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2章…第36話 Side.裕也

「…はぁ?」


…慣れないことはするもんじゃない。


鍋の中でグツグツいってる2人分のクリームシチューらしきものを見おろして、ため息をついた。



『帰りは少し遅くなるかもしれません。でも必ず帰るので心配しないでください』



たった今届いた舞楽からのメッセージ。


若者らしく遊んでるのか?

両親の借金もなくなって、羽目を外したくなったとか。



「真面目そうな子に見えたけどな。女はやっぱり…」


言いかけて、やめた。


陸斗に、舞楽を信用していないと言ったけれど、本当はあの時から願っていた。


思った通りの子であってほしいと。


その願いは、叶えられた。

俺の役に立ちたいと、世話を焼きたいと言って、赤い顔で頭を下げた舞楽。



彼女は…まっすぐで偽りのない子だ。



「自分のことは、棚に上げて…だな」



自分の中に渦巻く気持ちを抑えきれなくなっていた。

あくまで偽装関係、契約なのだと言ってきたくせに。


真奈を好きだったことを打ち明けたのは、告白するより先に、伝えなければならないと思ったから。

…話す前に、眠ってしまったが。


もう一度、信じてみたいと思わせる何かが、舞楽にはあった。


反面…それがまやかしだったと思うようなことがあれば、俺は再び奈落の底に突き落とされる。


そんな恐怖は消し切れない。


真奈に似ていたから惹かれたのか…?自問自答の答えはとっくに出ている。気づけは舞楽に触れたくて…他の誰にも触れてほしくないと思っている自分がいる。





水加減がよろしくなくて、少し硬めに炊き上がったご飯にシチューをぶちまけて、冷えたビールと共に夕飯にした。


舞楽が帰ってきたら、生ハムとチーズの盛り合わせをつまみにシャンパンを開けようと思っていたが…

明日に持ち越しだ。


…朝からどこに行って、帰りが遅くなる理由は何なのか。

実は気になって仕方がない。


妙にくすぐったく感じる気持ちを、俺はビールごと飲み込むように、缶を煽った。



…………


リビングのラグの上。

クッションを枕にして眠ってしまったらしい。



シャワーを浴びて、髪をよく乾かさなかったからか、少しだけゾクリとした。


舞楽は…どうした?

寝室を覗きに行こうとして、カチャン…という玄関ドアの音に気づく。



今帰ったのか…?



瞬間覗いた寝室に、舞楽の姿はない。


嘘だろ。

カーテンの向こうは明るいが…



…朝帰りか?




「…うわっ!」


「…っっ?!」


リビングのドアが開いて、短い髪の妙に洗練された女が入ってきて驚いた…!



「お、遅くなってすみません。あの…いろいろあって…こんな時間になってしまって…」



「…舞楽かっ?!」



はい…と、消え入りそうな声。



「髪はどうした?…服は?メイクは?…っ」


いつもと違う。全然違う…!

言わなかったけど匂いも違う。

花のような…甘い匂い…



「い、イメチェンしました…髪を切って、服の感じも変えて、メイクもちゃんとして」


驚いた…

こんなに変わるものなのか…

もともと可愛らしいが、純朴…という言葉がハマっていた、野暮ったさがどこにもない。



「…首が…」


「…え?」


「綺麗だ…細くて」


瞬間、そんな綺麗なものをずっと晒すな…とむちゃくちゃなことを思う。



赤い顔で嬉しそうに笑ったのを、俺は見逃さなかった。


その笑顔は紛れもなく…舞楽だ。


朝帰りに対する嫌味を言うのも忘れて…俺はひたすら彼女を見つめてしまった。


そして自分の早鐘のような心臓の音に気づく。



「…目が、赤い」


穴が開くほど見つめて気づいた。

寝不足のような目…



「…あぁっ!あの…シャワーして、少し寝てもいいでしょうか…」


言いながら、ガラステーブルの昨夜の残骸に気づいたようだ。



「あ、あぁ…休みなんだから、いくらでも寝れば」


慌てて放置した皿とビールの空き缶を自分で片付けようとしたが…



「あの…私がやります。…昨日は1日家事をしなかったので」


不意に近づいてきて、皿に伸ばした指が触れた。

…そんなことで心臓がドキン…っと高鳴って、自分でも焦る…



「いいから、君は先に…」


シャワーに行きなさい…と言おうとして、至近距離で舞楽を見た。


そして今度は、急速に体温が下がったのを感じる。


さっきは見えなかった。

肩に近い首に、噛まれたような赤い跡。


…これは、キスマーク?

しかも、かなり激しい…?


上がったり下がったり忙しい自分自身の内心を必死に隠し…俺は皿を舞楽から奪って、彼女をバスルームに行かせる。


食器とコップとスプーン。

たったそれだけで、食洗機を使うのはもったいないと言う舞楽。


でも俺は使ってやる…

そして…脈略もなく、嫌な記憶が蘇る。


好きな女を別の男に奪われた記憶…





実はなかなか帰ってこない舞楽を気にして…ベッドに横になるのが遅れたのは、本当の話。


「だから俺も眠いんです…」


シャワーを終えた舞楽に、昨日のシチューを食べさせる余裕はなくなっていた。


そっとベッドに入ってきた舞楽。

石鹸の香り、彼女のぬくもり…さっきの、赤い噛み跡…


どこに泊まった…?

誰と一緒にいた…?

俺の知らない誰かなのか…?


頭に浮かぶのは、聖…それから柳…

振り払って深呼吸をしても、焦燥感のようなものは消えない。


問い詰めたい気持ちは、自分で思っているよりずっと強力だ。


隣に横たわる舞楽に意識が向いて、ジリジリする思いを持て余す…



「あの…裕也専務…」


…ハッとした。

何か言おうとした舞楽の声が、俺に最後のスイッチを入れる。


無意識に体が動いて…両手の自由を奪い…彼女を組み敷いていた。


見開いた舞楽の瞳に映る俺は、どんなふうに見えているのか…少しだけ気になった。


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