昔の写真だからいい、と言うけれど。自分に似た人がクシャッと丸められてゴミ箱の底に沈んでるのは気になるもので。
でも裕也専務はまったく気にせず、上からコーヒーのカスやら何やら捨ててしまい、写真はあっという間に見えなくなった。
「あの写真の女性は…裕也専務の元カノですか?」
写真が見えなくなってもなんとなく気になって、ある夜ベッドの中で、思い切って聞いてみた。
聞いていいものかどうか、迷いながら。
「…何を言い出すかと思えば。そんなにあの女性が誰か、気になります?」
呆れたような口ぶり。
「…いえ、そういうわけでは…」
…とっさに否定しようして、被せるように言葉が繋がれた。
「君、俺に興味があります?…それともすでに、好きだと自覚してますか?」
挑発するような視線…横向きにこちらを向くので、自然と私との距離が縮まる…
「ど…どうしてそんなこと言うんですか?」
とっさに、契約金の返還…と思って慌てた。
裕也専務を好きになってはいけない約束。私はそれを、破りかけてる?
「好きでもないのに、キスもハグもしないでしょうし」
「それは…ご両親をきちんと信じ込ませることが、私の役割だと思ってましたので…!」
…そのわりには、いつまでも会長夫妻はやって来ないけど。
強い視線はまったく怯まない。
軽くパニックで、シドロモドロになった。
「そうですか…じゃあ…はい」
目の前で、意地悪な切れ長二重が閉じられる。
これは…キスをしろという合図。
写真のことを聞いたのに、うまくはぐらかされた…
そう思いながら、裕也専務の胸に手を置く。
『好きでもないのにキスもハグもしないでしょう…』
今言われたことが頭の中に渦巻いて、すごく意識してしまう…
…キスなんて、抱きつくなんて…そんな甘え方、聖にもしたことないのに!
「…ヒャアっ!」
胸に置いた手を突然引き寄せられ、突然がっちり抱きしめられた…!
「遅い…」
頭のすぐ上で聞こえる低い声。
「…す、すいませ…」
言い終わらないうちに、裕也専務はいつかみたいなキスを落とす。
私は頬にキスをしてたのに…
「口、開けて…」
「…っ?!」
呼吸困難の金魚みたいな顔になってる気がして…私はギュッと目を閉じて、唇を少し開いた。
すかさず…侵入してくる熱くて滑らかな舌…
なんで…
どうしてこんなに気持ちがいいんだろう…
裕也専務のキスは、私から考える力を奪っていく…
「舞楽…」
吐息紛れに名前を呼ばれて…キスは、終わりをつげた。
裕也専務の腕は緩まなくて…私は温かいぬくもりの中で目を閉じた。
これ以上安心する場所なんて、どこかにあるんだろうかと、うっすら…考えながら。
「…本日の予定を申し上げます。9時より、会長がお見えになります。
その後、SAIリゾート那覇の総支配人と、昼食を取りながら会議となります」
「ちょっと待ってください。昼メシを食べながら会議?」
専用車で会社に向かいながら、いつも通り1日の予定を伝えると、途端にかかるストップ。
「はい。那覇の総支配人は、夜には戻らなければならないということで」
「…せめてランチは1人か2人で食べたいですね」
「…2人…ですか?」
「…君とね?」
さぁぁ…っと顔に熱が集まるのがわかる。
運転席で早井さんが軽く咳払いした。
「あ、早井さんが付き合ってくれます?俺のランチ」
「喜んでお供いたしますが…やはりここは、片瀬さんのほうがよろしいかと思います」
律儀に答える早井さんに向かって笑った顔を私に向けるので…どうしたらいいか、目を泳がせながら続けた。
「午後には、株式会社ヨシナリの、吉成健人社長がご来社です」
「…吉成?」
笑った顔が、突然引きつったように見えた。
…………………
「なんとなく違うんだよなぁ…」
「…何が、ですか?」
「裕也専務。舞楽ちゃんが来てから、雰囲気が優しくなったっていうかさ」
「そんなことないと思います。十分…怖いです」
裕也専務が自社ホテルの総支配人と会議をしながらランチを取っている間、私は愛妻弁当を広げる星野さんと向かいあって、買ってきたパンを食べていた。
「あの…裕也専務って、本当に恋人…いないんですか?」
どさくさに紛れて聞いてみると、箸から力が抜けたように、玉子焼きを落とした星野さん。
「…今はいないらしいよ。そりゃそうでしょ?舞楽ちゃんに婚約者を頼むんだからさ」
今はいないけど、以前はいた。
そりゃそうだよね、あんなカッコいい人。しかも御曹司というオマケ付き…。
恋人がいたのはいつ頃なんだろう…そして、どうして別れちゃったのかな。
「裕也専務が回避したかった政略結婚のお相手って、ご存じですか?」
恋人のことなんて聞けなくて、自分に関係のありそうなことに、質問をすり替えて聞いた。
「…それがまったくわからないんだよね。それらしい家に年頃の娘もいないしさ。会長はいったい、誰と裕也をくっつけたかったんだろうな?」
さっき落とした玉子焼きを口に運ぶのを見つめながら…
私は自分の心の変化に気づかないふりをするのは無理だと思っていた。
あれから…寝る前のキスは裕也専務からになっていて、逃げ場をなくしたのをいいことに、しっかり抱きしめられて眠るようになった。
それが、まったく不快じゃないから困る…。
自分を好きになるなと言いながら、キスなんかしたら、相手の恋心を誘うって予想できないのだろうか…
…何をどうあがいても、もう遅い。
私は、裕也専務が好きだ。
…その夜、裕也専務は大学時代の同期と約束が入ったということで、私は定時で退勤するよう言われ、久しぶりに電車で帰路についた。
するとしばらくして、玄関のドアが開いたので驚いた。
リビングに入ってきたのは、夕方来社した方と裕也専務。
「先ほどはどうも!株式会社ヨシナリの、吉成健人です」