裏庭の様子を直接確認しようと考えた莉緒は、式神達の姿を探して居間へと戻る。家の敷地内と言ってもさすがに暗い中を一人で見に行くのは怖い。どちらか一緒に付いて来てくれないかと。まだあの何かが彷徨っていたらと思うと、朝になってからの方がいいのかもしれないけれど。
「さっき、裏の方に何かが入ってくのが見えたんだけど――」
「うむ、今夜は複数のあやかしが屋敷の周辺をうろついているようだな。今はむやみに外へ出ない方がよい」
「複数って、あれだけじゃないんだ……?」
ムサシは大きな三角の耳をピクピクと動かして、外の気配を探っているようだった。ミヤビは割烹着を脱いだ着物姿で、座布団の上にきちんと正座して、湯気の立つ湯呑で食後のお茶を味わっていた。どうやら猫又には猫舌という言葉は通用しないみたいだ。
「あ、お父さんがまだ帰って無い!」
「商店街の打ち上げやったっけ?」
「そう、こないだ一次会で切り上げるようにって注意したところなんだけど、きっとまた最後まで顔出してるんだよ、きっと……」
父親はここ一週間ほど、駅前商店街のイベントで福引のアルバイトに借り出されていた。今日がイベントの最終日で、終わった後は各店主達が参加する打ち上げにも誘って貰えたと、今朝は上機嫌で出掛けていった。会場の後片付けなんかがあるにしても、最初の飲み会はそろそろお開きになる時刻。いつもの和史ならこの後の二次会にも喜んで付いてったはずだ。
けれど、つい先日に莉緒がこっぴどく叱ったのが多少は堪えたのか、それとも娘以上に口煩い猫又の存在を恐れてか、しばらくして玄関の方から調子外れな鼻歌が聞こえてくる。父が飲み会を途中で切り上げてくるなんて、莉緒の記憶の中では初めてだ。
「お父さん、帰ってみたいだね」と莉緒がホッとしたのも束の間、玄関前から「うわーっ!!」という和史の怯える声が響く。莉緒と式神達は揃って玄関へと駆け付ける。ちょうど今、あやかしが家の周辺をうろついていると聞かされたばかりだったから、嫌な想像が頭の中を駆け巡った。酔ってる隙を付かれ、父親が何者かに危害を加えられていたらと、嫌な汗が湧き出る。
バタバタと急いで家の外へ飛び出た莉緒は、庭先で腰を抜かして座り込んでいる父の姿を見つけた。周囲には特に何かがいる気配はない。けれど、和史は玄関前を指差して、ガタガタと震えていた。
「そ、そこっ、へ、蛇、蛇が……!」
父の指し示している方を振り向き見ると、玄関前の石畳の隅っこで、体長五十センチほどの蛇が緩やかなカーブを描いていた。慌ててたせいで出る時には気付かなかったが、赤褐色の縞模様に三角形の頭を持つそれは毒蛇のマムシだ。古い住宅と田園の多いこの辺りではたまに見かけることがあり、莉緒も小さい頃「三角の蛇には近付かないこと」と祖母からキツく言い聞かされた。
毒蛇が横たわる玄関から距離を置いて、恐る恐る様子を伺っていると、ミヤビが腕を伸ばして蛇の頭を捕まえて、ひょいと持ち上げて見せてくる。
「そんな怯えんでもええよ。とっくに死んでるわ」
「いやっ、生きてても死んでても蛇は勘弁……ミ、ミヤビ、早くそれをどこかにやってくれ!」
死骸だと聞かされても、和史はフルフルと首を横に振って「早く早く」と猫又を手で急かす。爬虫類が苦手な父は必死で蛇に視線を合わさないよう、片手で自分の目元を隠していた。莉緒もそこまで得意ではないけれど、父親ほどじゃない。勿論ビックリしたけれど、死んでるのが分かったら割と平静だ。
「何やボンは相変わらずヘタレやなぁ」
ミヤビは庭の隅に置いていた枯れ葉が詰め込まれたゴミ袋の中へ、蛇の死骸をぽいっと放り込む。次の燃えるゴミの日に一緒に処分するつもりなのだろう。いくら毒蛇だろうが死んでしまえば生ゴミの扱いだ。
夜行性の毒蛇が玄関前で死んでいた。それは別にありえないことではないけれど、今このタイミングでは疑わざるを得ない。
「……これも嫌がらせの一環、なのかな?」
「うむ、その可能性は高いだろう。あの蛇からは、あやかしの残り香がした。おそらく、狒々という妖猿だ」
「狒々……」
もう一度確認する為に、妖狐はゴミ袋へ頭を突っ込んで、蛇の匂いを確かめていた。毒蛇の死骸を運んで来たのが猿のあやかしだとすると、莉緒が窓から視たモノとはまた別になる。紙人形で追跡した侵入者は、そこまではっきりと姿を見ることはできなかったけれど、少なくとも白い着物を身にしていたのは確かだ。
驚いて腰を抜かしたままの父親を腕を引っ張って無理に起こし、二人と二体は家の中へと戻る。ほろ酔い気分で機嫌よく帰宅したはずの和史は、もうすっかり正気に戻ってしまったみたいで、「ほんと、蛇だけはやめてくれよ……」と青ざめた顔で呟いていた。
「首のない雛人形と藁人形。で、今は毒蛇……あと、裏庭にあるのは、なんだろうね?」
「まだ裏庭に何かあるのか?」
「うん、誰かが紅葉に何かを括り付けてるのを見た。紙人形を通してだったから、はっきりとは見えなかったけど」
莉緒の括り付けているという言葉に、また苦手な蛇を連想してしまったのか、和史がフルフルと首を横に振る。
「そ、それを確認するのは朝になってからでいいから! 今日はもう、早く寝る準備をしなさい!」