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2章…第42話

裕也専務のそんな表情は、長くは続かず、握られた手を振りほどいているのも見えた。


真奈さんの方も、お茶を飲んで吉成さんと帰っていき、特に変わったところはない。



2人を見ていて思った。

真奈さんのことを好きだったという裕也専務。


その思いは、一方的な、ほのかなものだったとは思えないと。


2人は過去、付き合っていたとみるのが自然だ。


その後別れて…真奈さんは吉成さんと結婚した…?



今日垣間見た真奈さんの仕草や口調、視線は、私に裕也専務との関係を匂わせたいという意図を感じた。


なぜ…?

裕也専務が、私を婚約者として紹介したから?


ヤキモチ?嫉妬…?

夫が隣にいて、そんな感情を表すかな…


でも、わずかな間に見せた、あの切なそうな表情の裕也専務が、私にあることを決意させた。



「あの…そろそろ夜暑くて、私はリビングで寝ようと思うのですが…」



裕也専務は、今も真奈さんのことが好き………


他の人を思う裕也専務と、同じベッドで眠ることに、罪悪感のようなものを感じる。


それに…

イメチェンしたとしても、私は真奈さんに似ている。…身代わりのように思われるのは、嫌だった。




「…エアコン、かければいいじゃないですか」


「体が極貧仕様なので、真夏以外にエアコンにあたると、確実に風邪引くんですよ」


「…布団は?」


「このラグで!あとクッションもありますし!」


難しい顔で佇む裕也専務にお風呂をすすめ、珍しく攻める言葉が見つからなかったのか、おとなしく入ってくれた。





交代でお風呂に入り、髪を乾かして戻ると、裕也専務はまだリビングにいた。


ほのかにタバコの匂いがする…

リビングで一服してたのかな。




ラグの上で横向きに寝転がり、テレビを見ている裕也専務に言う。



「それでは、おやすみなさ…あれ?」


声をかけてこちらを向いた裕也専務を見て、その違和感に気づいた。


「メガネ…かけるんですか?」


「かけますよ。ずっとコンタクトだったんですが、誰かさんのせいで目が赤くなることが多くて…辛いんですよね」


細いシルバーの縁のあるメガネ。

それは、切れ長二重の鋭さを少し和らげて見せてくれて…


「カッコいいですね…メガネ」


「は…?」


「いえ…っ!なんでもないです!目、目が辛いのは、私のせいですか?」


カッコいいなんて、素直な感想を言ってどうする…

焦って赤くなる私に、容赦ない返事が降ってきた。


「そうです。赤くなるのは君のせいです」


どうして私のせいになるのかわからないけど…何か悪いことしたなら、謝った方がいいのかな…


「なんか、すいません…」


「…謝るくらいなら、ベッドで寝てください」


「そ、それはだから…暑いので、こっちで…」


「1人で悠々と寝ちゃうと、ベッドに戻ってきたとき距離感忘れて押しつぶしちゃいますよ?」


「いえ…これからはもう…」


言いかけて、ふと見た裕也専務の真剣な顔に焦って口をつぐんだ。


「…行きましょう、寝ますよ」


「…ダメです!…今日だけは、ダメです…」


真奈さんと過去に何があったのか、どんな関係だったのか、恋人だったのか…自分でも驚くほど気にしてることに気づいてしまった。


ヤキモチを妬いてるのは私だ。

真っ黒に焦げた思いを抱いて、裕也専務の隣で眠れない…



「…ふん。じゃ、明日からはベッドで眠りますね?俺の隣で」


「あ…」


今日だけはダメって…そういう風に取ったのか。



「明日は明日の風が吹くです…!」


そう言って、大きな大きなバスタオルで自分をくるみ、ラグの上に横になった。


「…は?!頑固娘が…!」


裕也専務はリビングの電気とフットライトを消して、寝室に行くらしい。


「あ!フットライトはそのままでお願いします…」


2年前から暗闇は大の苦手だった。


裕也専務は一瞬私を見て言った。


「なんかあったら寝室に来なさい」


はい…という小さな返事をして、寝室のドアが閉まる音がする。


ふぅ…っとため息をついて、薄暗いリビングの天井を眺める。

視線を横に映すと、ガラステーブルに裕也専務のメガネが置いてあることに気づく。


こんなところに置いて…ベッドで携帯見れないんじゃないかな…


そう思ったそばから、まぶたに疲れが重くのしかかり…意識が遠のいていくのを感じていた。



……………………

    ………………………




翌朝目が覚めると、裕也専務が私のそばに座って顔をのぞき込んでいた。



「…起きました?」


昨日と同じメガネをかけている。


「3割増で、カッコいいです…」


素直に言ってしまったのは、寝ぼけてたから…

裕也専務は何度かまばたきを繰り返して、ゴホン…と1つ、咳払いをして言った。


「メガネを掛けると、間抜けな寝顔がよく見えます。…君もよく、私の寝顔を見てるでしょう?」


「そ、それは、すごく綺麗だから…つい目が奪われちゃうっていうか…」


間抜けと言われてうっかりスルーして、褒め言葉で返しちゃうなんて…なんたることっ!


…そしてふと…気づいた。



「あの…裕也専務、お着替え早くないですか?」


すでにスリーピースを着て、今すぐ出勤できそうなんだけど…



「早くないですよ。あと10分ほどで早井さんが到着する時間ですしね?」


「10…ぷん?」


いやぁ〜っ…!と、変な叫び声をあげて、私はラグから飛び起きた!


裕也専務の専属秘書になり、毎朝専用車で一緒に出勤、退勤を命じられている。


…専用車に乗らなければ遅刻とみなされると、言われていた…!



「…なんで起こしてくれないんですか?ひどいです!ひどすぎます!」


慌てて顔を洗ってファンデーションをはたいて…スーツに着替えてストッキングを履いて…



「あっ!髪…!」


短くしてから、1つにまとめて終わりで済んでいたロングヘアが、どれほど楽だったかを思い知らされる。


緩やかなウェーブを維持するため、ワックスをつけて、サイドの髪を耳にかけて…



「前髪も、こう…斜めにしないんですか?」


「…しますっっ!」


いつの間にか裕也専務も洗面室に来て、私の支度をニヤニヤしながら眺めてる。



「大丈夫ですよ。まだあと、20分くらいありますから」


「え?…さっきあと10分って…」


「慌てさせたらどうなるのか…見たかったので」


「…はぁ?!」


洗面室の鏡越し。

おかしそうに笑う裕也専務を睨みつけると、視線がメイクパレットに注がれたのがわかった。


「色を乗せなさいって言われてましたよね?星野さんに…」


初めて専務役員室に行って、専属秘書になった日のことだ。


「ボルドー色の口紅、綺麗でした」


裕也専務はパレットを奪い、自分の小指にボルドー色のリップをとって、いつかの星野さんのように、私の唇に乗せてくれた。


「頬にも少し入れたら…?」


ポンポン…と色を乗せられるたび、唇に、頬に…触れる手を意識して、自然に発色していくのがわかる。



「あれ?赤くなりましたね?」


笑われて…恥ずかしくなる…



「も、もういいです…」


「まだ、終わってません…」


下を向こうとしたのに、瞬間的に頬を両手で挟まれて…

ボルドーに塗り終えたはずの唇が、親指でなぞられる。




唇がおりてきて、柔らかく触れたのは…完全に想定外。



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