吉成さんがマンションに来た時の裕也専務の振る舞いが、なぜかずっと気になっていた。
吉成さんの奥様は真奈さんという名前で、寝室で拾った女性の写真の裏に書かれていたのもマナ…
そして、美波も一瞬間違うほど、写真のマナさんは私に似ている…。
マナさんと真奈さんは…同一人物?
もしそうなら、どうして吉成さんの奥さんの写真がこの部屋にあったのか。
なぜこんなに気になるのかといえば、私の知らない祐也専務を知ることが出来そうだからに他ならないわけで。
吉成さんがマンションに来てから、裕也専務からのキスは途絶えていた。
当然、抱きしめられることもなくなり…その理由も関係があるのか知りたかった。
本当は、とても寂しくて。
でも、好きな人と一緒に眠れるなんて、本当はとてもレアな幸せに違いない事はわかってる。
だから…おやすみなさいと言い合ったあとは、フットライトの柔い明かりを頼りにその横顔を盗み見て、すぐ隣に眠るぬくもりと香りを抱いて目を閉じ、まどろんでいた。
なのに…今夜は、なかなか寝つけない。
起こさないように気をつけながら、そっと寝返りを打った。
「…眠れないですか?」
すぐ隣から低い声が聞こえて、驚いて変な叫び声をあげてしまう。
「裕也専務も起きてたんですか?」
「…本当にあった怖い話でもしてあげましょうか?」
「…へ?」
「昔々、あるところに…」
「ちょ…ちょっと待ってください…後でトイレ行けなくなるので…」
慌ててトイレに行く私を、声を上げて笑う裕也専務。
「お待たせしました…」
枕をクッション代わりにして、ベッドヘッドに寄りかかる裕也専務の隣に滑り込む。
「…ある女性に恋をした男がおりました」
さっきの昔々…から続いているみたいだ。
「男は女性に、衝撃的な話を告げられるのです」
…恋…?
恋で、怖い話?
私は裕也専務の顔を覗き込み、まっすぐ前を向いた視線を捉えた。
「女性は、男に明るい笑顔を向け、嬉しそうにこう言いました」
…視線がふと、下を向く。
「結婚するの。吉成くんと」
「…え?」
「俺…吉成の奥さん…真奈のことが、ずっと好きだったんだ…」
それは、思ってもみないほど、私に強い衝撃を与えた。
「…なに言ってんだ、俺…」
敬語が崩れてる。
それは、裕也専務が動揺した時に現れやすいって、知ってる。
吉成さんは大学の同期って言ってた。真奈さんという奥さんと、3人は共通の知り合いだったのか。
何か、言わなくちゃ…
「…辛かったですね。好きな人が友達と…結婚してしまうなんて」
言いながら、涙が溢れていたらしい。
「なんで君が泣くの…」
いっぱい涙が溜まって、ほんのり明るい室内がぼやけて、視界に入ってきた裕也専務の顔も判別できない。
「なんで…でしょう」
私にもわからない。
ただ、意地悪でクールでサディストで、ちょっと変人なあなたを…
こんなに寂しそうにさせる人がいた事が…ショックだったのかもしれない。
おやすみなさい…と言って、布団にもぐったのは私の方が先。
裕也専務は何か言いたそうに布団を剥ごうとしたけど…今の私にこれ以上話の続きを聞くことはできそうもない。
「…いい?あさイチだからね?…絶対っ!寝坊しないでよ?」
裕也専務の告白から数日過ぎた週末、美波イチオシの美容師さんがいるという人気の美容室に行くことになった。
何でも腕が良すぎて予約がなかなか取れないカリスマらしいが、美容室の場所を聞いて驚いた。
「ずいぶん遠い場所にいる美容師さんなんだね…『海の見える美容室』お店のネーミングセンスは好きだけど…!」
「だから朝早く出発するの!…せっかくだから、終わったら美味しい海鮮でも食べて帰ろう!」
カリスマ美容師さん、名前を霧島美亜さんというらしい。
最近まで銀座でお仕事をされていたらしく、美波はその頃から通っているという。
「でね、舞楽の事情を少しお話したわけよ。そしたら、イメチェンしたら着たい服も持ってきてくれれば、そのへんのアドバイスもしてくれるっていうのよ!」
それはなんというありがたい申し出…!
私はウキウキしながら当日を待った。
金曜日の夜、会食に同行して、帰宅する車の中で言った。
「美波と出かけるので、明日1日留守にします。…家事をサボりますが、すみません」
「そうですか。家事をサボるとは…ペナルティを考えておくのでそのつもりで」
ハッとして横にいる人を見ると、安定の意地悪な表情で私を見下ろしている。
ホント…どこまで本気なのか、読めない人だ。
そんな裕也専務の好きだった人、真奈さん。
…写真のマナさんと同一人物かは聞けていない。
もし、そうだと言われたら…
私が今ここにいるのは、真奈さんの身代わり…という説が浮上する。
だからこそ、早くイメチェンしたかった。
本当は、そのへんの美容室に飛び込んで…写真のマナさんと同じ黒いストレートの髪をバッサリ切りたい。
私は舞楽だ。
似てるなんて、少しも思って欲しくない。
翌朝、まだ眠る裕也専務の寝顔にうっかり見惚れつつ…そっとベッドを出て支度をする。
朝食にトマトスープを作って…焼きたらこのおにぎり、玉子焼きとタコさんウィンナーをトレーに盛った。
「…自分でも食べるから、ついでだし。それに…ペナルティを軽くするために、作っただけだもん」
誰に言い訳してるのか…。
私は『良かったら食べてください』のメモを残し、玄関を出た。
…実は、私が起きるよりずっと前に目が覚めていた裕也専務が、私の寝た跡を抱きしめるようにうつ伏せになっていたなんて…
この時の私はまだ知らない。