「もう迷惑かけられないよ…」
裕也専務が出て行って、聖が泣く私を、包み込むように抱きしめてくれる。
私には、安心する家族のような人の腕の中。でも聖の思いは…違うかもしれない。
必死に泣き止んで、胸を押す私に、聖が言う。
「迷惑なんかじゃない。俺も、ちゃんと裕也専務とのことを見届けたいと思ってる」
明日迎えに来ると言った裕也専務。
今日話を長引かせなかったのは、私の体調を考えてのことだと思う。
でも…こんな日は眠れない。
きっと眠れない。
「聖、私…行くね」
「行くってどこへ…?」
…裕也専務のところへ、帰る。
話を先延ばしにされるのは、耐えられない。
それに…
「…美波の気持ちも聞いて、ここに泊まるわけにはいかないよ」
「それとこれとは、今は別で考えろよ」
「無理だよ…私にとって、美波も大事な幼なじみだもん」
もしかしたら、美波も今…1人で泣いてるかもしれない。
その涙の理由に、なりたくなかった。
私の思いを聞いて、聖はそれ以上何も言えなくなったみたいに、辛そうな表情になる。
せめてタクシーを使えと、聖が呼んでくれて、複雑な表情のまま送り出してくれた。
「…どうなったのか、ちゃんと知らせろよ?」
「うん。知らせる。約束する」
明日どんな話し合いになっても、聖にも美波にも、ちゃんと伝えるつもり。
裕也専務との契約が解除されても、2人との縁は…これからもずっと続いていくんだから。
たけど…
タクシーでマンションの住所を告げたけど…途中で心が折れてしまった。
行き先を変更し、駅前でタクシーを降りた。
今夜一晩は、裕也専務が言ってた話を整理しよう。
そんな風に思って、頭に浮かぶ人がいた。
「柳くん…」
確か…この駅を通る沿線のターミナル駅に住んでるはず。
1度遊びに行ったこともあるので、うろ覚えながらマンションもわかる。
携帯がないから、在宅してるか都合がいいかわからないけど…こういう時に遠慮したなんて知ったら、あとで怒られる。
ダメ元で行っていなかったら、駅前にいくつか、朝まで営業してるお店があると思いついて…
私は駅の中に吸い込まれて行った。
……………
「なんか、ほんとによかったのかな…?」
柳くんの住まいがある駅に到着して、直結するスーパーで偶然出会ってしまった…
「当たり前じゃん!思い出してくれて嬉しい!」
柳くんは彼氏と一緒だったけど、私を見つけてその表情を見て、すぐに彼氏に今日は実家に帰れと追い払ってしまった。
「彼氏さん…ちょっと寂しそうじゃなかった?」
「ううん。いつもああいう顔だから大丈夫!」
愛されてる自信に溢れてるのを感じて、つい羨ましい…なんて思ってしまう。
柳くんは私を自宅に案内すると、あり合わせの材料で何品かつまみを作ってくれた。
熱を出していたけど、本当に精神的なものだったみたいで、体調に変化がない私は目の前に出されたチューハイに口をつける。
「で…何があったのさ?」
裕也専務の外泊、吉成さんの不審な訪問、そして不倫をしていた事実。
ここ数日の出来事と、裕也専務に聞いた話を打ち明けると、柳くんは思いがけないことを言う。
「裕也専務は、舞楽のこと愛しく思ってるっしょ」
「…なぜに?…私は真奈さんの身代わりだったんだ…って1番に思ったんたけど」
「…とっかかりはそれでも、今は全然違うと思う」
まるで見てきたかのように言う柳くん。…でもそう言われると、明日話をする勇気が湧いてくる。
「まだ舞楽が秘書課にいる頃さぁ、裕也専務が来たとき、結構怖い目で睨まれたんだよね」
「そうなの…?」
「意識してないから、僕らってどうしても距離が近かったりするじゃん。あの時、目線がチラッと手元に向いたんだよね。その時、舞楽と手が触れてたのよ」
ジェラシーに違いないと、柳くんは言う。
そうかな…と、イマイチ自信のない私は、チビチビとチューハイを飲みすすめる。
「でも…契約関係だし偽装だし…」
この関係に先があるわけじゃないとまで言わなかったのは、心配そうな柳くんの目線に出会ったから。
「明日、全部聞いてくる。話は終わったわけじゃないって言ってたから」
私はそう言って、改めて柳くんのハイボールと乾杯した。
…翌朝、インターホンが鳴らされ、同時に玄関ドアをノックする音で目が覚めた。
リビングのソファをベッドにしてもらって寝ていた私は、壁に掛けてあるおしゃれな時計を確認した。
早朝6時を少し過ぎたところ…?
おしゃれすぎて、時間がハッキリわかんないんだけど…
繰り返されるインターホンとノック…寝室で寝ていた柳くんが対応に出てきた。
「…はぁ…い。りょうちゃん?まだ帰ってきていいとは言ってな…」
い…と言い終わって。
開けたドアの向こうにいた人に「…ヒィ…っ!」と声を上げたのが聞こえる。
「どうしたの?!…柳、くん…」
慌てて私も玄関先に飛び出し…柳くんの向こうにいる人に睨まれて、目をひん剥いてしまった。
「ゆ、裕也専務…」
眉間に深く刻まれたシワが、目元の鋭さを際立てる。
「今朝、聖に連絡したんですよ。今から迎えに行くって」
今朝って…まだ今朝になったばかりだと思うけど…
「そしたら昨夜のうちに、マンションに帰したって言うじゃありませんか」
聖…いったい何時に叩き起こされたんだろう…
「…そのつもりだったんですけど、やっぱり、帰れなくて…」
裕也専務がずんずん近づいてくるから、つい2〜3歩後ろへ下がる。
「美波さんにも連絡して、来てないことがわかって、そこで思い出したんですよ。秘書課の美男子のお友達を」
ギロリ…と音がするほど横目で睨まれる柳くん。
「ぼ、僕は…友達です!正真正銘の…!」
柳くんは私のバッグを持ってきて裕也専務に押し付ける。
そして私に目で合図しながら手を振って…私たち2人を玄関の外に追い出した。