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2章…第37話

今年も桜はあっという間に散ってしまった。


その頃には季節外れなほど暖かい日があって、今夜もそんな日だと、仕事を終えた聖と歩きながら思った。




「どういう心境の変化?髪…そんなに切って、服も変えちゃって」


聖は黒い上下のワイシャツとスラックス姿。

バーでは長い前掛けをしていたけど、それを外しただけで帰れるなんて楽でいいな。



「変身したかったの…」


聖には、裕也専務に抱き始めた淡い恋心を打ち明けていない。

正確には美波にも言ってないけど、彼女のことだから気づいてる。多分。



「それにしても、変わりすぎだろ。…真夏と真冬が1日で入れ替わる、最近の天候並みに変わりすぎだ」


「…言い方!」


笑ってその腕をパチンと叩くけど、聖は妙に真剣な顔。

…どこへ行くつもりなのかな。


タクシーに乗せられ、行き先を告げる住所が、聖のマンションだとわかった。


…帰したくないって言ってたけど…


「聖、泊まるのは無理だよ。一応、契約関係でも偽装でも、婚約者ってことになってるし…」


「なんで?…家族みたいなもんだから、会えることになってるんだろ?」


「そう…だけど」


聖のマンションには、確かに何度か泊まったことがある。

両親が突然亡くなって精神的に不安定になったとき、聖の部屋でご飯を食べさせてもらって、ベッドの横に布団を敷いてもらって寝た。


もちろん色っぽい雰囲気なんて皆無。


この時も、まったく同じ感覚で。

いや…聖のマンションに足を踏み入れることに、私は特別な意識を抱いた事はない。


でもこの日は…玄関に入ったとたん、聖が泣きそうな顔で詰め寄ってきたんだ。



「なんちゃら専務のために、そんなに自分を変えて何になるんだよ?」


なんだかいつもの聖とは違う…

私は、胸のうちを明かすことにした。




「私…裕也専務のこと好きになっちゃったんだよ…」


「…は?」


「身のほど知らずだと思うけど…契約関係で偽装関係で、嘘で塗り固められた関係だけど…」


全部言い終わらないうちに、私は聖に抱きしめられた。


「ちょ…聖?!っ」


小さい頃から、ぶら下がっていた聖の腕は、意外なほどしっかりしてて…焦る。



「…俺は子供の頃から変わらない、そのままの舞楽がずっと好きだった」


初めて見る聖の切ない表情は、「好き」の種類が女性に対するものだと語ってる。


それは、さすがの私でもわかった。


告白に呆然としていると、抱きしめる腕の力が緩んだ。

…そして傾けた顔が近づいて、素早く唇を奪われてしまう。


それは、余裕のない性急なキスで…食べられそうなほど強く舌を絡めとられた。


嫌でも思い知る…聖は兄じゃなくて、男性だと。

そして私も…女なんだと。



一瞬の隙に声をあげる。


「ま…待って!聖、待って!私…こんな…聖っ!」


唇は首筋を這い、止まらない。


そのうち肩に近い部分に痛みが走った。

…痛いっ!と声をあげて、ようやく聖が唇を離してくれた。



「ごめん…舞楽、俺…」


「わ、私こそ…ごめん…」


いろんなごめんの気持ちがあった…


聖の気持ちに気付かなかったごめん。大人になってからも甘えすぎてごめん。そして…今ちょっと、聖を怖く思う…ごめん。



「…今日は、帰るね」


止められる前に玄関を出て、めちゃくちゃに走った。

苦しくても、ずっと走った。


…聖は、追いかけて来ない。




電車に乗って最寄り駅に降り立ち、ふと辺りを見渡した先に、カフェがあって吸い込まれた。


カフェオレをテーブルに置いて、つい今しがたの出来事を思い出す。


聖に、女性として見られ、気持ちを寄せられていたなんて。


甘やかしてもらってる自覚はあったけど、それは小さい子供に対するものと大差ないと思っていた。


それに聖ほどカッコいい人なら、当然恋人がいると思ってた。


でも、そういえば聖に、彼女の話を聞いたことがない。

それは…私を、好きだったから?


自分の鈍感さを心底呪った。

私は知らぬ間に、どれほど聖を傷つけていたんだろう。


後悔と謝罪を取り留めなく考えて過ごせば、やがて目の前のカフェオレは冷めて膜をはり、気付けば夜が明けていた。



「美波にも彼氏がいるし、私1人、子供だったんだなぁ…」


明るくなった道を歩いて、裕也専務が眠っているであろうマンションに向かって歩く。



連絡もしないで外泊して、裕也専務は怒ってるだろうか…

向こうからも連絡はなかったところを見ると、1人で伸び伸びしていたかな。


どちらにしても、あっと驚く恐ろしい罰が待っているかもしれない。


心して、帰らなければ…





…そっと玄関ドアを開けて、上から何も落ちて来ないことを確認しつつ中に入る。


廊下の先に見えるリビングは暗い。

裕也専務は寝室だろう。


足音を忍ばせてリビングに入って驚いた…!


裕也専務がその場に立ち尽くしてる。

そして驚いた顔で私を見ていることに気付いて…そうだ、イメチェンしたんだ、と思い出した。


その反応は、思っていた以上に早く、そして強かった。


じっと見つめられて、「首が綺麗」だなんて言う。

まさかと思うところを褒められて嬉しくて、頬に熱が集まるのを止められない。


私が、舞楽だと…裕也専務がちゃんと見てくれたことに、胸が高鳴る。

それは、自分の恋心を再確認したようで、ちょっとくすぐったい。



ごめん。聖…

私にとってあなたは、家族であり、実の兄みたいな存在だ。


大好きだし愛しいし、大切な人だけど、裕也専務に向く気持ちとは違う。


シャワーをしてベッドで一緒に眠ることになり…毎夜のことなのに、今日は特にドキドキする。

カーテンを引いた向こうが明るくて、朝寝の背徳感もあるのかもしれない。


いつも以上に胸を高鳴らせ、裕也専務の隣に横たわりながら、


「あの…裕也専務」


外泊したことを一言謝罪しようと思った。


でも次の瞬間、私の上にのしかかって、手首の自由を奪われるって…


どういうこと…?


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