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第54話

「もう迷惑かけられないよ…」


裕也専務が出て行って、聖が泣く私を、包み込むように抱きしめてくれる。


私には、安心する家族のような人の腕の中。でも聖の思いは…違うかもしれない。


必死に泣き止んで、胸を押す私に、聖が言う。



「迷惑なんかじゃない。俺も、ちゃんと裕也専務とのことを見届けたいと思ってる」


明日迎えに来ると言った裕也専務。

今日話を長引かせなかったのは、私の体調を考えてのことだと思う。


でも…こんな日は眠れない。

きっと眠れない。



「聖、私…行くね」


「行くってどこへ…?」


…裕也専務のところへ、帰る。

話を先延ばしにされるのは、耐えられない。


それに…



「…美波の気持ちも聞いて、ここに泊まるわけにはいかないよ」


「それとこれとは、今は別で考えろよ」


「無理だよ…私にとって、美波も大事な幼なじみだもん」


もしかしたら、美波も今…1人で泣いてるかもしれない。

その涙の理由に、なりたくなかった。


私の思いを聞いて、聖はそれ以上何も言えなくなったみたいに、辛そうな表情になる。


せめてタクシーを使えと、聖が呼んでくれて、複雑な表情のまま送り出してくれた。



「…どうなったのか、ちゃんと知らせろよ?」


「うん。知らせる。約束する」


明日どんな話し合いになっても、聖にも美波にも、ちゃんと伝えるつもり。


裕也専務との契約が解除されても、2人との縁は…これからもずっと続いていくんだから。


たけど…


タクシーでマンションの住所を告げたけど…途中で心が折れてしまった。


行き先を変更し、駅前でタクシーを降りた。


今夜一晩は、裕也専務が言ってた話を整理しよう。

そんな風に思って、頭に浮かぶ人がいた。



「柳くん…」


確か…この駅を通る沿線のターミナル駅に住んでるはず。

1度遊びに行ったこともあるので、うろ覚えながらマンションもわかる。


携帯がないから、在宅してるか都合がいいかわからないけど…こういう時に遠慮したなんて知ったら、あとで怒られる。


ダメ元で行っていなかったら、駅前にいくつか、朝まで営業してるお店があると思いついて…


私は駅の中に吸い込まれて行った。



……………



「なんか、ほんとによかったのかな…?」


柳くんの住まいがある駅に到着して、直結するスーパーで偶然出会ってしまった…



「当たり前じゃん!思い出してくれて嬉しい!」


柳くんは彼氏と一緒だったけど、私を見つけてその表情を見て、すぐに彼氏に今日は実家に帰れと追い払ってしまった。



「彼氏さん…ちょっと寂しそうじゃなかった?」


「ううん。いつもああいう顔だから大丈夫!」


愛されてる自信に溢れてるのを感じて、つい羨ましい…なんて思ってしまう。



柳くんは私を自宅に案内すると、あり合わせの材料で何品かつまみを作ってくれた。


熱を出していたけど、本当に精神的なものだったみたいで、体調に変化がない私は目の前に出されたチューハイに口をつける。



「で…何があったのさ?」


裕也専務の外泊、吉成さんの不審な訪問、そして不倫をしていた事実。


ここ数日の出来事と、裕也専務に聞いた話を打ち明けると、柳くんは思いがけないことを言う。



「裕也専務は、舞楽のこと愛しく思ってるっしょ」


「…なぜに?…私は真奈さんの身代わりだったんだ…って1番に思ったんたけど」


「…とっかかりはそれでも、今は全然違うと思う」


まるで見てきたかのように言う柳くん。…でもそう言われると、明日話をする勇気が湧いてくる。



「まだ舞楽が秘書課にいる頃さぁ、裕也専務が来たとき、結構怖い目で睨まれたんだよね」


「そうなの…?」


「意識してないから、僕らってどうしても距離が近かったりするじゃん。あの時、目線がチラッと手元に向いたんだよね。その時、舞楽と手が触れてたのよ」


ジェラシーに違いないと、柳くんは言う。


そうかな…と、イマイチ自信のない私は、チビチビとチューハイを飲みすすめる。



「でも…契約関係だし偽装だし…」


この関係に先があるわけじゃないとまで言わなかったのは、心配そうな柳くんの目線に出会ったから。



「明日、全部聞いてくる。話は終わったわけじゃないって言ってたから」


私はそう言って、改めて柳くんのハイボールと乾杯した。








…翌朝、インターホンが鳴らされ、同時に玄関ドアをノックする音で目が覚めた。


リビングのソファをベッドにしてもらって寝ていた私は、壁に掛けてあるおしゃれな時計を確認した。


早朝6時を少し過ぎたところ…?

おしゃれすぎて、時間がハッキリわかんないんだけど…



繰り返されるインターホンとノック…寝室で寝ていた柳くんが対応に出てきた。




「…はぁ…い。りょうちゃん?まだ帰ってきていいとは言ってな…」


い…と言い終わって。


開けたドアの向こうにいた人に「…ヒィ…っ!」と声を上げたのが聞こえる。



「どうしたの?!…柳、くん…」


慌てて私も玄関先に飛び出し…柳くんの向こうにいる人に睨まれて、目をひん剥いてしまった。






「ゆ、裕也専務…」


眉間に深く刻まれたシワが、目元の鋭さを際立てる。



「今朝、聖に連絡したんですよ。今から迎えに行くって」


今朝って…まだ今朝になったばかりだと思うけど…



「そしたら昨夜のうちに、マンションに帰したって言うじゃありませんか」


聖…いったい何時に叩き起こされたんだろう…



「…そのつもりだったんですけど、やっぱり、帰れなくて…」


裕也専務がずんずん近づいてくるから、つい2〜3歩後ろへ下がる。


「美波さんにも連絡して、来てないことがわかって、そこで思い出したんですよ。秘書課の美男子のお友達を」


ギロリ…と音がするほど横目で睨まれる柳くん。


「ぼ、僕は…友達です!正真正銘の…!」


柳くんは私のバッグを持ってきて裕也専務に押し付ける。


そして私に目で合図しながら手を振って…私たち2人を玄関の外に追い出した。



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