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Ep.15 似て非なる友について

 ハンバーガーチェーン店での軽い夕食が済み、あまねはレイと一緒に、吉祥寺駅からそれほど離れていないところにあるカラオケ店にやってきていた。


 レイは今年の5月末に16歳になっていたということで、中学二年生でまだ今年度の誕生日が来ていない13歳のあまねは、東京都の条例に基づく入場時間制限規定において問題なく、保護者同伴という形でカラオケ店へと18時以降に入店することができていた。


 学割と年齢確認のため生徒手帳を提示する際には、開いた手帳の性別欄の部分を指で隠して店員さんに見せることで、なんとか入店手続きを問題なく通過することができた。


 また、先ほどのハンバーガーショップにてレイと同じ高校の女子生徒が去ってからあまねが話を聞いたところ、今現在高校一年生のレイが通っている高校は杉並区ではなく、あまねと同じ武蔵野市内にある私立高校であることがわかった。


 そのレイの通っている高校名は『私立来栖くるす高等学校』。その、入試偏差値がそれなりに高い男女共学の私立高校に通っている、とレイから教えられたところ、あまねにはその高校名が今まさに高校受験のために一生懸命に勉強している幼馴染、西東さいどう大諦ひろあきの第一志望校の名前であったことに内心驚いていた。


 そんな話を聞いて、あまねの心の中にはこのような考えが浮かんでいた。


 ――レイくん、大諦ひろあきが目指している高校に通っているんだ。


 ――だったら、もしかしたらレイくんと仲良くしてれば、いずれ高校生になった大諦ひろあきの助けにもなるかも。


 基本的にあまねは、そのような考えを自然に抱くことができる友達思いの少年であった。


 あまねにとって友達がこれまで大諦ひろあき以外にできなかったのはあまねの性格が悪いわけでもなく、同級生らが教室でいつもひとりぼっちで遊んでいるあまねに、積極的に関わろうとしなかったためである。


 あまねは、クラスメイトの誰かが自分に積極的に関わろうとしてくれるのなら、いつだって友達同士の関係性をつくりたかった。しかし、自分の貧弱さにコンプレックスがあり、気が弱く引っ込み思案なあまねには自分から話しかけることはできず、その願いは叶わなかったのだ。


 だから、あまねが受験勉強に本格的に取り組み始めた大諦ひろあきと遊べなくなって、そして母親に誘われて始めた、このように美少女の格好に変装して街に繰り出すという行為は、それが弱くて頼りなくて、誰かに守ってもらわなければいけないほど小さな存在であることが逆に強みになるという、あまねにとっての環境と空気の大転換をその身に感じていた。


 ――できることなら、レイくんの前ではずっと女の子として生きていきたい。


 カラオケで、その小鳥が鳴くかのようなボーイソプラノの綺麗な歌声を披露している際に、あまねはついそんなことを思ってしまったのである。


 ――その恵まれない少年の密かな願いが、程なく壊れることも知らず――




 このカラオケ店は、16歳未満であるあまねはいくら保護者が同伴していても20時、すなわち午後8時には退出の手続きを取らなければならないことになっているとのことであった。


 デートの途中、ハンバーガーショップでゼロカロリーの炭酸飲料や、カラオケ店で注文したドリンクを飲んだ影響でおしっこがしたくなり、一度カラオケルームから出てトイレに行くことになったが、あまねはきっちりと1階のロビーからの角を曲がったところに男女共用トイレがあることを事前に確認していた。


 エレベーターで一階まで降りて、車椅子でも入れるような広い男女共用トイレで用を足して、そして手を洗ってからは昨日に姉と一緒に買った女の子向けの白い大きな木綿のハンカチで手を拭き、女装をしている少年であることが誰にもわからないようにトイレから出てきた。


 そのあまねが首尾よく男女兼用トイレを使った際、トイレ内の手洗い場の上に備え付けられた鏡の前で、肩に回された紐で掛けたポシェットからその白い大きなハンカチを取り出すとき何かに引っかかった感触があったが、一週間前のゲームセンターデートの際にミホシという名の少女が乱入してきた状況とは異なり、何事もなくデートが終わりそうだと上機嫌だったので特に気にはしていなかった。


 しかし、それがあまねの大ポカであり、いつまでも続くことを望んでいたこのちぐはぐな二人の関係性が崩れることの端緒だったのである。




 プルルルルル


 午後8時の少し前になって、二人しかいない薄暗いカラオケルームに、内線電話の音が鳴り響いた。


 可愛い女の子の様相のあまねが台に立って歌っていた少女趣味的な恋の歌を、ずっと笑顔でソファーに座って聞いていた長身のレイが立ち上がり、背中を向けてその内線電話に出る。


