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2章…第33話

「こ…こちらこそ」


なんと言っていいかわからず、差し出された名刺を受け取った。



「裕也とは大学の同期でね?」


長めの前髪をかきあげる吉成さん。


裕也専務が言ってた約束とは、吉成さんとのことだったと納得した。



「だから…一緒に暮らしてるって、言ったろ?」


「あぁ…しかし意外だったなぁ。そんなに気に入っちゃったわけ?…ひとめぼれ?」


「そういう…わけではない」


なんの話をしているんだろう…

私は婚約者ということで話されてる?


曖昧な笑みを浮かべて立っていると、裕也専務が「ビール。それからツマミを少し作って」と言ってテレビの前のラグに腰をおろす。



「なんか裕也、亭主関白?らしくないじゃん…!」


終始楽しそうな吉成さんもラグに座った。


長い足をあぐら状に折りたたむ裕也専務、少し窮屈そうだ。こんな時のために、ソファがあるといいのに、と思う。


とりあえず言われた通りビールを持っていき、きゅうりと大根、人参の味噌マヨスティックもすぐに出した。



「おぉ〜…!すぐにツマミが出せる子、いいねぇ!それに比べてうちの真奈なんてさぁ…」


「なんだよ。愚痴なら聞かないぞ」


吉成さんにビールを注ぎながら牽制する裕也専務。



…マナ、という名前に覚えがあった。あの写真に書かれていた名前だ。


うちの真奈…ということは、吉成さんの奥様?



冷蔵庫から卵を3つ出してだし巻き卵、大根おろしを添えて。

牛肉の薄切りは玉ねぎと一緒にガーリック炒め。

キャベツと紅生姜、揚玉とピザチーズ、そしてブタバラ肉で簡単お好み焼き…


出来上がるそばから出していたら、あっという間にガラステーブルいっぱいに料理が広がった。



「あ…もう少し、さっぱりしたものも、作りますね…」


わかめときゅうり、それからカニカマもあったから、三杯酢で酢の物なんていいかもしれない。


無心で料理をしていて、声をかけられたことに気づかなかった。



「その料理ができたら、グラス持ってきて、一緒に飲もう」


見ると吉成さんは携帯を耳にあてながらベランダに出ようとしている。



「あの、私は婚約者のフリをすればいいですか?」


ここにいる以上、ただの秘書であるはずないと思われるのはわかっているが、一応確認しておかないと不安だ。



「うん。恋人で婚約者。よろしく」


はい…っと言ってから気づいた。

裕也専務のいつもの敬語が崩れてる…





「ごめんねぇ…舞楽ちゃんをこの男に売ったのは俺なんだわ〜…」


吉成さんはあまりお酒に強くないらしく、2本めのビールを開けた時にはかなり顔が赤くなっていた。


私が副業していた「LUNA RUNE」は、吉成さんが経営するナイトクラブだという。



「書類整理してたら、舞楽ちゃんの履歴書に目が止まってね?すぐに裕也の会社の子だってわかって知らせたんだよ。…バレて怒られるの俺だからさ!」


…バカ正直な私は、履歴書に「SAIリゾート株式会社」の名前を書いてしまっていた。



「すみません…副業禁止の会社だと知っててバイトして、ご迷惑おかけしました…」


アハハっと明るく笑う吉成さんに、私は頭を下げて謝罪した。



「でもそれが縁で2人がこんなふうになるとはね!俺も驚いたよ」


その時不意に思い出した。


「LUNA RUNE」での源氏名が「マナ」だったこと。


…その後は他愛のない話をして、私の作った料理を綺麗に食べ終えてから、吉成さんは腰を上げた。



「…いいよ、うちの車が迎えに来てるから」


玄関先で、ここでいい…と言う吉成さん。

千鳥足で少し危ない気がする。


でも裕也専務は「そうか、気を付けてな」と言って、早々にリビングに戻ってしまった。


私はドアが閉まる瞬間まで見送ってからリビングに戻る。すると、ベランダに続く窓が開いているのか、カーテンが揺れていることに気がついた。


そっと覗いてみると、裕也専務はタバコをくわえ、両手をスラックスのポケットに入れて、遠くを眺めている。


私にはわかった。


あの視線の先には、大通りが見えること。


まるで吉成さんを遠くから見送っているようで…その時の裕也専務の気持ちが、この時はまだ…わからなかった。





「今日は急に…申し訳なかったですね」


洗い物をしている私のそばに来た裕也専務からは、ほのかにタバコの匂いがする。


2人になれば、また敬語に戻るんだな…



「いえ…でも、驚きました。

LUNA RUNEのオーナーが吉成さんだったなんて」



「食洗機、使わないんですか?」


急に話が変わって、ふと裕也専務を見上げてしまう。



「なんとなく…クセで手洗いしちゃって…」


最後のお皿をすすいでマットに上げると、裕也専務が水道をひねって水を止めた。



「あとはやっておくので、先にお風呂に入りなさい」


そう言われて気づいた。

裕也専務だってずっとスーツを着ていて疲れただろう。



「私は後でいいですよ。裕也専務こそ先に…」

「一緒に入りますか?」


は…?

またからかわれた、と思ったのに、その顔は意外と真剣なまなざしで…



「俺、15分後に入っていきますね」


意地悪な笑みを浮かべて、キッチンタイマーをかけた裕也専務。



「ちょ…ちょっと待ってください!」


慌ててお風呂に入って慌てて出てきたのは…言うまでもない…!


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