それからの裕也専務は、オンとオフをしっかり分けると決めたようで、会社では視線すら合わなくなった。
ちょっと行き過ぎなんじゃないかと思うのは私だけではなかったようで…
「裕也となんかあった?」
案の定、星野さんに心配されてしまう。
「…何も、ないですよ。順調に、至って順調に…偽装婚約関係は続いております!」
「そう…なの?」
…この時の自分の言葉に、後になって首を絞められるなんて…。
第一秘書の星野さんと専属秘書の私をうまく使い分け、裕也専務は私に、社内に残ってスケジュール管理や事務的な業務補佐を指示することが多くなった。
それでなくても忙しかった裕也専務。秘書は2人いてちょうど良かったらしく、仕事は順調に進んでいるようで何より。
でも…キリリとした裕也専務はやっぱり素敵で、本当はいつも近くで見ていたいと思ってしまう私だった。
そんなある日、一緒に帰宅してみると、コンシェルジュが荷物が届いていると箱を出してきた。
段ボール箱には、見慣れた
「Camazon」のロゴ。
「カマゾン…?何か、注文したんですか?」
エレベーターに乗りながら聞いてみると、ふふんと鼻で笑われて、嫌な予感が走る…
「今日からこっちで寝ます」
箱の中身を見てぶっ飛んだ…
「寝袋…そしてテント…?」
「ベランダが広いし、そろそろ外で寝るにはいい季節です」
驚いて声も出ないのを、絞り出すようにして発声する。
「どうして、ですか?」
「…は?」
「どうしてベッドで寝ないんですか?…私が、邪魔なんでしょうか?」
単なるキャンプごっこではない気がする…
「君が邪魔なら、遠慮なく追い出してますよ」
「邪魔…ではない、とすると、本当にキャンプ的なことがしたいだけですか?」
「…まぁ…そうです」
ちょっと目が泳いでるところを見ると、それだけじゃない気がする。
…ゴホンって…変な咳払いもして、本音を隠してるみたい。
「なんですか…?」
じっと疑いのまなざしで見上げる私に、裕也専務は切れ長二重の強気な視線を絡ませてきた。
それは「文句があるなら言ってみな」と言われてるみたいだけど、文句を言いたいわけじゃない。
「私もたまには…」
「…たまには?」
「寝袋で一緒に寝てもいいんでしょうか…」
「…君がそうしたいなら」
裕也専務は、もう一度意味深な咳払いをしたけれど…私は満面の笑顔になった。
「よかった!仕事でも離れる事が多くなって、寝る時も離れるなんて、寂しいので!」
「…は?煽りの天才か?」
どういう意味か聞いてみたけど、裕也専務は無言のまま、ベランダにテントを張り始めた。
「おいおい…大丈夫なのか?」
吉成さん達とのトラブルのあと、結末については知らせたものの、聖にゆっくり会って、報告するのが遅くなってしまった…
不義理を謝る私に、サラダとパスタを取り分けてくれる聖。
謎のテントと寝袋が届いた翌日、
こちらから連絡をして、仕事帰りに食事をすることになった。
「裕也専務から…愛の告白を受けました…」
「そうか」
「私も同じ気持ちだって返した…」
「…いいじゃん」
あっさりそう言って、笑ってくれた表情に暗さはない。
「…俺は、舞楽が幸せならいい。それに…あの一件で、裕也専務がお前を思う気持ちは、こっちにも伝わってきたしな」
かなりひん曲がってるけど…と付け加えた言葉に、私も大きくうなずく。
「真奈さんとの不倫をちゃんと打ち明けてから、舞楽の気持ちを確かめてくれたんだろ?」
「うん…ショックではあったけど、後悔してたし、先に裏切ったのは真奈さんの方だったらしいから」
気持ちが揺れて不安定になって、苦しんだことを責める気にはなれないという私に、聖もうなずいてくれた。
「ただ…祐也専務とは、お互いの気持ちを伝えあっただけなんだよね」
「…なにそれ?」
「偽装婚約の契約とか…半年で終わる関係とか…なにも話してなくて」
聖は少し目を細めて、呆れたようにため息をついた。
「好きだとは言われても、契約の解除も偽装関係の取り消しもなしか。付き合うという言葉さえ、無いと…」
「…そういえば何も言われてないって、最近気づいちゃって」
「おいおい…大丈夫なのか?」
こうなると…
話は振り出しに戻ってしまうような…
「舞楽から、うまく話を振ってみな。好きだって気持ちは嘘じゃないだろうけど…もし万が一のことがあったら…」
「あったら…?」
「俺が出ていくに決まってるだろ」
あぁ…やっぱり聖は、優しくて頼りになるなぁ。
ありがとうを伝え、もうひとつ、気になっていることを聞いてみた。
「美波は…?あれから…」
「会ってない。…連絡もないな」
もしかしたら、あの時私に話を聞かれていたこと、美波は気づいていたのかもしれない。
事の顛末については連絡したけれど、短く了解したことと、私が無事だったことを喜んでくれただけで話は終わった。
落ち着いたら会おうとメッセージを締めくくって、返されたOKのスタンプに安心していたけど…
「…やっぱ今日、来ないみたいだな」
メッセージを知らせた携帯を覗いて、美波からだと聖が言う。
「そっか…じゃ、3人で…は、また今度だね」
やっぱり、少し寂しく思う。
私が、もう少し敏感に、2人の気持ちの変化に気づけていたら良かったのに。
「別に舞楽のせいじゃないから、あんまり気に病むな」
クシャっと頭を撫でられても、何とも思わないのは、子供の頃から何度もそうされていたからで。
周りから見れば、それが恋人みたいな仕草に見えるというのは、本当に意識した事がなかった。
「舞…楽ちゃん?」
私たちのテーブルの横を、誰かが通りかかった。
そして名前を呼ばれて視線を上げて驚いた。
「…星野さん!」