「…別人過ぎでしょ!?」
週明け月曜日。
出勤早々、髪を切った姿を見て、星野さんが目を見開く。
美亜さんにアドバイスしてもらった通り、サイドの髪を耳にかけて、前髪を斜めに流したスタイル。
感心したように、私の周りをグルグル回る星野さん。
「ちょ…っと、恥ずかしいです。そんなに全方向、カバーしてないので」
後ろを見せまいと、星野さんが回る方向に私も体を向け、クルクル回って遊んでるみたいになってしまう。
「…あ!ズルい。裕也専務、めっちゃ後ろ姿見てますけど?」
振り向くと、確かに裕也専務がいて、星野さんに言われてハッとした。
確かに…いつの間に後ろに回り込んだのか…
「後ろ姿も…別人ですね」
それだけ言って、片方の眉を上げ、裕也専務は執務室へ入ってしまった。
「…なんか、ありました?」
「…ないです」
星野さんからの疑いのまなざしが痛い…。
でも、何かあったなんて、言うわけにいかない。
しかも…未遂だし…。
改めて考えると、情けなくなる。
『男という生き物について勉強しろ』と言われたから、ネットで情報を拾っては読み漁ってる。
でも…目に入ってくるのは、私に魅力がない…という情報ばかり。
行為を途中でやめる…というのは、ほぼ不可能だと、ネットの男性陣は声高に言っていた。
でも…裕也専務はそれをやってのけたんだから、よっぽど私がダメだったのだろう。
裕也専務と、あの時の話をすることはない。当然…「なんで途中でやめたんですか?」なんて聞けるはずない。
一緒に眠ることは変わってないけど、あれから裕也専務は、私に背を向けて眠ることが増えた。
あの日のことは忘れるしかない。
あれはただの、気の迷い。
「いろいろすいません」って謝罪されたのが、紛れもない裕也専務の本音。
私たちは、偽装関係なんだ。
半年…いや、5ヶ月後には、契約が切れる。
ふぅ…っとため息をつきながら、改めて私は、裕也専務の政略結婚を回避するための要員だと、肝に命じなければいけない、と思う。
できるだけポーカーフェイスで仕事をしようと決意したところで、携帯がピロン…と鳴った。
画面を確認すると…
「その後どーしてる?近況オシエロ!」
…柳くんだ。
なんというか…いろいろあった直後に連絡してくるなんて、勘がいいにもほどがある。
始業までにはまだ少しある。
私は都合を合わせて会おうと返信しようとした、その時だ。
「裕也さん、いるかしら?」
ノックもなくドアが開き、淡いグレーのフレアスカートを揺らしながら、知らない女性が入ってきた。
外気と一緒に、強めの甘い香りも鼻をかすめる。
星野さんが立ち上がるのを見て、私も一緒に立ち上がりながら思った。
知らない女性…なんて嘘。
私はこの人が誰か、知っている。
服は違っても、ストレートのロングヘアと大きな瞳、何より…今までの自分にどことなく似ているこの人は…
「おはようございます、吉成さん。…裕也専務はこの後すぐ、他社へ訪問の予定がございまして…」
「…いるのね?」
ほんの少し、星野さんが言い淀んだ隙を見て、女性は専務執務室をノックもせず開けた。
「…裕也…!」
高い声で親しげに名前を呼ぶ声は、2人の関係の近さを現してる。
バタン…と閉まるドアを見つめ、その向こうに2人きりの空間を想像して…キュッと胸が痛んだ。
同時に…すべてが繋がった刹那。
今、星野さんは女性のことを「吉成さん」と言った。
裕也専務がいつか、昔話になぞらえて教えてくれた、好きだった女性とは、吉成さんの奥さん。
そして何より…この目で見て確信した。
…ベッドのそばで拾った女性の写真は、今、執務室に入っていった女性に間違いない。
写真の裏に描いてあった『マナ』は、吉成さんの奥さんの『真奈』。
マナと真奈は同一人物。
…やっぱり私は、身代わりだったのかな。
友人の妻になってしまった愛する女性、真奈さんと似ていた私は、似ているからこそ…偽装婚約者に選ばれた…
今までのすべてのことは、私の向こうに真奈さんを見ていたから起きたこと。
キスも、ハグも。
未遂に終わったのは、私に魅力がなかっただけじゃなく、心の中の真奈さんを追い出せなかったから…
私は…イメチェンなんて、しなければ良かったのかな…
「…星野さん、ちょっと同席して…」
執務室のドアが開いて、裕也専務が出てきた。
気付いたら涙が溢れてて、慌てて指先で拭って顔を隠す。
バレて…ませんように。
「はい…裕也専務、何か?」
自分のデスクから立ち上がって裕也専務を見つめる星野さん。
指示を待ってるみたいだけど、裕也専務から言葉が出てこない。
そっと様子を伺うと、じっと私を見ていた切れ長二重とバッチリ目が合った。
「…え?片瀬さん、泣いたりして…どうしたの?」
裕也専務の視線を追って、私にたどり着いた星野さんが慌てたようにこちらに来て…
見てしまった。
裕也専務がその肩をグッと掴んで、私のそばに行かせまいとしたこと。
「星野さんは執務室で同席してください。…片瀬さんは…」
…泣くなら出ていけ。
そのくらいのこと、意地悪でサディスティックな裕也専務なら言いそうだと覚悟した。
なのに…頬に感じたのは、長い指先と大きな温かい手。
「とりあえず、泣かないでください。…反則です」