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第55話

「…ったく。ここを突き止めるのに、早朝から星野さんまで叩き起こしましたよ」


前髪をかき上げて覗く額が綺麗だと呑気に思いながら、出会う切れ長二重が揺れていることに気づく。


ゆっくり私に焦点を合わせる目が、心配をかけたと気づかせ…心の中で謝罪した。



関係各所…ごめんなさい。



さらりと落ちた前髪を見て、昨日はゆっくりお風呂に入って休めたのかな、と思う。


「すいません…でした」


謝ったのは、心配させたことと、バッグを持たせたままだったこと。


裕也専務はバッグを私に返すことなく、左手でぶら下げ、マンション前に停めた車に乗り込んだ。



「…その服は?」


「…え」


そういえば、聖に借りたスウェットのままだ…



「聖のを借りて着てるんですか…」


ため息混じりに言われて、何を意気消沈する理由があるのかわからなくて、若干パニくる。


車を発進させ、裕也専務はとても自然に私の手に触れた。

ギクッとしたのは、若干手が震えたから、バレたかもしれない。



「熱は?昨夜は出さなかったんですか?」


「あ、大丈夫です。昨日は柳くんにおつまみ作ってもらって、お酒も飲んだので」


信号で停まって、私の顔を覗き込む裕也専務。



「…まだ青白い」


…なんでそんなに心配の色を浮かべるんだろう。

私の恋心は昨日、パリン…と音を立てて壊れたのに。


マンションに到着して、吉成さんと揉めた形跡がまったく消えていたことに安堵した。


携帯は思っていた通り洗面室にあったとのことで、充電済みのそれを手渡されてホッとする。



「この後、ハウスクリーニングを入れるので、安心してください」


裕也専務は吉成の痕跡を徹底的に消すから…と言って、私にカードキーを渡した。



「あの…今後の契約について話すって…」


昨日、裕也専務はそう言って帰っていった。


それは契約解除も視野に入れた話じゃないのか…


ハウスクリーニングを入れるとかカードキーを手渡されるとか、このまま契約は続くと勘違いしてしまう。



「…契約は続きます。君が帰る場所は、変わらずにここです」


ダイニングテーブルに向かい合って座り、裕也専務は外泊した夜のこと、聖が見た真奈さんと一緒だった理由について話しだした。



「…吉成さんに騙されたってことですか?」


「そうなりますね」


「あの日、吉成さんはここへ来たんです。チャイムも鳴らさず、玄関先で声がして、見たら吉成さんがいて…」


裕也専務は大きく息を吐いて、吉成さんに白状させたことを話してくれた。



「ここへ来たときに、スペアキーを持ち出していたんです。俺と一緒に入ったとき、エントランスの暗証番号も盗み見たと言ってました」


スペアキーは玄関の目立たない場所で保管していた。

そこにあるとわかれば、手にするのは難しくない…



「目的は…」


私の問いかけに、裕也専務は下を向いた。


「それについては…申し訳ない」


真奈さんと裕也専務の過去が関係している、と理解した。


「真奈は、俺と付き合っていながら、吉成と結婚すると決めた。それなのに俺とも別れるつもりはなかったようで…こっちの苦しみも知らずに連絡してきて、断れなかった過去がある」


敬語が崩れてる…

裕也専務の胸の内を思って辛くなった。


「吉成は真奈の裏切りに感づいていた。俺とはもう会わなくなってたけど、いつか制裁を加えたいと思っていたんだろう」


自分の奥さんに似た私が、クラブ「LUNA RUNE」に入ってきたことで、吉成さんはいつしか…歪んだ形での罰を考えるようになった…


制裁が私に向くとは思いもよらなかったと、苦悩の表情を浮かべる裕也専務。


そして真奈さんとの不倫の始まり、断れなかった心境を、裕也専務は包み隠さず教えてくれた。


「いつか、君に真奈のことが好きだったと伝えたと思うが、あれは不倫をしていたことを打ち明けようと思ったからだ」


「え…あの時、私…」


「寝てしまった。時間も遅かったし、別の機会に話そうと思っていたら、こんなことに…」


うなだれた裕也専務は、もう一度私の目を見て謝罪してくれた。


「怖い思いをさせて、本当に申し訳なかった。玄関の鍵はすべて付け替えたし、エントランスの暗証番号も変えた。このマンション専属のコンシェルジュを雇って、不審な人物の出入りはないか、今後は徹底的にチェックをする」


「い…いえ、そこまでしなくても…」


「俺の気がすまない」


キッパリした顔には、もう手配済み、と書かれているようだ。


「心遣い、ありがとうございます」


お礼を言ってから、1番聞きたいことを口にした。


「騙されて真奈さんとホテルの部屋で出くわして、一緒にエントランスを出ることになったのはわかりました…でも、どうして帰ってきてくれなかったんですか?」


別の女性がいる…?恋人…それとも遊びの人…?


「真奈の香水がスーツに移ってたから。君に変に誤解されたくなかった…あの日は、役員室に泊まりました」


役員室のお泊り仕様と着替えがあることを教えてもらって納得する。


「それじゃ、昨日は…?」


「昨日は、真奈と成田に捕まって、郊外のホテルに軟禁されてたんですよ」



経緯を聞いて驚いた…


昨夜のことを謝りたいという真奈に、今後の接し方について話そうと、カフェに行ったという裕也専務。


そこでの真奈の話は大したことはなく、主に裕也専務専務からの、昨夜のことを含めた苦情と節度ある態度を求める話で終わったらしい。


カフェを出たところで別れようとして、吉成の運転手が迎えに来ているから送る、と言われたという。


「断った。でも目の前でドアを開けられて、あっという間に押し込まれました」


その時、少し激しくやり取りして、携帯を落としたらしい。


「車に乗せられて、ドライバーが成田だと気付きました。俺を騙すなんて…叱り飛ばしましたよ」


「成田さん…その日、エントランスで真奈さんと一緒にいるところを見ました」


「…2人はいつの間にかグルになってたんですね」


車の中で携帯がないことに気づいて、とりあえず2人が何をしたいのか見極めようと覚悟を決めたという。



「いくら2人がかりとはいえ、相手は女性ですからね。俺が本気になれば、2人を締め上げることはできると思いましたから」


ところが…と、裕也専務は少し笑顔になった。


「高速を降りた郊外の街で、目についたラブホテルに連れ込まれたんですよ。…中に入れば、こっちの分が悪くなると思って拒否しようとしたら、突然眠くなって、気づいたらホテルのベッドに寝かされてました」


「えぇ…っ?」


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