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2章…第24話 Side.裕也

「専務…っ腹筋割れ過ぎでしょ…?」


会員制スポーツジム。

第一秘書の星野さんと、週1のトレーニングに来た。


「そっちこそ…腕太すぎ…っ!」


「…ん、あと、10回…!」


マシンを使ってのトレーニング。終わってお互い汗だくになった。


タオルで首のあたりを拭い、俺は腹筋を、星野さんは腕の筋肉を眺める。



「…最近、トレーニングのあとはしっかり労らないと、筋肉痛起こすんですわ」


いつものように地下の温泉施設に向かいながら、星野さんは「30過ぎるとしんどい…」と自嘲気味に言う。



「俺と3歳しか違わないくせに。まだ32でしょうよ」


人がいないのをいいことに、2人でザブン…と豪快に温泉に入った。



「あんまり早くジジイになってもらっちゃ困るんだけど」


「よゆーでしょ。…いい新人、配置したんだから」


星野さんに意味深な目で見られた。

片瀬舞楽のことか…。



「専属秘書のこと?確かに若いですけどね」


「…彼女は?置いてきたんですか?」


「置いてくるでしょ。…トレーニングなんだから」


「俺が誘わなかったら、来たくなかったくせに…」


「そりゃあまぁね。…ちょっと寝不足なもんで」


…また意味深に笑われた。


腹が立つので、わざとお湯をひっかけてやると、星野さんもやり返してくるので収集がつかなくなる…



星野陸斗。彼は俺の第一秘書であり、実は母方の従兄弟でもある人だ。


名字が違うので、社内で知る人はほとんどいない。


陸斗は、俺が信用できる数少ない人間で、仕事もプライベートも、俺のほぼすべてを知っている。




片瀬舞楽とのことを打ち明けたのは、彼女が不審なケガをした日だった。



「…秘書課の成田。あの子、入社早々すごかったよな」


陸斗はのんびり言うが…

あの日の夜、すでに犯人を突き止めていたのだから、さすがというか、仕事が早いというか。


報告を受けた時、成田…と聞いて、バレンタインと誕生日に役員室までプレゼントを持ってきた社員を思い出した。


「当時、まだ新入社員のくせに、裕也を狙う女豹みたいな子で。まずは色気より仕事だって諭したのを覚えてるよ」


確かに。

彼女を採用した人事部は大丈夫なのか、常務に確認した。



「それにしても…あんなケガをして、誰にやられたとか訴えもしないなんて…なかなかめずらしい子じゃない?」


「まぁね。あの後俺にも言わなかったし…それに…」


「それに?」


タオルを頭の上に乗せ、足を伸ばしている陸斗が、とてもリラックスして見えたのでつい言ってしまった。



「俺に、何も要求しないんだよな」


「…あぁ、そういうこと」


何を納得したのか。

俺はタオルで顔を拭く陸斗を見た。





「裕也は要求されてばっかりだったもんな」


風呂から上がり、ラウンジで生ビールを煽りながら、さっきの話の続きをした。


「女って、そういうもんだと思ってたから…」


舞楽と出会ってまだ1ヶ月もたっていないが、それが1番意外だった。


俺は「SAIリゾート株式会社」という、それなりの大企業の跡取りなのに、何も…要求しない。


初めて会った時は、店に高い酒をキープさせるわけでもなく、有無を言わさず連れて行った寿司屋でも高いネタどころか…お茶で我慢する気満々だった。


服を買いにブランドの店に連れて行っても自分で払おうとするし…あぁ、創作和食に連れて行った時は、なんだか不思議な一品料理を頼んでたな…


あの時、食べながら美味すぎて泣いていたのを思い出し、つい笑ってしまった。



「…なに?思い出し笑いかよ?…スケベだね…!」


「そんなんじゃない…!だいたい、同じベッドで寝てるったって、指1本触れてませんよ?」


言いながら、嘘をついた…と思った。


酔って帰ってラグの上で寝てしまった俺に、舞楽が布団を譲ってくれて…寝室で薄い上着をかけて寝てる彼女を温めてやろうとベッドの中で抱きしめた。


…女の温もりなんて、忘れてしまいたかったのに、舞楽はそれを…俺に思い出させた。



「…わからないよな、これから」


「なにが…?」


「女なんて。舞楽だって、これから何を要求してくるかわからないだろ。ベッドでもそうだよ」


「裕也、お前…」


「メス犬よろしく、尻尾を振ってくるかもしれない」


…俺はそう思ってる、と付け加えると、陸斗の眉にシワが刻まれるのはいつものこと。



「俺はこのままの舞楽に…1万円」


難しい顔をしているのに、そんな賭けに出る陸斗を笑う。


…ふと、同じ秘書課の若い男性社員のことを思い出した。

今時の男の子…といった雰囲気の、確か柳という名前だった。



「…まだまだわからんぞ。片瀬舞楽が何者かなんて…」



肩を寄せ合ったり手が触れ合ったりしても、平然としていた彼女。


なぜか感じる軽い苛立ちをごまかすように、俺は目の前のビールを飲み干した。


…………


「…あのジムの温泉で使う石鹸ってさ…」


早井さんが俺のプライベート車のハンドルを握り、先に陸斗の家に向かう。



「妙にいい匂いじゃない?…俺いつもビクビクするんだけど」


陸斗の嫁は、俺も知ってる幼なじみ。

つい半年前に結婚したばかりで…実は彼の結婚は、俺にも大きな影響を与えた。



陸斗を降ろし、俺のマンションに向かってもらう。



「早井さん、明日は午前休を取ってください。今日は遅くなったので」


「ありがとうございます。では、明日の迎えは別の者に申し伝えておきますので」


…バックミラーに映る早井さんの穏やかな笑顔に頷き、車を降りた。

早井さんはここから、車を乗り換えて帰宅してもらう。


いつものように、車体の脇に綺麗な姿勢で立ち、俺を見送ってくれた。



…エレベーターを待ちながら、俺にも石鹸の匂いがついているのか、ほんの少し、気になった。


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