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2章…第40話

裕也専務も約束があるという夜、私は柳くんを誘って夕飯に行った。


まずは長い髪を切って大変身したことに驚かれ…ちょっと照れる。



「…それちょっとひどくない?…確定したわけじゃないけどさ」


「…いや。ほぼ確定だよ!たとえ偽装だとしても、そばに置いておくなら、好きな人に似てた方がいいと思ったんじゃない?」


柳くんと離れている間に起きた出来事についてざっくり話しつつ…寝室で拾った自分によく似た女性の写真について話した。


それが…役員室に突然やって来た、親しげな女性と瓜二つだったこと、そして今は友人の妻となったその人をかつて好きだったという話も。



話を聞きながら、柳くんは私の顔を覗き込む。


「…なに?」


「いや、なんか辛そうっていうか、元気がないっていうか。…やっぱショックだったんだ?」


ギクッとしながら…柳くんにだけは、素直に打ち明けようと思う…。



「…好きになってしまいました。裕也専務のこと」


やっぱり…というジェスチャーをする柳くん。

変に茶化したりせず、次の言葉を待ってくれた。



「写真を見つけて、好きな人の話を聞いた時から、その人は写真の中のマナさんだって覚悟してたのかも。イメチェンしたのは、そんなマナさんにそっくりな自分を変えたかったからなんだよね」


私を私として見てほしかった…と、本日1番の本音が飛び出す。


それをじっと聞いてくれた柳くんは、諦める必要はない、と言ってくれた。


「だって、裕也専務の好きな人は、すでに友達の奥さんなわけでしょ?…だったら舞楽が諦めることないじゃん。人の奥さんである以上、関係が進展するはずないし」


私は飲みやすいとすすめてもらったスパークリングの日本酒を傾けながら、柳くんの後ろに広がる店内の様子を見た。


創作世界料理の店、といううたい文句のここは、柳くんが連れてきてくれたところ。


エスニック風のインテリアと、ところどころ原色使いの小物、そして料理は本当に国際色豊かで美味しいものばかり。


目の前の柳くんに似合う、とてもおしゃれなお店だった。



「…どっちにしろ、裕也専務みたいなセレブが、私みたいな天涯孤独の小市民と結ばれるはずないから」


真奈さんが予告なくやって来たあの日、涙に気づいた裕也専務の指先は優しくて、まなざしに意地悪の欠片もなかった。


だからこそ焦る。


私が泣いたくらいで、なぜそんなに優しく見つめるの?


「…そんなのわかんないよ?…好きだって気持ちがあれば、乗り越えられること多いって!」


「好きが一方通行じゃ、絶対無理」


…さすがに、行為が未遂で終わったことだけは言えなかった。


これは…私だけの恥ずかしい秘密…。


あの事がある以上、私は裕也専務にとって役不足で魅力のない存在だと言える。


男という生き物について勉強した結果わかったことなんだから間違いない。







「送ってこっか?…外見だけは一応男だから、チカンよけにはなるよ?」


たくさん飲んで食べた後「散歩ついでだから」という柳くんと一緒に歩きだす。


聖と一緒に歩いた夜を思い出した。

あの日より今夜の方が冷える。


へんなの…季節は進んでるはずなのに。





「…さすがに専務だよね?こんな一等地に建つマンションで暮らしてるなんてさ!」


柳くんが感心したように言った言葉に大きく頷く。


確かに…主要ターミナル駅から徒歩圏内。

賑わう大通りから一本裏道に面したマンションで静かに暮らせるなんて、夢みたいだ。




「あのさー…舞楽?」


マンションの前で…こちらを向いたまま、一歩後ろへ進んだ柳くんが笑顔を向ける。


「あ、後ろ向きで歩くと危ないよ?」


「違くて。…聞きな」


「…ん?」



「舞楽は、自分で思ってるよりずっとずっと可愛いよ?」




「…またまた!柳くん、絶対自分の方が美しいって思ってる!」


「…違うって」



茶化したのは、柳くんに可愛いなんて言われてテレたから。…それは、ものすごく美しい女の子に言われて恥ずかしくなるのと感覚が似てる。



「…女の子を可愛いって思ったの、舞楽が生まれて初めてだから」


柳くんは「彼氏に怒られる…!」と言いながら、パッと口元に手をやって…小さく手を振って帰っていく。


オーバーサイズの黒いシャツと白いパンツ。特徴的なスニーカーをはいた柳くんの後ろ姿は、華奢だけどやっぱり私より大きい。




…そんな姿を見送りながら、あの後、謝罪しに来てくれた聖を思い出した。




私を見るなり「…ごめん!」と言って、パッと両手を合わせた聖。


私に怒りなんてものはもちろん無くて、逆に謝りたいのは私の方だから、合わせた両手を包んで笑った。



「いいよ…そんなの!」


こっちこそ、気持ちに気付けなくてごめん…と、私も謝るのは、聖の心を傷つけるのかな…。



「うん。…でも、そういうとこ」


「ん?」


両手を合わせた聖の手に重ねた私の手に視線が向いた。


「あ、ごめん」


パッと離すと、聖の手は私の頭にポン…と落ちてきて柔らかい笑顔が向けられる。



「可愛くて可愛くて…舞楽は俺にとってずっとそういう存在」


「…うん」


「俺は諦めないから。舞楽が傷つけられたり、泣くようなことがあったら許さない」


それだけ言って、聖は「またな!」と帰っていった。





裕也専務を好きだという私を、聖はなおも好きだと言ってくれる。


少しだけ思った。


今、裕也専務じゃなくて聖を好きになれたら、どんよりする心は晴れ渡るんだろうなぁ…って。



身分違いで契約関係で偽装で。

嘘まみれで身代わりで未遂。



私と裕也専務の間には、こんな不穏な文字ばかり漂っているというのに、2人きりになれるこのマンションに帰れるのがやっぱり嬉しいなんて。


ホント私はどうかしてる…




「ただいま帰りま…」


…した、と言う前に、玄関に見慣れない靴があることに気づいた。


黒いエナメルのピンヒールと、焦げ茶色の革靴、そして黒い革靴…最後の1足は裕也専務のだ。見覚えがある。


普通に考えてお客さま。

こういう時、どういう振る舞いをしたらいいか…迷う。


婚約者として?それとも秘書として。


携帯に指示がないものかと確認した。


裕也専務からは何も…入っていない。


もう一度外へ行こうかと、リビングのドアに背を向けた私に、女性の声が追いかけてきた。



「…あら!秘書さんじゃない?!」


この声は…


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