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2章…第22話

「…覚えていません。まったく」


目を覚ました裕也専務に昨夜の様子をかいつまんで話してみたものの…平然と記憶がないと言われた。


あれ?私の夢だったのかしら…

でも、ラグの上に丸まったバスタオルが置きっぱなしで、やっぱり現実だったと思い直す。



「寝不足のうえに、昨日は花苗花壇の接待があって、完全に悪酔いしましたね」


昨日あんなに意味不明に笑い、私の名前を連呼したポンコツぶりが嘘みたいに…隙がない…





「…別に謝って欲しいわけじゃないけど…いきなり酔って帰ってきて、対応が大変だったんだから…!」


ブチブチ独りごちながら、洗面室でメイクとも言えないメイクをして、頬の絆創膏をそっと貼り直す。




「…その傷、ワケありですね?」


足音もなく鏡に映るから、『ギャっ!』と変な叫びをあげてしまう…!


「いえ、これはその…」


言い淀む私の指を、裕也専務が優しく取った。

そしてなにも言わず、消毒して新しい絆創膏に貼り直してくれる。


緊張して…指先が冷たくなるのがわかる。反対に、裕也専務の手は温かい。


綺麗に張り替えた私の両手を片手で包み込み、もう片方の手で、頬の絆創膏に触れる。


「…決めました」


何を…?と聞き返す前に、裕也専務に抱き寄せられたことを知り、声が出なくなる。


「可哀想なことをしましたね。申し訳ない…」


優しい声と、頭を撫でる大きな手。

自分が秘書課へ行って私に声をかけたことが、この傷の理由だとわかっているようだ。


「近く、辞令を出します。片瀬さんはそれに従ってください」






出社して…早速柳くんに見つかった。


「どうしたの、顔!?…指も?え…4本…」


右手と左手、それぞれ薬指と中指。


簡単に状況を話すと、柳くんが更に驚いた表情になる。


「それ…傷害じゃん。ちゃんと上司に報告しないと」


「うん…でも証拠ないし」


「給湯室に監視カメラなんてないしな。…成田さん、それを狙ったんじゃん?」


…そうかもしれない。

成田さんは、人を傷つけてでも、裕也専務を取られたくなかったのだろうか。


そんな激しい思いを抱いたことがないからわからないけど…どうせなら、相手を思いやる愛のほうがいい。


そう思うのは、私がまだ子供だからなのか。



「裕也専務、ちょっと自分のせいだって自覚あるみたいで、何かしら手を打ってくれそうなんだ」


近く辞令を出すと言っていたことを話すと、柳くんがやっと納得した顔になった。


「成田さん、とんでもない僻地へ移動させられるんじゃないの?」


柳くんは悪い笑顔で言うけど、そんなことになったらまた騒動が起きそうだ…。



やがてお昼休みを挟んで午後の仕事が始まる頃、掲示板のあたりに社員がたくさん集まっているのを目にした。


なんだろうと覗いてみると、なんとそこには…







辞令 

秘書課 片瀬舞楽

2025年4月1日付で専務取締役専属秘書に任命します。






専務の…専属秘書…?!


私はこっそり、人だかりから抜けた…





柳くんも貼り出された辞令に気づいたらしい。


デスクで呆然とする私に「…お祝いって雰囲気ではなさそうだね」と言葉をかける。


「…私が移動するんだ…」


「うん…なんか寂しくなるけど…」


「え…寂しい以外に何があるのよ?!」


ダメダメな私を、いつもこっそり助けてくれた柳くん。

特に入社してすぐの頃は、両親が亡くなって日も浅かったこともあり、精神的にいっぱいいっぱいでミスも多かった。


そんな私をいつも励まして優しくしてくれて…柳くんがいなかったら、会社を辞めていたかもしれない。



「裕也専務がいるから大丈夫かなぁって…」


「そんなことないよ…!裕也専務はあくまでも上司だし、いつも敬語で距離あるし…」


…でも昨日、酔ってたからか、敬語じゃなかった。


「それに…意地悪だし…」


でも今朝は抱きしめて眠ってた…

絆創膏も貼り直してくれた…


「それに…不思議な人だし何考えてるかわかんないし…」



柳くんは文句タラタラの私に、なぜか楽しそうな笑顔を向けてくる…。


「仕事ではあんまり会えなくなるけど、プライベートで会えるじゃん!たまにはランチ行こうよ!」


「うん…」


「それに…この後の2人が気になるし!」


「なにこの後の2人って…」


意味深な笑顔を見せる柳くん。

私はそんな彼に、首をひねるばかりだった。





「これは…いったい」


「ケーキです。イチゴのケーキ」


私より2時間ほど遅れて帰宅した裕也専務が、ピンクと赤の可愛らしい箱を私に突き出した。


「昨日のお詫びです」


「酔って帰ったこと、思い出したんですか?」


「えぇ。そういえばここに寝てましたからね」


ラグを指さし、苦笑する裕也専務。

その視線がこちらに向いたので、私はケーキの箱を持ったまま少し顔が赤くなるのを感じた。


「わ、私も、すみません…」


「は?」


「朝方ですか?ベッドに戻ってくれましたよね?…私も寒かったからか、意識せずに抱きついたりしちゃって…」



「いいですよ。ベッドではお互い、抱き枕みたいなものでしょうから」



抱き枕…という言葉に、少しだけ胸が痛んだ。



「辞令は、見ましたか?」


「はい…専務専属秘書って…」  


「私が君に直接声をかけたせいで、いらぬ嫉妬を買ってしまったようですね」



私は何も言わなかったのに、わかってたんだ…


「誰の仕業か、言わないんですね?」


「言わなくても、そういう人にはいずれ罰が下ると思います」


「そんな目にあって…普通ならここぞとばかりにアピールしてくるものですけどね」


「アピール…ですか?…」


「痛い、怖い、悲しい、辛い。…私を守って…ってね」


「…そんなこと、考えたことありません」


私の返事にフッと笑って、裕也専務はネクタイを解きながら寝室へと入っていった。



「夕食は食べましたか?」


部屋着に着替えた裕也専務、キッチンにいる私に声を掛ける。


「あ!キッチン、使わせていただきました。それで…野菜スープを作ったんですけど…」


お肉を焼こうと思いながら、豚肉か鶏肉か迷っていた。


「お肉を焼くので、お好みを教えていただけたら…」



「あぁ、私の分はお気遣いなく」



携帯を操りながら、薄手のコートを着た裕也専務。…もう一度出かけるみたいだ。



「食後にケーキ、食べてくださいね」


裕也専務はそれだけ言って、私の返事も待たず、玄関を出て行ってしまった。


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