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2章…第44話

「…あの、吉成さん…」


どうしてさっき、玄関に入って来れたんですか?…と、聞こうとした。



「さて、それじゃ俺は帰るかな。まだ裕也帰ってきそうにないし…」


質問されるのを見越したように言う吉成さん。


座っている膝をパンッ…と叩き、勢いをつけて立ち上がった。


…帰ってくれるなら、それに越したことはない。

私はちょっと悩んで、質問を呑み込んだ。


あっさり玄関に向かうので、私も後から続く。

靴を履きながら、吉成さんは顔をこちらに向けて、思い出したように言った。



「…鍵、開いてたよ?玄関の」


「…え?」


「不用心だから、気をつけないとね」


ニコッと笑って、片手を上げて玄関を出ていった瞬間…


私は慌てて鍵をかける。

迷って…チェーンもかけた。


鍵が開いていた…?!

帰宅して、閉めたはずだけど…あまり記憶がない。


この部屋の鍵は、カードキーと暗証番号で管理できるシステムだったけど、慣れない方法での施錠が不安で、私は鍵で開け閉めさせてもらうことにしていた。


いつも流れるように無意識にやってることだから、正直かけたとは言い切れないかもしれない。


…かけ忘れた。

私のミスだ。きっとそう…


やって来たのが吉成さんで良かった。


そう思うのに、いつまでもチェーンを外せなくて、リビングに行くことも出来なかった。


もし、またやってきたらどうしよう。

それに、裕也専務が帰ってきたら、チェーンを外さなきゃいけない…



廊下の明かりをつけたまま…私は玄関マットに座り込んだ。




それからどれくらい時間が経過したのか…ふと気づくと、私はまだ玄関マットの上にいた。


裕也専務、まだ帰ってこない。

時間は深夜1時…


携帯には何も連絡が入っていない。…不安になるものの、どこにいるのか…誰といるのかって、こんな時間にメッセージしていいか迷った。


問い正す間柄じゃない…


私は明かりを消すこともできず、携帯を手に玄関に座り続けた。




『帰れなくてすみません』

『今日は直接出社します。…早井さんには車を回すよう、言っておきます』


メッセージの通知音で目が覚めた。

早朝6時…


「…そんな…役員が乗らないのに、専用車で出勤なんて、できるわけない…」


私はちょっと、怒っていた。


遅くなっても帰るって言ったのに。

どこに泊まったんだろう…

1人だったのかな…

そんなはず、ないか…



『…体は先に、食っちゃったのに』


吉成さんの昨夜の言葉が蘇った。



誰かと一緒だったとしたら…

いつも私が見ている寝顔を誰かにも見せた想像をして、キュッと胸が痛くなって、思わず心臓に手を当てた。


どこに…誰と…

聞けないけど、静まらない想像に、どんどん心が蝕まれて、立ち上がる気力を奪っていく…


ため息と怒りと寂しさと不安…

様々な感情に支配されて辛くて、この後役員室で顔を合わせるのかと思うと…ため息はさらに深く、濃く。


平気な顔でいられるのか、ちょっと不安。





時間を見て早井さんに連絡をして、諸事情で私1人の出勤となったため、お迎えを遠慮する旨を伝えた。


「…1人なら電車でしょ、ふつーは」


結局、ベッドで二度寝はできなかった私の目は赤い。


しつこく施錠を確認して、私は1人、出勤した。





「あれあれあれ?…なになに?どうしたの?舞楽ちゃん、目が…」

「おはようございます。星野さんっ」


全部言わせる前に挨拶で蓋をした。


専務役員室に出勤すると、星野さんとコーヒーを飲む裕也専務の姿。


昨日とは違うスーツ…

もちろん、ワイシャツだって違う。

昨日は薄いブルーだったのに、今日はグレー。


ネクタイだって、当たり前のように違う。

…一瞬見ただけで、そこまで把握してしまう自分に嫌気がさす。



裕也専務には、着替えを置いておけるような女性がいて、そこに泊まった。


そんなの…恋人じゃなくてもいいわけで。

割り切った大人の付き合いなんて、よくある話。


経験はないくせに、知識は豊富なんだから!



「おはようございます」


悪びれなく挨拶をしてくる裕也専務は、私の苦しみなんて知らない。


「オハヨーゴザイマス…」


挨拶をして小さくため息をついて、私は朝からひどく疲れを感じていた。






「…本日のご予定を申し上げます。

この後9時30分より、社内で戦略会議、11時から沢田鉄工の担当者がお見えになり、新装ホテルの建設会議、13時より…」


デスクに座る裕也専務に、タブレットを確認しながら今日の予定を伝えていて…フラリと足元が揺らぐのを感じて言葉を切った。



「…どうしました?」


「いえ…失礼しました。続きまして、13時より株式会社ヨシナリの吉成社長からのアポイントが入っております…こちらは、ランチを…取りながら、と…」


足元の揺れが再び強くなり、タブレットの画面がかすんで、思わず専務のデスクに手をついてしまう。



「…顔色が、悪いですね」


デスクから立ち上がった裕也専務が私をソファに座らせ、自分も隣に腰掛けた。



「…な、何を…」


急に足元に屈んだと思ったら、私のヒールを脱がせ、自分の膝の上に乗せてしまう。


そうなると自然に、私はソファに横になるような体勢になってしまう。


「あの…足、足を…」


…なぜマッサージしているのですか?

足の裏を親指でもみほぐし、足首をクルクル…ふくらはぎをモミモミ…


「めまいを起こしたということは、足に血液が下がってしまい、脳内に血液が不足したから…じゃないんですか?」


足の血行を良くして、頭に血がのぼるようにしてくれているらしい…


裕也専務は私の肩をトン…っと押し、横になるよう仕向ける。



「ちょ…あの…スカートが、その…」


タイトスカートがずり上がってしまうのが気になって、そう声をかければ…


「あぁ…けっこうキワドイですね」


裕也専務は眉1つ動かさず、自分の上着を脱いで、私の足元にかけてくれた。

…遠慮する暇もなかった…





「…裕也専務、そろそろ戦略会議のお時間…って、あれ?」


星野さんが顔を出して、ソファの私たちを見て目を丸くした。



「では星野さん、同行してください」


そう言いながら、裕也専務は自分の上着の下に隠れた私の膝をそっと撫でた。


「片瀬さんは、戻るまでここで横になっていてください」


…スリーピースのベスト姿で、裕也専務は星野さんと共に執務室を出ていった。


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