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1章…第14話

「…え?嘘…」


そこには、youというアカウント名と、未設定のアイコンが『おいしそうですね』と返信したとのお知らせが。



「専務…何してくれてるんですかね…」


交換したメッセージアプリで、さっきやり取りしたトーク画面を開いた。


裕也専務のメッセージアプリのアイコンは、SNSと同じく未設定だ…


『お疲れさまです。SNS、フォローありがとうございました。メッセージなんですけど、マズくないですか?』


送信すると、すぐに既読がつく。


『おいしかったね!…の方が良かったでしょうか?』


…いや、一緒でしょ。

てか親しげな方がより一層まずくない?


『いえいえ…やり取りしてるのを、会社関係にでもバレたら、マズいかと思ったんですけど』


『大丈夫ですよ。バレませんから』


結構大雑把な人なんだろうか…

本当に、掴めない人だ。裕也専務。


その後2〜3回のやり取りをしてメッセージが終わり、なんだか不思議な気持ちになる。


会社の上司…しかも女子人気のヤバいイケメン専務と偽装婚約者になって、SNSでやり取りしてるなんて。


先週はまったく知らない人だったのに、人生とは…どう転ぶかわからない…



その後、寝る前に確認してみると…裕也専務のSNS、今までの写真がすべて削除されていて、伝統うどんの写真だけが投稿されていた。


迷って…ハートを1つ送って、眠りについた。




専務のご実家への挨拶という重要ミッションがあっさり終わり、これまでと同じ毎日が戻ってきた。


変わったことといえば、夜バイトに行くダルさがなくなったこと、そして引っ越しを考えるようになったことだろう。



私の銀行口座には、裕也専務が振り込んでくれた大金と、両親の借金をチャラにした数字がしっかり残っている。


返済したあとのお金も残っているが、裕也専務はこれも報酬だからと、残金を受け取らなかった。


後は言ってたように、裕也専務に呼び出しを食らったら、買ってもらったスーツを着て会合に挑めばヨシ…という感じ。


すべて、順調に進んでいると思っていた。



なのに、裕也専務のご実家に挨拶に行って1週間が過ぎたある朝。



出社してみると、なぜか課内がザワついていた。



「本当だって…!裕也専務がこの階にいらしたの!」


「…てことは、部長室?」


「いや!課長も後から入っていったよ?」


裕也専務が秘書課近くに来た。

それだけで、秘書課は上へ下への大騒ぎになる。


それは皆、もしや裕也専務直属の秘書に任命されるかも…という夢を抱いているからだと聞いたことがある。


でも…すでに始業時間は過ぎているんですが…?


みんな課長がいないのをいいことに、噂しまっくっていた。


もしもこの噂の中に…裕也専務との偽装婚約の話が紛れ込んだらどうなるのだろう…


しかも、料亭に連れて行かれて実家に行って、かつての自室に入ってマイカーの助手席に乗ったなんて知られたら…


はりつけ火あぶりの刑…ってとこかな。



「皆そんなに気になるのかなぁ…裕也専務のこと」


隣の席の同期、柳くんがちょっと椅子を寄せて、私にだけ聞こえるように言う。


「う…ん、スゴい人気だよね」


柳くん…今日もとっても綺麗。

整えられた眉は緩くカーブしていて、お肌はヒゲなんて見えないツルスベのもち肌。


ふんわり石鹸の匂いがするし、口元に持っていった手も白くてとても綺麗。


「…なんか舞楽、顔、変じゃない?」


「…へ?ど、どこが?」


顔が変だなんて、聞き捨てならない。たいして可愛くも美人でもないって自覚はしてるけど、さすがに変はヤバい。


不安そうな顔を突き出す私にのけぞる柳くん。


「あ…ごめん、言い方間違えた!お目々のメイク、右だけしか完成してないよ?」


ふふ…っと柔らかく笑う柳くんは、私なんかよりずっと可愛いし色っぽい。


「え…じゃ直してよ!いつもの七つ道具、持ってるでしょ?」


皆の大騒ぎは続いているので、その間にやってもらうことにする。


柳くんは引き出しから道具を出して、右手の小指にパフを挟み、アイシャドウをブラシにのせた。


「できてると思ってたけど…左も悲惨だね。両方いじるよ?」


うんうんと頷き、立ち上がった柳くんに合わせ、少し上を向きながら目を閉じた。



…2人とも夢中になっていて、あたりの喧騒が静かになっているなんて気づかなかった。




「いったいなにを…しているんですか?」



聞き覚えのある低音ボイスと冷たい言い方。



「…あ、裕也専務…」


目を閉じている私より、柳くんの方が早く気付いた。


「…っ!?」


裕也専務?…

目を開けると、至近距離にやや目尻の上がった切れ長二重が迫っている。



「片瀬舞楽…君、ちょっと来て」


あ、敬語じゃない…

どうでもいいことに気づいてしまう呑気な自分を殴りたくなる。


なぜなら、秘書課の皆さんが、めちゃくちゃ私を見てる…

いや見てるというより睨んでる。


先を歩く裕也専務を追いながら、私は柳くんに「ごめんね…」と謝り、柳くんは「メイクは完成したから」と小さく返事をもらった。



秘書課を出て、急に静かになった廊下。


コツコツ響く裕也専務の革靴。

後ろから見た今日のスーツは黒。

ポケットに手を入れて歩く足は長く、その背中は広い。



専務役員室、と書かれたドアをノックなしに開ける裕也専務。

そこには、第一秘書の星野陸斗さんがいた。


「…専務、M社との約束の時間が迫っておりますが…」


「30分ずらしてください」


間髪を入れず言う裕也専務の、無謀とも思える言葉に、星野さんは嫌な顔1つせず「かしこまりました」と頭を下げた。


奥にあるドアを開けると、そこが専務の執務室らしい。


高級そうな革張りのソファにどかっと腰掛け、口を開いた。


「ちょっと…想定外の事態になりました」



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