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2章…第19話

さっきマンションで別れたばかりなのになぜわざわざ秘書課に…?


声をかけておいて急に黙ってしまった裕也専務。


しばらくの沈黙のあと、やっと口を開いた。


「…今日、花苗花壇の担当者が来るので、星野さんのサポートに付いてください」


「は…はい、かしこまりました」


花苗花壇とは…SAIグループのホテル内に飾られる花や観葉植物を卸す取引先だ。


季節ごとに、またリニューアルやイメージアップのために、花や植物を変えるのは、この会社ではよくあることだった。


確か今回は、春という季節柄、大がかりな花の変更があるらしいとは聞いていたけど…それにしても、私が手伝い…?


裕也専務は悠然と秘書課を出て行ってしまった。


そう言えば…ブルー系のネクタイと合わないと言ったダークブラウンのスーツは紺色のスーツに着替えたみたい。


髪を整え、ヒゲもなかった。

目が赤い気もしたけど、それ以外はキリッとした、いつもの裕也専務。


颯爽と歩いていく姿を目で追いながら…今朝のグダグダした裕也専務を思い出し、少しだけ笑ってしまった。



…この時の笑顔が良くなかったらしい。



「…なぜあなたのところに、直接裕也専務が来るの?」


1年先輩の成田さん。

裕也専務の特に濃いファンだと有名な人だ。


ツカツカとヒールの音を響かせ、私のすぐ前まで迫ってくる。

反動で私は、後ずさりしてしまった。


「どんな手を使って取り入ったのよ?!」


「取り入るなんてそんな…私は何も」


何もしていないのは本当だ。

ただ、許されていない副業が見つかって、お咎めとして偽装婚約者の契約を結んだだけ…


…って、こんなこと言えるはずない!




「…あ、の…」



いつの間にか先輩たちに詰め寄られてしまった…

課長はさっきの裕也専務のひとことで、星野さんに連れて行かれてしまったし、男性社員は知らん顔。


「あんたみたいなダメ社員が…」

「たいして可愛くもないくせに」

「汚い手を使って取り入るなんて」



「…痛っ…!」


尖ったヒールのつま先で、スネを蹴られたようだ。

思わず声を上げると、サーッと詰め寄った人たちが散っていく。


「ダイジョブ…?舞楽…」


柳くんは人垣の外側にいてくれたらしいけど、なかなか中に入れなかったみたい。散ってゆく人たちと反対にそばに来てくれた。



「え…これ、シャレにならないじゃん…」



確かに、スネにハッキリ赤紫色のアザができている。


「…ちょと、これひどくないですか…?」


柳くんは今散っていった人達に向けて声を上げてくれた。


「柳くん…いいから」


彼の腕を引っ張って、デスクに座ろうと声をかける。


「なんで…?だって舞楽はここにいただけで、裕也専務の方から来て、手伝いを頼んでいっただけなのに…」


「でも…異例だからね。裕也専務直々に、しかもわざわざここに来て、本人に直接指示を出すなんて変だもん…」


「…舞楽、なんかあったの?裕也専務と…?」






ビー玉みたいな澄んだ瞳の柳くんに、私は嘘をつけなかった…。


………………

   …………………


「マジか…そんな話が実際にあるなんて…」



お昼休み。

私たちは1階にあるコンビニで、パンとお惣菜を買って秘書課で食べることにした。


社員は1人残らず外に食べに行き、オフィス内は昼休み、一番人の目も耳もない場所になる。


「私も驚いたのなんのって…」


柳くんには、両親の残した借金を返すために内緒でホステスのバイトをしていることは伝えてあった。


そこに裕也専務がやって来て、呆気なく御用となり、懲罰の代わりに偽装婚約者になったことを極秘で教えた。


「…あの裕也専務と偽装契約とはね…?!」


頬杖をついて見つめる柳くん。

ビー玉の視線をウロウロさせた。



「実は、昨日から同居まですることになっちゃって…」


「へ?…ウッヒャァ!」


「ちょっと!変な声あげないでよ…!」


慌てて口元を押さえる柳くん。

買ってきた豆乳を飲んでもらって、少し落ち着いたところで経緯を話した。


「…舞楽、なかなかやるじゃん!」


「やるも何も、必要に迫られただけだよ?契約金で借金返せたんだから、バレないために同居するしかないでしょ?」


ボロアパートを出たかったこと、それから両親のお墓を建てるのに、一旦住まいが見つかって良かったと話した。



「…うん…でも、同じベッドに女の子と2人だけで寝るって…男の人にはちょっと過酷なんじゃない?」


柳くんは自分にはわからないけど、と言って、男友達の話をしてくれた。


…柳くんは生物学的には男性ながら心は女性で、恋人も男性という人。

だから私とは、同期という関係を超え、女友達と同じような付き合いをしている。


可愛くて綺麗で、おしとやかで大人で…何度助けてもらったかわからないほどお世話にもなっている柳くん。


オマケに口が固く、絶対の信頼を寄せる親友なのだ。


会社では、一応男性社員として籍を置いているので、誤解されないよう距離感には気をつけている。



「…裕也専務みたいな大人の男の人が、私みたいなちんちくりんに何か感じるはずないって…!」


ふーん…と言って、意味深な視線を向ける柳くん…



「それにしても…裕也専務がわざわざここ来るっていうのも変だよね」


ちょっと焦って話題を変える。 

柳くんは意地悪しないで、こちらの意図を汲んでくれた。



「自分のもの…ってひけらかしたいとか?」


「ううん。会社関係者には言わないって。半年くらいで別れる設定だし…」


だから社内では、なるべく顔を合わせないようにしておいたほうが安全なのに。



「…午後から花苗花壇でしょ。椅子の上に画鋲がばら撒かれないか、気をつけて見ておくから!」


柳くんとの話が終わりかけた頃、星野さんから内線で呼び出しがかかり、私は専務役員室へと向かった。


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