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2章…第39話

「…別人過ぎでしょ!?」


週明け月曜日。

出勤早々、髪を切った姿を見て、星野さんが目を見開く。


美亜さんにアドバイスしてもらった通り、サイドの髪を耳にかけて、前髪を斜めに流したスタイル。


感心したように、私の周りをグルグル回る星野さん。



「ちょ…っと、恥ずかしいです。そんなに全方向、カバーしてないので」


後ろを見せまいと、星野さんが回る方向に私も体を向け、クルクル回って遊んでるみたいになってしまう。



「…あ!ズルい。裕也専務、めっちゃ後ろ姿見てますけど?」


振り向くと、確かに裕也専務がいて、星野さんに言われてハッとした。


確かに…いつの間に後ろに回り込んだのか…


「後ろ姿も…別人ですね」


それだけ言って、片方の眉を上げ、裕也専務は執務室へ入ってしまった。



「…なんか、ありました?」


「…ないです」



星野さんからの疑いのまなざしが痛い…。

でも、何かあったなんて、言うわけにいかない。


しかも…未遂だし…。


改めて考えると、情けなくなる。


『男という生き物について勉強しろ』と言われたから、ネットで情報を拾っては読み漁ってる。


でも…目に入ってくるのは、私に魅力がない…という情報ばかり。


行為を途中でやめる…というのは、ほぼ不可能だと、ネットの男性陣は声高に言っていた。

でも…裕也専務はそれをやってのけたんだから、よっぽど私がダメだったのだろう。


裕也専務と、あの時の話をすることはない。当然…「なんで途中でやめたんですか?」なんて聞けるはずない。


一緒に眠ることは変わってないけど、あれから裕也専務は、私に背を向けて眠ることが増えた。


あの日のことは忘れるしかない。

あれはただの、気の迷い。

「いろいろすいません」って謝罪されたのが、紛れもない裕也専務の本音。


私たちは、偽装関係なんだ。

半年…いや、5ヶ月後には、契約が切れる。


ふぅ…っとため息をつきながら、改めて私は、裕也専務の政略結婚を回避するための要員だと、肝に命じなければいけない、と思う。


できるだけポーカーフェイスで仕事をしようと決意したところで、携帯がピロン…と鳴った。


画面を確認すると…

「その後どーしてる?近況オシエロ!」


…柳くんだ。


なんというか…いろいろあった直後に連絡してくるなんて、勘がいいにもほどがある。


始業までにはまだ少しある。

私は都合を合わせて会おうと返信しようとした、その時だ。




「裕也さん、いるかしら?」


ノックもなくドアが開き、淡いグレーのフレアスカートを揺らしながら、知らない女性が入ってきた。


外気と一緒に、強めの甘い香りも鼻をかすめる。


星野さんが立ち上がるのを見て、私も一緒に立ち上がりながら思った。




知らない女性…なんて嘘。

私はこの人が誰か、知っている。


服は違っても、ストレートのロングヘアと大きな瞳、何より…今までの自分にどことなく似ているこの人は…



「おはようございます、吉成さん。…裕也専務はこの後すぐ、他社へ訪問の予定がございまして…」


「…いるのね?」


ほんの少し、星野さんが言い淀んだ隙を見て、女性は専務執務室をノックもせず開けた。


「…裕也…!」


高い声で親しげに名前を呼ぶ声は、2人の関係の近さを現してる。


バタン…と閉まるドアを見つめ、その向こうに2人きりの空間を想像して…キュッと胸が痛んだ。



同時に…すべてが繋がった刹那。


今、星野さんは女性のことを「吉成さん」と言った。


裕也専務がいつか、昔話になぞらえて教えてくれた、好きだった女性とは、吉成さんの奥さん。


そして何より…この目で見て確信した。


…ベッドのそばで拾った女性の写真は、今、執務室に入っていった女性に間違いない。


写真の裏に描いてあった『マナ』は、吉成さんの奥さんの『真奈』。


マナと真奈は同一人物。





…やっぱり私は、身代わりだったのかな。


友人の妻になってしまった愛する女性、真奈さんと似ていた私は、似ているからこそ…偽装婚約者に選ばれた…


今までのすべてのことは、私の向こうに真奈さんを見ていたから起きたこと。


キスも、ハグも。

未遂に終わったのは、私に魅力がなかっただけじゃなく、心の中の真奈さんを追い出せなかったから…



私は…イメチェンなんて、しなければ良かったのかな…



「…星野さん、ちょっと同席して…」


執務室のドアが開いて、裕也専務が出てきた。


気付いたら涙が溢れてて、慌てて指先で拭って顔を隠す。



バレて…ませんように。



「はい…裕也専務、何か?」


自分のデスクから立ち上がって裕也専務を見つめる星野さん。

指示を待ってるみたいだけど、裕也専務から言葉が出てこない。


そっと様子を伺うと、じっと私を見ていた切れ長二重とバッチリ目が合った。


「…え?片瀬さん、泣いたりして…どうしたの?」


裕也専務の視線を追って、私にたどり着いた星野さんが慌てたようにこちらに来て…


見てしまった。

裕也専務がその肩をグッと掴んで、私のそばに行かせまいとしたこと。



「星野さんは執務室で同席してください。…片瀬さんは…」


…泣くなら出ていけ。

そのくらいのこと、意地悪でサディスティックな裕也専務なら言いそうだと覚悟した。



なのに…頬に感じたのは、長い指先と大きな温かい手。



「とりあえず、泣かないでください。…反則です」



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