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第61話

『忘れ物を取りに行くだけのつもりが、やり残した仕事に手を付けてしまいました。遅くなりそうなので、執務室に泊まります』


裕也専務からのメッセージに気付いたのは、お風呂から出てから。


何かあったらすぐに連絡すること、そして執務室直通の番号も記されていた。



今夜は…1人…


じわりと、冷たい汗がにじんでくる。


玄関から順番に、廊下、バスルーム、洗面室、トイレ…すべての明かりを灯していく。


そしてリビング、キッチン、寝室。

テレビも、音を小さくしてつける。


自分が小刻みに震えているのがわかって…さらに冷たい汗が背中を伝うのを感じた。


…大丈夫。

吉成さんが突然来たとき、私は玄関先で裕也専務を待ちながらちゃんと眠れた。



「そ、その時と同じように…」


玄関に向かいながら、同じにはできないと気づく。


あの日は、裕也専務が帰ってくると思って待っていたから。

だから、大丈夫だったの。



「今日は、帰ってこない…」


大げさなほど、涙が溢れてきて、冷や汗と震えと不安で怖くて…リビングと寝室を行ったり来たりしてしまう。



…2年前、両親を突然亡くしてから…私は夜を1人で過ごすことが難しくなっていた。


それは…まだ両親と一緒に暮らしていた実家で、2人の帰りが遅いな…と思いながらベッドに入ったあの日。


いつものように明かりを消して寝ていた時に、警察からの連絡で目を覚ました。


暗闇の中、携帯の向こうの警官に言われたことは…忘れられない。



「ご両親が、交通事故に遭われました」




それ以来、暗い場所で1人、眠ることが出来なくなった。


両親が亡くなって、アパートで1人暮らしをすることを余儀なくされたけど、今みたいにすべての明かりをつけて眠っていた。聖や美波が来てくれることも多かった。


でも今は…


裕也専務が好きだとハッキリ自覚した私が、聖と美波の本当の気持ちを知ったのに、前のように甘えることはできない。


今日は、何とか1人で夜を過ごさなくちゃ…


思いついて裕也専務の枕を抱いて…毛布を肩から掛けて、前みたいに…玄関先に座り込んだ。





「どうした…?舞楽?」



どれくらいそうしていたのか…壁にもたれて眠っていたらしい。

いつもの低い声が聞こえて目が覚めた。



「裕也、専務…」



心配そうに覗き込んでいるのは、待ち望んだ人。

眉間にシワを寄せて、心配そうに顔を覗き込まれる。


とっさに、何も言えなくてうつむく私の肩を大きな手が掴んだ。



「こんなとこで…どうしてベッドで寝ない…?」


「すいません…」


立ち上がって、洗面室やバスルームの明かりを消して回った。

じっと私のやることを見て、様子がおかしいと気づかれたらしい。


「舞楽、ちょっとおいで」


裕也専務はチョイチョイ…っと私を手招きし、ラグの上に座ると、壁に寄りかかって私の手を引いた。


「寂しかったんですか?」


裕也専務の膝にまたがるように座らされ、そのまま腕の中におさまる…


「…はい」


規則的な心音と腕の中の温かさが、裕也専務のものだと思うと、すごく嬉しくて安心するのに、同時にドキドキして…


それでも、抱きしめられた体に、私もそっと手を回した。



「両親が、亡くなってから…」


こんなこと話したら、負担になるかもしれないのに、気づけば言葉にしていた私。



「1人で夜を過ごせないんです」


後は涙になりそうで言葉が続かない私に、裕也専務は何も聞かない。

でも、たったひとこと、言ってくれた。



「もう2度と、1人にしないから」


ごめんな…って。


敬語じゃないのが嬉しくて、嬉しくて。


この時私の心は決まった。


裕也専務を愛する気持ちを大切にしたいって。そして、そんな気持ちを必ず打ち明けようって。


違約金も契約違反も全部受け入れる。いくらでもドンと来い…だ!

また借金を負うことになってもいい。


今まで…ほのかに芽生えた裕也専務への気持ちをどうしたらいいか迷ってた。でも…覚悟が決まってホッとする。


なんだかそれだけでもう嬉しい…!


髪を、背中を、なだめるように撫でてくれる裕也専務を見上げて、私は思わずニッコリ笑ってしまった。


さっき浮かんでいた涙をホロリと一粒流しながら。



「…あん?!」


裕也専務は撫でていた手を止めて、笑顔と涙を同時にさらす私に視線を向ける。


「泣くか笑うか…どっちかにしなさい」


理解できない…と言ってるような目。


私はもう一度笑って、ポス…っと、自分から裕也専務の胸におさまった。



気づくと、私はベッドに横になっていて、傍らに祐也専務が私の背中を撫でながらそばにいた。


ぬくもりに安心して眠ってしまったらしい。


目を開けた私に、祐也専務が信じられないことを言う。



「…あと5分で早井さんが来るから、急ぎなさい」


好きだと…猛烈に好きだと実感した人に体を撫でられて、まどろんでいた幸せをぶっ壊す愛しい人…


私は変な悲鳴を上げながらガバッと起きて、寝室から祐也専務を追い出し、スーツに着替えた。


…ドアの向こうから、祐也専務のこらえきれない笑い声が響いて、またいつかと同じ嘘をつかれたと、頬を膨らませる。


「またですか?…祐也専務、そんな嘘ばっかりつくと、えん魔さまに舌を引っこ抜かれますよ?」


「…はぁ?!」


大げさにとぼけた顔をして笑う祐也専務、絶対からかってる…!


…はずだったのに。


私の携帯が、早井さんの到着を知らせ…青くなった!

本当に5分前だったんだっ!


私は歯磨きと洗顔を30秒で済ませて、慌てて駐車場へと降りていった。


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