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第63話

「うちの秘書…ですか?」


ひと言発しただけなのに、あたりを凍らせるような冷たい声色…



「えぇ、えぇ…!専務は色男やから掃いて捨てるほど女に囲まれて、困っておらんと思いまして。ぜひ祐也専務のお許しをもらって、こちらの秘書さんとうちの息子の見合いを、認めてもらいたい!」




「あっ…ははははっ…!」


前社長の話が終わったところで、急に笑い出す祐也専務。


あまりにも笑うので、つられて前社長も新社長も笑い出した。



「面白いことをおっしゃる…!たまらない…!笑える…!はっはははっ!」


…私と新社長のお見合いが、そんなバカ笑いするほどおかしいってこと?

身の程知らずって…思われてるとか…??



そこまで考えてハッとした。


私は偽装婚約者だけど、会長夫妻は本物だと思ってる…

だから裕也専務が私とのお見合いを認めろって言われても困るだけ。


…で、笑ってるの?



それも変だと思って戸惑っていたけど、皆が笑うから、私までなんだかおかしくなってきた…



高らかに続く笑い声は、待機している早井さんにも聞こえるんじゃないかと思うほど。


私から受け取ったハンカチで、目尻の涙を拭った祐也専務、ハンカチの柄に気づいたようで、再び笑い出した…!


はい。

あの時の…野菜柄のハンカチ、今でも使ってます。

…お気に入りなんです。


やがてようやく笑いがおさまってきた裕也専務。



「まぁ、爆笑したわけですけれども。お見合いについては…片瀬の意向もありますので、少しお時間をいただけますか?」


はじめからそう言えばいいのに、何がそんなにおかしかったのか、後で聞いてみようと思う。


その後の会食は、爆笑が良かったのか、和やかに進んだ。

ついでのように話したビジネスの提案も、こちらに有利になるよう話が進んだようだ。



「とても楽しい会食を、ありがとうございました」


帰り際、少し酔った前社長をハイヤーに乗せた新社長が、祐也専務に頭を下げる。



「片瀬さん、今度はぜひ…2人でお会いしましょう」


隣にそびえ立つ祐也専務を完全に無視して…突然手を取られて焦った。



「あ、あの、ありがとうございました」


名残惜しそうに手を離され、ハイヤーに乗って走り去るのを見送って…早井さんが待つ専用車の方へ歩き出す。



「あれ…祐也専務、どうかなさいましたか?」


その場に立ち尽くして動かないので、慌てて戻ってみると、ゆっくり私を見下ろす目に生気がない。


…ちょっと今日の祐也専務はおかしい。


さっきあんなにバカ笑いしたと思ったら、今度は深海を泳ぐ海底魚みたいな空気をまとって…



専用車の中でも、必要なこと以外は話さず、こっそりため息をついている。



「先にお風呂入ってください…お疲れのようですから」


恐る恐る言ってみると「あぁ…」と返事をして、素直にバスルームに消えていく。


祐也専務、あの新社長とのお見合いをほのめかされて、きっととても困ったんだと思う。


だって私は自分の偽装婚約者だし、…会社関係者にそれを公表するつもりはないって言ってた。


だから、ごまかすのに疲れてしまったのかな…


そう結論付けて、祐也専務と入れ違いにお風呂に入った。




「あ、こちらだったんですね…」


お風呂から出ると、祐也専務はベランダにいた。


Tシャツとスウェットというリラックスしたいつもの部屋着。両手をポケットに入れ、タバコを咥えていた。


私が近づいていくと、人指し指と親指でタバコを挟んで紫煙をフゥーっと吐き、私に視線をよこす。


…その視線が、なんだかいつもと違う気がした。

熱っぽいというか、何か言いたげで。


何でも聞きますよ?…という思いを込めてその視線を見上げる。



「君は…」


「はい…?」


「俺に、なんか言うことありません?」


「言うこと…ですか?」


少し考えるために視線を落として、例えば…?と聞こうとして、また見上げた瞬間。



唇が触れるようなキスをされた。



すぐに離されたキスは、メンソールのタバコの味…

大人のキスだと、なんとなく思った。


…最近、キスが多いと思う。

ドキドキして、困るのですが…



「俺は、たくさん…あります」


「私に言いたいこと…ですか?」


怒られるんじゃないかと一瞬身を固くしたけど、この雰囲気はそんなんじゃないって、さすがの私でもわかる。



火のついたタバコの先端がジュ…っと赤くなり、離した唇からもう一度煙が出ていく。


灰皿にタバコを押し付けて消すと、また両手をポケットに入れて、私の真正面に立った。





「…君が好きだ」




お風呂上がりの髪は、目元を隠していて、その目が見えない…




「…もう、どうしたらいいかわからない」




夜風がふわりと、裕也専務の前髪をさらっていく。



切れ長二重の瞳がまっすぐ私を見て、今の言葉たちが、嘘なんかじゃないって伝えている。



キュッと…心臓が掴まれるように苦しくなって、ドキドキ音を奏でながら、同時に足元はフワフワとおぼつかない…



「私は、偽装婚約者なんじゃ…?」



「だとしても」



一歩近づいて、ポケットから出した両手に、頬を挟まれる。




「どうしようもないほど…」




唇が触れる瞬間…




「舞楽が好きだ」


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