 そして、もう退出の時間であることをあまねに伝える。


 「もう時間だって。ちょっと名残惜しいけど、楽しかったデートはこれでお開きだね」


 そう、爽やかな面持ちで伝えてくるレイに、あまねは暗い部屋で顔を赤らめて、照れたような声色で応える。


「はい! ぼくもレイくんとのデート、とっても楽しかったです! また誘ってくださいね!」


「じゃ、ここはボクが料金を精算しとくからさ。あまねちゃんは持ち物に忘れ物がないかどうか、部屋に残って確認しといて」


「えっ!? そんな、悪いですよ! 今日は映画代もハンバーガー代も奢ってもらったってのに!?」


「いーって、いーって、デートに誘ったのはボクの方からなんだから。ボクの顔を立ててくれると嬉しいな」


 そんなやり取りを交わし、レイはドリンクバー用のコップをトレイに載せ、カラオケボックスの閉じられていたドアを開けて部屋から出ていく。


 あまねは、そのレイの外側だけでなく、中身もまさに王子様のような振る舞いに、何ともいえない感情を抱いていた。


 ――本当にレイくん、素敵な人だなぁ。


 ――この関係性が、ずっとずっと、続くといいな。


 そんなことを思いながら、忘れ物がないかどうか確認のために、カラオケルーム内で一人になったあまねは、ソファーに座りなおしてポシェットの中を確認する。


 破綻は、不意にやってきた。


 ――あれ? あれ?


 ――ない! 学生証がない!


 あまねの顔写真が貼られ、本名と生年月日、そして何より本当の性別が印字されている中学校の生徒手帳はポシェットの中のどこにもなかった。


 ――そんな!? 確かにカラオケの入店受付で提示したからあるはずなのに!?


 ――どうして!?


 そこであまねは思い出す。


 ポシェットの中から白いハンカチを取り出す際に、何かが手に触れて外に押し出したような感覚があったということを。


 あまねは、自分のやってしまったことに顔が青ざめる。


 ――大変だ! 多分、あの時に落としたんだ!


 ――レイくんが、帰り際にトイレに寄って、拾って中身を見たら、ぼくが男だってバレちゃう!


 ――そしたら、この関係も壊れちゃう!


 ――バレないうちに、もう一回一番下の階の男女共用トイレに行って、回収しなきゃ!



 そう思って、あまねはドアを大急ぎで開けて、エレベーターも使わずそのすぐ脇にある階段を速足で駆け下り、一階まで大急ぎで到着する。


 生徒手帳の名前欄には「あまね」と漢字で書かれているため、その自分の名前に使われている漢字を知っているレイがもし仮に生徒手帳を拾って、その手帳の中身を見たとしたら、誤魔化すことは不可能だとあまねは考えていた。


 そして、あまねはその中に誰もいないことを確認して、男女共用トイレに入って速やかに鍵を閉める。


 しかし、床を見ても何も落ちていない。そして備え付けられているゴミ箱の中は、先ほどは手を拭いた後のくしゃくしゃになった紙ゴミが大量に入っていたはずなのに、綺麗に空になっていた。


 そこであまねは、床に落とした生徒手帳がカラオケ店の掃除係の人に回収された、ということに気付く。


 美少女の格好をしたあまねは大急ぎで、鍵を開け、少女らしからぬ表情と動作でロビーに向かう。


 そして、ロビーから少し離れた所から、あまねは見てしまった。


 おそらくは精算を済ませたレイが、ロビーの女性店員さんから間違いなくあまねのものであろう生徒手帳を受け取っていたのである。


 レイは、店員さんからそのあまねの本当の性別が印字された手帳を受け取ると、それをノータイムで即座に開いた。


 それをロビーとは少し離れた場所から見ていたあまねは、何かがガラガラと崩れ落ちるような感覚が、心の中で起こったのを意識した。


 ――終わっちゃった。


 絶望的な感情と共に、あまねはそう心の中で思う。


 あまねがコミュニケーションアプリであるVINEヴァインで『ごめん、もう帰るね』とレイに送ってからメッセージを受信しないようにスマートフォンを機内モードに切り替えて、その相手に見つからないようにこっそりとカラオケ店から抜け出して行方をくらませ、夜の吉祥寺の街に消えていったのにはそれから間もなくのことであった。



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