩いて映画館に移動した。
スクリーンには、甘酸っぱい恋愛模様が映し出されていた。まぶしい。自分には、こんな青春はなかった。
キスシーンが神聖な儀式のように見える。
そう思ったのは、有凪だけではなかったようだ。あちこちからすすり泣く声が聞こえた。
帰り道、有凪は「難しいね」と言った。
隣を歩く風斗が「なにがです?」とこちらを見る。
「芸能人が恋愛するの」
「隠すのが面倒ってことですか」
「……そうじゃなくて、キスシーンとかあるじゃん? 好きなひとは別にいるのに、違う相手とするんだよ」
「まぁ、そういうこともありますね」
「女優さんとか、イヤじゃないのかな」
こんな風に考えるのは、自分が恋をしているからだ。今までは、こんなこと思いもしなかった。
「前に共演した女優が言ってましたけど」
「うん」
「作業だって言ってましたよ」
キスシーンが、作業……。
「仕事なんだし、割り切ってるんじゃないですか」
ほんとうに、そうなのだろうか。
「……良いこと、聞いた」
「え?」
「俺も、もしキスシーンがあったら作業だって思うことにする」
そう思わないと、きっと苦しい。
「有凪さんは必要ないでしょ」
「なんで?」
風斗を見上げる。
「だって、有凪さん恋人いないでしょう」
「そうだけど」
でも、好きなひとはいるんだよ。
悔しいけれど、認めるしかない。もう自分の負けでも良い。
見上げた風斗の横顔が、前よりもずっときれいに見えて泣きたくなった。
「それに、有凪さんはドラマとかいつも脇役じゃないですか。だから、キスシーンなんてないですよ」
風斗が身も蓋もないことを言う。
初めての恋心を持て余して、こっちは半泣きになっているというのに。
「……うるさいな」
有凪の声がうるんでいた。
風斗が驚いてこちらを見る。
「なんで泣いてるんですか?」
「……泣いてない」
泣きそうにはなっているけど。
風斗が身を屈めて、覗き込んでくる。見られたくないので抵抗した。
「ちょっと、さっきの映画を思い出しただけ」
そう言って、なんとか誤魔化そうと試みる。
「そんなに感動したんですか?」
「うん」
「好きなやつでした?」
有凪はうなずいた。
「……好き」
好きだ。
風斗のことが、好き。