「ツーリストロードの川田さんからのご連絡で、社長が改めてご挨拶をしたいと言っておられるそうです」
専務役員室に出勤すると、星野さんが早速アポイントの件を祐也専務に伝えた。
と同時に、私の顔を見てギョッとした顔になる。
時間がなくてメイクできなかった…
車のなかでそんなことするのは失礼だし、今日は顔を伏せてここまでたどり着いたんだけど…
そんなにすぐに星野さんに気づかれるとは…そんなに私の顔は、メイクしないとショボいのだろうか…
「社長と一緒に挨拶…とは?」
執務室でデスクのパソコンに電源を入れながら、祐也専務が星野さんを見る。
「どうやら、代替わりしたらしくて。父親の前社長と息子の新社長2人そろって、祐也専務に挨拶をしておきたいということです」
「そう…ですか、それじゃ…」
視線をさ迷わせる祐也専務に、私はタブレットを持って近づいた。
「本日は夕方まで予定が詰まっておりますが、ご挨拶ということでしたら…」
「…会食、でしょうね」
星野さんの言葉を聞いて、タブレットで検索をかける。
するといくつかヒットした料亭のひとつを提案した。
「赤坂の…清みず亭でしたら予約が取れます。19時半でしたら…」
ふと目線を上げ、祐也専務と星野さんを交互に見た。
「…こういう場合は、何名の予約でしょうか…ツーリストロードの前社長と新社長、こちらからは祐也専務だけということで、3名でよろしいですか?」
それとも星野さんが同席するのか、もしくは別の役員が…?
首をかしげる私に、星野さんが意外なことを言う。
「…それが、舞楽ちゃんを連れてきて欲しいって、言われてるんだよね…」
チラっと、祐也専務を見る星野さん。
「あのSAIリゾートの祐也専務が専属秘書をつけたってことで、ぜひ息子に会わせたいと、おっしゃってます」
「なんですか?…それは」
眉間にシワを深く刻み、片方の眉だけを吊り上げ、星野さんを睨む祐也専務。
「…わかりませんが、断るわけには、いきませんよねぇ」
星野さんは私からタブレットを奪うと、清みず亭に19時半、4名で予約を入れてしまった。
「…えぇっ?あちらに確認しなくていいんでしょうか…?」
「大丈夫ですよ。今回の狙いは舞楽ちゃんだから、絶対予定を合わせてやってくるから」
それよりちょっとおいで…と、執務室を出る星野さん。
私を椅子に座らせると、引き出しからメイク道具を出してきた。
「専属秘書がノーメイクってまずいからね?」
慣れた様子でファンデーションを塗り、パウダーをはたいて、ブラウンのアイシャドーとピンク系のハイライトで目元を作ってくれた。
頬と同じ色のピンク系のリップを小指に取った時、いつの間にか後ろに立っていた祐也専務が、星野さんの手首を掴んだ。
訳知り顔で、私の背後にいる祐也専務を見て、星野さんはいたずらっぽく笑う。
「…リップは俺がやると?
…ふぅん」
はいどうぞっ!と、メイクパレットを渡された祐也専務。
椅子を持ってきて大きく足を開いて座ると、私のそろえた膝を挟み込んで、グッと近づいてきた。
そして星野さんが取った同じ色を小指に乗せる。
少し下に視線が向いている祐也専務。
この角度からの表情は初めて見るかも…
「口開けて…」
キスをする時…緊張して唇に力が入ってると、そう言って指先で顎を引かれることがある。
そうすると自然に口が開くんだけど、なんか…キスを連想して、恥ずかしい…!
「なぁんか…エロいなぁ、祐也」
星野さん、業務中に珍しく従兄弟モード…そんなことを思いつつ、顔が赤くなっていくのを止められない!
「だったら気を利かせて席外して」
…なんてことを言うんだ、裕也専務!
頭から湯気が出そうになる。
そうこうするうちに、祐也専務の小指が、私の唇にポンポン…と触れていく。
最後にそっと全体をなぞり、完成したみたいだけど、あれ…いつまでも祐也専務の小指は、私の唇から離れない…
夕方までの予定を滞りなくこなし、あとはツーリストロードの社長との会食を残すだけとなった。
わずかに休憩を取れそうで、コーヒーと一緒に、買っておいた豆大福を添えて祐也専務に出した。
「これ、君の好きなものですよね?」
「はい…すみません。どうしても、好きなものしか目に入らなくて…」
「…わかります」
そう言って私をじっと見つめるから、焦って豆大福のフィルムをはがして手渡してしまう…
「先に食べて」
「…へ?」
「好物なんでしょう?…半分食べる気満々だったくせに」
ニヤリと笑う顔が色っぽくて死にそう…!
魔法にかけられたみたいに、半分かじってしまった。
「粉、ついてる…!」
今度は無邪気に笑われて、慌てて唇に手をやったら、突然後頭部を押さえられてキスをされてしまった…!
「…取れた」と、再びニヤリ…
こんなことされたら…私は祐也専務に好かれてるのかなぁ…と勘違いしてしまいますよ…?
いやその前に、頭に血が上りすぎて倒れます…!
大福を半分こにしてキスをされるという…まさかの余韻がいつまでも残っているというのに…。
ツーリストロードとの会食の時間が迫り、早井さんの運転で赤坂の清みず亭へと向かった。
「いやぁ…祐也専務!相変わらず隙のない美男子ぶりで!モテますやろ?」
ツーリストロードの前社長は、大きなお腹を揺らして笑う。
「いえいえ。ご子息の新社長こそ、父親似のイケメンですねぇ…!」
テンション高めに言って笑う祐也専務。…確かに、前社長の息子とは思えないほど整った顔立ちの男性だ。
…どちらかと言うと、聖みたいな、優しくて甘い顔立ち。
「そうですやろ?自慢の息子なんですわ…!今年30になるし、そろそろ結婚して欲しいと思ってましてな?…そこで、そこにいる可愛らしい秘書さんの登場や…!」