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第58話

「今日は約束がありまして…」


数日後、仕事終わりに、柳くんと会うことになった。


言い忘れたらいけないと、朝のうちに予定を伝える。



「デート…ですか?」


「…へ?まさかまさか…柳くんですよ?この前急に泊めてもらったし、心配をかけたので」


聖と美波にも連絡して、近く会うことになったが、今日はまず柳くんなのだ。



「あの…今日は、何かやらなくてはいけない業務がありましたか…?」


眉間にしわを寄せ、ひと目見てわかる、不機嫌な顔…



「ありませんよ?ただ…」


凛々しい眉を軽くひそめ、指先でメガネを直す仕草…

朝の陽射しにプラチナのフレームが反射して、キラリと光る。



「酒を飲む気ですか?」


「あ…?はい。多分」


裕也専務、素敵だと褒めたからなのか、コンタクトにこだわらなくなったのか、いつからかメガネをかけるようになっていた。


メガネの種類も、日に日に増えていくような…



「酒は…1杯だけにしてください…いや、迎えに行きます」


「いえ…そんな…」


裕也専務に迎えに来てもらうなんて申し訳ない、そう思ったから断ったのに。



「また外泊する気ですか?…そうなってもいいや…と思ってます?」


「そんなわけないです…!」


言いながら、前科のある私は、あまり強く出られない…



…………


「そっか…ふふん…!やっぱり僕の思った通り」


柳くんと落ち合って…裕也専務が迎えに来た後の経緯を話し、これまで通りということで落ち着いたと話した。


すると柳くん、片手で顎を支えながら意味深な目を向けつつ、冒頭のセリフ。


柳くんと落ち合ったのは、マンションの近くの個室居酒屋。


「美容のため」と言いながらアセロラサワーを飲み、「コラーゲンたっぷり」と言いながら、参鶏湯を注文した柳くんは、相変わらず私より断然女子力が高い。



「…な、何が思った通りなの?」


「…付き合いはじめた?ついに…偽装関係なんか捨てて?」


質問に質問で返さないでほしぃ…

結局私が尋問されることになる。


「いや…別に」


「なに別にって…」


「だから、そんな…好きとか偽装はナシとか…そんな話はしてないってことだよ」


「はぁ…?裕也専務、本命には意外とポンコツなんだなぁ…」


ポンコツは舞楽も一緒だと、私を見下ろす目が言ってるのがわかる。


あの時…確かに、裕也専務は私から何か言葉を引き出そうとしていた気がする。


でも…何を?


偽装婚約者である私から、何を言えるって言うの?


ずっと、一緒にいたいって?

偽装関係じゃなくて、本当の婚約者になりたいって?


それが私の本音だとして。

…叶うかどうかは、別の話…だと思う。


だって裕也専務と私じゃ、釣り合わないにもほどがある。


柳くんに、まだそんな心の内を話せる心境にはなれない…


でもそんな本音は、実はとっくに見透かしているような柳くん。


こちらに向ける目の色が、楽しく煽るものから、慈愛に満ちたそれになる。


気づけばいつもより早いペースでお酒を飲んでいたらしく…1時間後には完璧な酔っ払いになってしまった私…。





「…君、ボーナスの査定に響きますよ?」


いつの間にか、柳くんと私の間に、男の人の大きな背中があることに気づく。



「…ちょっと、話してるのに…ジャマ」


声をかけると、大きな背中が振り向いて、裕也専務みたいな人が私を見た。


お風呂に入った後の、サラッとした髪の感じがそっくり…


カッコいい人だなぁ…と思っていると、その人の向こうにいる柳くんが言った。



「どうしてですか?…いい方に査定が転がるはずですけど…」


また私に背を向けて、その人はちょっと楽しそうに柳くんを見た。



「…なんで?」


「舞楽、このくらいの酔い加減が1番可愛いからですよ!」


一瞬黙った祐也専務…みたいな人。



「…確かに」



…なにそれ。




お店を出て柳くんに別れを告げ、私は裕也専務みたいな人に「フラフラして危ない」と言われ、手を繋がれた。


大きな手はあったかくて嬉しい。


なんだか…とても嬉しくて、繋がれた手をブンブン振り回して夜の街を歩いた。


…マンションまで、どのくらいなのかはわからない。


わからないけど…夜風は気持ちよくて、テクテク、ブンブン。テクテク、ブンブン。


歩くうち、裕也専務みたいな人が、声を上げて笑った。




「…おでん、食べたい」


コンビニの前を通りかかって、パタッと止まった私に、引っ張られるように止まった裕也専務みたいな人。



「何が食べたいの?」


顔をのぞき込まれるように聞かれた。



「大根とはんぺん…」



繋いでいた手が、私の腰に回され、急に密着する。



「…しょうがねぇなぁ…」


反対の手で一瞬後頭部を撫でられ、おでこにチュ…っと唇が触れる。


離れた瞬間、キスされたことを確かめるように、指先でおでこを撫でた。



「…可愛すぎ」


そういえば、低くて落ち着いた声も、裕也専務にそっくりだと気づく。


腰に回した手はそのまま、もう一度後頭部を撫でた。

距離が近くて、さっきから石鹸の香りにまざって、柑橘系のスパイシーないい匂いがする。



「落ち着け…俺…」


そっくりさんは謎の言葉を言いながら、私を店内へとうながした。


大根とはんぺんって言ったのに…お店を出る時には、大きなトレーにたくさんのおでんが入った袋をぶら下げていて…私はちょっとだけ酔いがさめた。



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