「想定外…と申しますと?」
足の長い裕也専務は歩くのが早くて、私はここまでほぼ小走り状態。
ハァハァと息をあげながら聞いてみる。
ちなみに座っていいかわからないので、立ちっぱなし。
「両親がマンションを用意してしまいました」
マンション…とは?
「2人で住むためのマンションです」
「は…?」
「片瀬さんは、やはり相当気に入られてしまったようですね」
確かにその自覚はある。
つい話が弾んで、伝統うどんで小躍りした自分を今さら殴りたい…
「どうせ結婚するんだから、先に一緒に暮らしても問題ないだろう、と言われました」
「そう…ですか」
「もしかしたら…逆に、疑われたとも考えられます」
「…え?」
「やれるものならやってみな、ということです。偽装関係だとしたら、さすがに同居はできないと、試されているんですよ」
「そんな、ことが、あるんですか?」
「正直、うちの両親ならあり得ます」
実の息子が言うならそうなんだろう。
そうなんだろうけど…
「断る選択肢はない…と?」
「そうですね」
あっさり言って、私を見上げる裕也専務。
「…君のせいでもありますしね」
そこへノックの音が響いて、秘書の星野さんがコーヒーを2つ持ってきてくれた。
「専務…座らせてあげたらいいじゃないですか」
星野さんは裕也専務にそんな口をきけるんだと、少し意外な気持ちで2人を見た。
「…忘れてました」
促されて裕也専務の前に座ると、片方の眉を上げながら…視線が私の膝にいくのを確認した。
「そのスーツ、そんなに短いスカートでしたか?」
今日は裕也専務に買ってもらったグレーのスーツを着ていた。
スカートはタイトスカートで、座ると確かに短く見えるけど…
「ど、どれも女子のスカートは、こんなものです」
私は少し斜めに座り直し、足を横に流した。
星野さんが出て行き、裕也専務は足を組み替える。
「で、どうします?」
ここは好かれてしまった責任を取って、同居するしかないと思った。
疑われて偽装がバレたら…契約金はどうなる?
…それに、引っ越したくて物件を探していた。
正直、貯金残高が減ることなく、あのアパートを出られるならいいかもしれない。
その分、早く両親のお墓を建てられるし…。
「マンションに同居…しましょう」
…………
その週末、早速引っ越しをすることになった。
…とはいえ、私の荷物は段ボール一箱で十分。
「それだけですか…?」
リュックを背負い、みかんのマークがついた段ボール箱1つとボストンバッグを抱えた私を見て、裕也専務は驚きを隠さない。
「はい。冷蔵庫は備え付けでしたし、それ以外の家電はありませんでした。家具もなかったので」
1度私の部屋に入った事がある裕也専務にもそれは伝わったらしい。
どうぞ…とリビングに案内された。
そこは驚くほどの広さを誇る優雅な…とは程遠い、6畳ほどの広さのリビング・ダイニング。
すでに2人用のダイニングテーブルとテレビが入っていた。…その前には、丸いラグが敷いてある。
こじんまりしていて、とても落ち着く空間だ。
「部屋は…こっちです」
みかん箱を置いて、案内された部屋を覗くと、そこには黒いダブルベッドが1台。
その脇にデスクとチェア
雰囲気からして、ここは裕也専務の部屋みたい。
…案内は、それで終わってしまった。
「…え?」
部屋を出てリビングに戻り、もうひとつのドアを開けると、すぐに廊下。今入ってきた玄関が見える。
その脇にもうひとつドアがあった。
「ビックリしました…!1つしか部屋がないのかと思いました」
ガチャ…
そのドアを開けると…
「トイレと、お風呂、そして洗面台…?」
ドラム式洗濯機もすでに入ってる…って、そんなことはどうでもいい。
どこを探しても、他に空間らしきものはない…
「あの、私の部屋というものはないのでしょうか?」
後ろをついてきた裕也専務を振り返って聞いてみると…
ニヤリと笑って腕を組む。
「ないみたいですね。ここ、単身者用の部屋みたいで」
…………………
バカでかい冷蔵庫だけが、この部屋は2人暮らしだと教えている。
「ベッド…1つですね」
「そうですね」
家具や家電はすでに入っていたという裕也専務。
ソファくらい入りそうなのに、それを置いていないのが不思議だけど…
「両親の意図を感じますね」
「…え?」
「ちょいちょい様子見に来るかもしれません」
「それって…」
もうひとつベッドを入れたりソファを買ったり、無理やりダブルベッドを2つにぶった切って使ったりすれば、すぐにバレるということ。
「ソファはベッド代わりに使う…と思われますかね…」
「そうですね」
ということは、この黒いダブルベッドで、裕也専務と一緒に眠れということなのか?
「私はいいですよ、別に。君は小さくて邪魔になりそうにないし」
その言い方は、まるで私を「人間湯たんぽ」くらいにしか見ていないと言われているようだった…
「…私だって別に平気ですよ?」
裕也専務みたいな大人が、私みたいなちんちくりんに何か思うことなんて、あるはずないし。
「決まりですね。…これからよろしくってことで」
こうして私と裕也専務は、狭すぎる空間で、想定外の同居をすることになった。
…それがどれほど自分の心を乱すことになるのか、想像もできないほど、私は子供だったと実感することになる…。