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2章…第16話 プロローグの後の話

ぼんやり…専務に副業が見つかり、こうして同居することになった日々を思い出していた。


すると突然、激しい口調の英語が寝室から聞こえてきた。


「Do a job that matches your salary!!」


ハッとして、リビングの椅子から勢いよく立ち上がる…!


意味はよくわからないけど…多分給料に見合う仕事をしろ、みたいなことだよねぇ。


私にも聞かせるつもりで怒鳴ったんじゃないかと震える…



早朝のリモート会議は、出社前に自宅マンションで行われる事が多い。


デスクは寝室に置かれていて、ベッドはうまい具合に見えないよう配置されている。


流暢な英語を喋る専務の低い声が相変わらず聞こえて、時々声が大きくなるところを見ると、議論は白熱しているらしい。

…何を話しているのか、私には理解できないけど。



会議の間、私はリビングでこの後の専務の予定を確認したり調整したり、その他事務的な仕事をする。


あの後いろいろあって、私は今、裕也専務の専属秘書として働いている。


いろいろ…は後で振り返るとして、お昼ご飯をどうするか考えなければいけない時間になった。



…この分だと、ここでランチをしてから出社になりそう。

少し早いけど、準備に取り掛かることにした。


「わぁ…見事に卵しかない…」


冷蔵庫を開けて、口をあんぐりと開ける。


…朝食にスープを要求されて、さっき覗いたばかりの冷蔵庫。

卵しかないのはわかってるはずなのに、もう一度びっくりしてどうするんだ。


会議の間に買い物に行けば良かった…と思いついても、もう遅い。



「卵しかないなら、卵を食べれば、よし」


ここへ引っ越してくる前の一人暮らしを思い出す。

卵どころか、マヨネーズすら入ってない冷蔵庫だった。



パンは昨日焼いたロールパンがある。


そこで、ゆで卵を作ってみじん切りの玉ねぎと合わせて、たまごサンドを作ることにした。


そして玉ねぎを入れた卵スープ…って、これは朝作ったやつの使い回し…


専務に食べさせるには、あまりに質素なランチだなぁと思いながら、玉ねぎのみじん切りをはじめた。



「あー…疲れました…」


専務がネクタイを緩めながら寝室から出てきた。


そのままラグの上にあぐらをかいて座り込むので「あの…皺になりますし、埃も付きますから」と言って、リビングの椅子を勧める。


このマンションは1LDK。

2人で暮らすには少々狭い。


そして、ソファがない。

引っ越してきた時から、ダブルベッドはあったのに、ソファは置いてなかったのだ。


大人しくリビングの椅子に腰掛け、姿勢を崩してスマホを眺める専務。


その前にランチョンマットを敷いて、作りたてのたまごサンドと卵スープを出した。


「…朝のスープと同じですね?」


「あ…すみません。冷蔵庫に卵しかしかなくて…」


「買い物は下のコンシェルジュに頼めると言いましたよね?」


…聞きました。

聞きましたが、私は自分でスーパーに行って吟味して食材を買いたいタイプなのだ。


「今夜、帰りにスーパーに寄って帰るので、お車は専務お1人で…」


「それはダメだと言ったでしょう?」


2人でここに暮らしはじめて3週間。何度同じやりとりをしたでしょう…


専務は会社への行き帰りに専用車を使うので、専属秘書の私も乗るよう言われている。


それはありがたいことなのだけれど、イレギュラーは決して許されないらしい…




「いただきます」


あふれんばかりのたまごが顔を出すロールパンを口に運んだ専務。


溢れたたまごを気にすることなくモグモグしている。



「美味いですね、たまごサンド。…悔しいですが…ね?」


神経質そうに見えるのに、食べる時の専務はけっこう豪快。

量もたくさん食べてくれる。


私はスプーンを持って行って、溢れたたまごを見ている専務に渡す。



「…隠し味に梅干しが入ってます」


ちょっと自慢の種明かしだったのに、専務は片方の眉を上げ、上目遣いで睨んできた。


「…変な取り合わせはやめていただきたい」


「変じゃないです。美味しさをさらに引き立てるんですよ?」


一緒に暮らしはじめた当初は、専務は私に、料理をはじめとした家事をまったく求めなかった。


でも私は染み付いた貧乏性が抜けなくて、しばらくして自炊を始めた。

そこで、専務にお裾分けしたら…その日から食事の支度を契約に追加されたのだ。


私の料理が認められたみたいで嬉しくて、かなり張り切って料理をしたと思う。


「まぁ…料理は任せてるので、好きにやってください」


そこではじめて、私がテーブルの横に立ったままでいることに気づいたらしい。



「…なにをしているんですか?君もさっさと食べてしまいなさい」


「…あー…」


「…?」


「自分の分まで、パンはなかったので」


すでに3個目のロールパンをひとくち食べている専務。


作ってないと知った表情は、アホなんか?こいつ…と物語っている。



お皿に食べかけのたまごサンドを置いて…ズイ…っと私の方へよこす。



「残りは君が食べなさい。途中どこかに寄って、足りない分は買い足しましょう」


「え…いや、あの…」


「なんですか?…嫌だとは言わせませんが?」


ジッと私を見る専務の切れ長の目の中に、私をからかって楽しんでいる様子を見つける。


ちょっと悔しくなって、サッと専務の前に座り、食べかけのロールサンドを口に入れた。


ここに、専務の綺麗な唇が触れた…


間接キス…


…なんて思っちゃったら、顔から火が出るかと思うほど、一瞬で熱くなる。


専務はうっすら笑ってそんな私を楽しそうに見ていて…その表情は絶対サディスト。


意地悪して楽しんでるのがありありとわかる…!


意識しないようにパクパク食べて、味なんかわからないうちにお腹の中に落としてやった。


ニヤリと弧を描く口元と私を見下ろす視線。


そんな表情、同居し始めた時は何でもなく見返すことが出来たのに、今はとても無理…


お皿を洗いながら、私は同居生活が始まったばかりの頃を思い出していた。


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