「…裕也に入って待ってろって言われたんだよ」
吉成さんは軽い感じで言うので、慌てて携帯を確認した。
でも、そんなメッセージは入っていない。
クールでサディストで意地悪で変人な裕也専務だけど、私に何の連絡もなく、友人だけを先に部屋に上げるようなことはしない。…と思う。
「…今日はちょっと、体調がすぐれませんので…」
帰って欲しいという意味だった。
裕也専務が本当に許可を出して部屋に上げているのかわからない以上、私には恐怖しかない。
もし、何も知らなかったら?
…どうやって入ったの?
昨日だってそう。
今日、吉成さんがやってきたことを話さなかったことを強く悔やんだ。
やっぱり、鍵の閉め忘れではないかもしれない…
つい疑いの目を向けてしまう。
吉成さんはそんな視線に気づかないのか、のんびりした様子。
「風邪でも引いたの?…どうぞ!寝室で横になって」
…寝られると思うんだろうか…
「い、いえ…私も、裕也専務が戻るのを待ちますので」
寝室に行こうかトイレに行こうか。迷ってトイレに行くことにする。
ついでに、玄関の鍵は開けておいた。
一瞬、このまま外に出てしまえばいい…と思ったけど、裕也専務のデスクには、大事な資料や情報があるかもしれない。
吉成さんの目的が何なのかわからないけど、やっぱりこのまま自分だけ逃げるわけにはいかない。
ポケットには携帯。
とにかく、裕也専務に連絡しなければ。
「…早く、出て!」
ジリジリした気持ちでコール音を数えているうちに、着信音から留守電に切り替わってしまった。
今すぐ帰ってきてもらうのは不可能かも…絶望する耳に、メッセージを残す案内がされる。
いつ留守電を聞くことになるか…今夜の裕也専務の予定を思い出して肩を落とした…
それでも、何も言わないで切るよりマシだろうと、帰宅したらすでに吉成さんが部屋にいた…というメッセージを残した。
「裕也、携帯に出た?」
トイレから出ると、まるで待っていたように吉成さんがいて、私は変な叫び声をあげ、慌てて口を押さえる。
トイレと玄関は近い…
このまま帰ると言ってくれ…頼む…と、心の中で必死に祈る。
「それにしてもさぁ…」
明かりのついた洗面室にいる私と、薄暗い廊下に立つ吉成さん。
その表情はよく見えないけど…多分、あまり明るい顔はしてないと思う。
「似てるんだよなぁ…真奈に」
私が…真奈さんに…
愛想笑いする余裕もうまく言葉を返す余裕もない。
ただ、苛立ちを感じるだけ…
「そんなこと…言われたくないです」
私は私です…と続けると、吉成さんは暗がりでもはっきりわかる笑顔をこぼす。
「そんな風にハッキリ言うところは似てないよ。…真奈は適当で嘘つきで、その場が良ければなんでもいい女だからさぁ…」
…一歩、近づいてきた。
「でも、見た目は似てるんだよ」
…今度は、ゆっくり手が伸びてくる。
「なのに舞楽ちゃんの方は正直で嘘をつかないなんて…裕也はいい方を選んだよなぁ」
「ち、近づかないでください」
ジリジリ詰め寄られる恐怖…
この人は…いったいなにが目的?
「いいじゃん、どうせ裕也も、真奈と今も繋がってるんだからさぁ」
「…えっ?」
それを…思わないことはなかった。
だけど「まさか」で片付けてきたのに…
「…不倫。俺と結婚してからも、真奈は裕也とよろしくヤッてんの。俺が知らないと思ってるみたいでさ!」
現在進行形の不貞行為…?
真奈さんは、裕也専務にとって…過去の好きな人で、付き合っていたのも過去で。
2人が別れてから、真奈さんは吉成さんと結婚した…
そう思っていたのに…結婚しても関係は切れなかった…?
「今も…不倫関係だって言うんですか?」
「そ!…だから俺たちも、さ」
吉成さんに肩をつかまれた、と思った瞬間、抱き寄せられた。
「…いやっ!」
裕也専務とは違う、甘ったるい男の匂い。口元からミントの香りがして、準備でもしていたのかとゾッとする。
強まる腕の力を、涙ながらに叩き、逃れようともがいた。
その瞬間、携帯の着信音が鳴り響き、同時に玄関のドアが強くノックされた。
「…っ!助けてっ!!」
恐怖で詰まる喉を必死に開き、振り絞るように声を出した。
「助けてっ!!」
とっさに口を押さえられ、その指を噛もうとしたとき、名前を呼ばれた。
「…舞楽…っ!」
この声は…
玄関ドアを開けたのは、聖だった。
吉成さんの力が緩んだ隙をついてその腕から逃れ、同時に聖が、吉成さんの腕をつかみ、ひねりあげて洗濯ロープで締め上げた。
ちゃんと片付けなかった自分を褒めたい…!
「痛…っ!
きさま、俺にこんなことして…
ただですむと思ってんのか…っ?!」
「うっせーよ。あんたこそ、自分で何したかわかってんのか?」
締め上げたロープをさらに引っ張り、聖は私を見た。
「大丈夫か…舞楽?」
洗面室の床に座り込んだ私は、聖の声にすぐに反応できず、ゆっくり目を閉じた。
「…熱出してるな?取りあえず行くぞ」
支えるように肩を抱かれ、私のバッグを持って玄関に向かう聖。
「…おいっ!俺は?俺はどうするんだよっ!縛られて、痛いだろうがっ」
「あんたら夫婦の揉め事に、関係ないこの子を巻き込もうとするからだ。裕也専務を待って、縄を解いてもらうんだな?」
置き去りにしようとする聖に、朦朧とする頭を何とか働かせて言った。
「…私も、待ってる。裕也専務を待ってる」
私を見下ろす聖の顔が、なんとも言えない複雑な表情になる。
「…ダメだ」
「なんでっ…!?」
契約を結んだ身として、帰ってくるまでこの部屋を守らなきゃ…
「あの男の言ったこと、嘘じゃないかもしれない」
「それは、どういう…」
「…昨日見たんだ。裕也専務と髪の長い女が、ホテルから出てくるところを」