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第59話 Side.裕也

「舞楽…こっち見て」


「…ん?」


帰宅したとたん、テレビの前のラグに正座して、じっと番組を見始めた舞楽。


…その目には何も映していない。

とろん…として、俺が声をかければ、少しダルそうに視線を向けた。


…わかってるんだろうか。


俺を見る舞楽の目は、薄茶色で少しだけ目尻が上がっていて、まつ毛が上下とも綺麗に縁取られた…魅力的な瞳だということを。


そして、その目を向けられると、少し前から俺の様子がおかしくなることを。



「はんぺん食べる?…」


つい…たくさん買ってしまったおでん。その中から、好きだと言ったはんぺんを持ち上げて見せた。



「ん…。あーん…」


…殺す気か?


リップをつけていない紅い唇が、無防備に開けられて焦る。


唇に触れたい欲望を何とか抑え、希望通りはんぺんをそっと口に入れてやる…

箸が唇に触れて、口を閉じる舞楽…


「おいし…」


ニコッと笑うその顔から…目が離せない。



あぁ…もう、俺はいい加減…



「…大根は?」


「…は?」


はんぺんを飲み込んだらしい舞楽は、俺の気も知らずに大根を要求してきやがった…



「裕也…って言ってみ?」


望み通り大根を食べさせるために箸で切り分けながら言う。


どさくさにまぎれすぎだろ。



「裕也…?」


これは違う。ただのオウム返しだ。

そんなんで、俺が納得すると思って…


「裕也、大根は?」



「…熱いから、ヤケドすんなよ」


本当は、たいして熱くない。

大根にキスをして…それを舞楽の開いた唇にそっと入れる。


ジュワ…っと溢れる出汁が、唇の端から垂れるのを見て…

俺は、大きくため息をつく。




「…眠くなっちゃった…」


よく言うよ。

迎えに行ったら、俺にもたれてほとんど寝てたくせに。


「シャワーは?いいの?」


「…入って来る」


「…手伝おうか?」


変な意味で言ったわけではない。

まだ少しフラフラしていたから、心配で言ったことだ。


俺の言葉に答えることなく、舞楽はいたずらっぽい笑顔を残し、千鳥足でバスルームへ行ってしまう…



一緒に入ってもいいということだと…勝手に脳内変換してみたが、怒られたら嫌なので、ダブルベッドで大人しく待つことにする。


別に…何かを期待して待っているわけではない。

ただ、まったく眠くならないだけだ。


がちゃん…っと大きめの音が聞こえて、リビングを覗いてみる。


レースのカーテンが揺れていた。


…ベランダに出たのか?



「…何をしてる?」


「髪、乾くかなぁって…」


「無風だ。乾くわけないだろ」


「怖い…」



ごめん、と。

素直に謝りそうになってしまった。


…冗談じゃない。

なんで俺が、こんなに甘くならなきゃいけないんだ?


ふざけんな…俺はもう、先に寝…


「裕也…」


伏せた瞳が、少しずつ俺をとらえるようにあがってくる。スローモーションのように見せつけられて、動けない。



「…なに」


「ん…?」


「…今呼んだろ?」


あぁ…!と納得したように言いながら、胸元にぶつかってくる舞楽。

…背中に、細い手の感触。



「…大好きだよ?裕也…」


えへへ…と笑う声は、信用ならない。


でも…



嬉しい。可愛い。俺も好き。



もしかしたら、もう自力で止められないかもしれない。唇に触れたい欲求も愛しい想いも…ギリギリだ。


柔らかく唇を重ね、甘さを全身で感じる。



「は…ぁ、裕也…?」


「…ん?」


名前を呼んだあと、語尾をはね上げないでくれ。


酔っ払いのせいか、ちょっと舌先で突けば、唇は難なく開く。



声にならない小さな悲鳴が、俺の鼓膜を揺らすたび、こっちの理性はカウントダウンだ。


気づけば…理性を振り切って、Tシャツの背中に手を入れて…ハーフパンツの腰を撫でながら密着していた。


慌てて離れたのは、酔ってる舞楽を、俺の欲望だけで抱くわけにいかないと思ったから…

しかも、彼女は多分、経験がない。


そう意識すればするほど…早く自分のものにしたいと強く思ってしまうが…ダメだ。…今日じゃない。



「…先に寝てなさい」


寝室のベッドに寝かせて、俺は大きく息を吐いて…バスルームへと向かった。




酒に酔ったところを見たのは初めてだ。…あんなに変わるのか?

いつもはもっとキリッとしてて、しっかりした印象。

それが時々フワッと緩くなる瞬間があって、いつからか、それを見逃したくないと思うようになった。


緩くなる瞬間…あの時がそうだ。

フレンチトーストを作ってくれた時、フォークで食べさせてやろうとしたら素直に口に入れて、モグモグしながら敬礼してみせた。


…いや、いちご大福をかじらせた時も。それから、食べかけのたまごサンドを食べさせた時…。



「…俺が与えたものを素直に口に入れる時…か」


自分が動揺するキーワードは「唇」

それは自分でもわかっている…



ざっと髪を乾かして寝室に向かいながら、そういえば舞楽の髪を乾かしてやるのを忘れた…と思い出した。


いや待て。なんでそんなことを俺がやる必要がある?


「…末期か…」


風邪をひかせたくないと思う。

そんなことを人に対して思うのは、初めてかもしれない。





寝室のドアを開けて…一旦、閉めた。


…ライトを消さずに寝ている。

毛布を、掛けてやるのを忘れた。


ハーフパンツから白い足がむき出しになっていた。

裾がめくれて、太ももまで全部。


生地が悪い。

コットンじゃなかった。さっき触ったからわかる。

化学繊維でできた、サラサラと肌を滑るような生地のハーフパンツ。


膝を立てたことでスルリと生地が滑って…足がむき出しになったということだ。


…情けないが、もう本当に…今夜の俺を刺激しないでほしい…



それでもドアを開けたのは、別にもう一度綺麗な足を見たいからでは、決して…ない。


毛布をかけてやらなければ、本当に風邪を引く。


そう自分に言い聞かせて眠る舞楽を見下ろせば…スッと制御が効かない状態になって、焦る。


そっとベッドに近づいて、髪に触れる。…もうほとんど乾いていた。

ふっくらした頬に指先が触れ、迷いながら…唇に触れれば…


抗いがたい衝動が、下腹部から突き上げてくるような感覚…


まずい。非常にまずい…

そう思えるくらいには、理性が残っていたことに、我ながら感心する。


足元に座って、そっと太ももを片腕に抱き…膝小僧にキスを落とす。

…これくらいは、許される…はず。


俺は毛布を掛けて、ライトを消して寝室を出た。


絶対に理性が飛ぶのはわかっているので、俺の今日の寝床はリビングのラグで決まりだ。



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