「かーわいっ!ブカブカの晴れ着を着た小学1年生みたい!」
裕也専務の上着を着せられたまま、自分のデスクに戻ると、やっぱり…星野さんに冷やかされた。
「なんか…ちょっと風邪を引いたみたいで…でもその…着るもの持ってきてなくて、それで裕也専務が…」
しどろもどろで言い訳みたいなことを並べてしまう…
「ところで体調はよくなったの?」
「はい。朝から、お騒がせしました」
「今日は僕が裕也専務に同行するから。片瀬さんは定時で上がって」
さっき裕也専務もそう言っていた…と聞いて、私は素直に頭を下げた。
そんな私に、星野さんはチラッと執務室を見てから近づいてくる。
それは裕也専務の目を気にしているようで…
「聞いてる?吉成夫妻と裕也専務、高校からの同級生って」
「はい。あの…」
昨日、吉成さんから聞いたことを思い出して、詳しく話そうと思ったら…
「星野さん、今日のミーティング資料をお願いします」
突然執務室が開いて、裕也専務が顔をのぞかせてので、私は慌てて星野さんから離れた。
「…何を慌てて離れてるんですか?」
ギロリと睨まれて怖い…
メガネを通さない視線は、やっぱり鋭くて、ちょっとだけ怖い。
「やっぱり…メガネをかけていた方が、少しは怖くないので、いいと思います…」
ついそんなことを言ってしまえば、片方の眉を上げ、すました顔で言う。
「怖くない…?メガネの方がカッコいいって言ったくせに…」
…言い方がお気に召さなかったらしい。
星野さんは資料を持って執務室へ向かい、私はその場に1人になった。
一面ガラス張りの窓に自分がうっすら映ってるのが見える。
タイトスカートに黒いパンプス、そしてサイズ感がバグってる上着…。
「…変な格好…!」
でも…
嬉しかった。
裕也専務の香りがする上着。
上質な生地は、私が着るには贅沢だけど、本人に包まれているみたいで…本当に嬉しい。
やがて2人は出かけて行った。
1人になって、自分で自分を抱きしめながら思った。
昨日裕也専務は外泊して、どこに泊まったのか詳細はわからないけど。
それでも私は、裕也専務が好きだ。
…契約違反。
俺を好きになるなって言われてたのに。
誰と、どこにいたかは…いずれきちんとした形で話すって言ってた。
誰と、ってことは、1人ではない、ということで。
それでも…もうこの気持ちを、なかったことにはできない。
「…というか、仕事しなきゃだよね。うん」
星野さんに会議の資料をまとめるよう言われていた。
一旦邪念は置いといて、私は姿勢を正してパソコンに向かった。
………
会議の資料が出来上がり、後はチェックしてもらうだけとなったところで、言われた通り、今日はもう帰ることにする。
ソロソロと…着ていた上着を脱いで…ここには自分しかいないのに、ついあたりをキョロキョロしてしまう。
誰も見ていないのを確かめて、上着をギュッと抱きしめた。
…同じベッドで寝起きしてるのに。触れ合ったことも、抱きしめられた事もあるのに。
上着を抱きしめることは、とても特別なことのように思えた。
言うなれば、自分で自分の気持ちを認めた瞬間。
幸せな気持ちに浸りながら…私は上着をハンガーにかけて、デスクの後ろのラックにかけた。
「お疲れさまでございました」
私は誰もいない専務役員室に頭を下げた。
…急に上着を脱いだからだろうか、
妙に寒気がして、私は腕をさすりながらエントランスまで降りた。
大きく社名が入った壁の前には受付があり、向かいは全面ガラスで外の景色が見えるようになっている。
私は受付の前を挨拶しながら通り過ぎ、ふと視線をやった先に意外なものを見て、あっ…と、声を上げそうになった。
ソファやテーブルが並んでいる片隅で、隣り合わせの椅子に座り、何やら話している2人の女性に見覚えがある…
成田さんと、真奈さんだ。
午前中来たときは、吉成さんとのランチミーティングに、自分も参加するようなことを言っていた。
…ここにいるということは、それが終わって、もう一度来たということ?
…なんのために?
それに、成田さんと知り合いだとは意外だ。
2人の共通点は裕也専務…。
気になりながらも、そばに寄っていくわけにはいかない。
私は気づかないふりをして、足早に通り過ぎた。
マンションに到着する頃には、悪寒がひどくなり、頭痛までしてきた。
…それに何だか、だるい。
今日は念入りにお風呂掃除をしようと思ってたけど、ちょっと無理そう。
掃除はロボット掃除機が自動で終わらせてくれるけど、お風呂はまだまだ手動だ。
いつもなら何の苦も感じない家事だけど…今日は料理以外できそうにない…
玄関を開けて…とりあえず1枚何か羽織ろうと思いながら靴を脱いだ。
スリッパを履いて、リビングを開けたところで…一瞬すべての動きと思考が止まった気がする。
誰もいないはずなのに、リビングに人影がある…
背格好から、裕也専務ではない。
「…どうしてここに、いるんですか?」
慌てて寝室を確認するも、そこに裕也専務はいない…。
この部屋に2人だけだとわかると、恐怖で心臓が高鳴り、足がすくんでしまう。
その人は、緊張する私の神経を逆なでするように…この場の空気に似合わない笑顔を見せた。