「とにかく、不快な思いをさせてすまなかった」
私が落ち着いたのを見計らって、アデルさんは、もう一度頭を下げた。
アデルさんは、いまだに頬をほんのり赤く染めている。昨日初めて会った時には、彫刻のように冷たい印象を受けたが、この数分間でずいぶん彼に対するイメージが変わった。
「あ、あの、アデルバートさん。どうか頭をお上げください。もう、大丈夫ですから……」
「……すまない」
彼は私の言葉に顔を上げたが、申し訳なさそうな表情を崩すことなく、再び謝罪を口にしたのだった。
「だが、傷をそのままにするのは良くない。俺の他に、看護を任せられるのはドラコしかいないのだが……奴なら良いか?」
「えっと……、それなら」
「……わかった。だが、ドラコは外出中だ。戻り次第、処置をするように伝えておくから、少し待てるか」
「はい」
去り際にちらりと私に目をやったアデルさんだったが、その顔はやはり気まずそうで、目が合うとまた耳を真っ赤にしていた。
私は、こんなにも純朴そうな青年を疑ってしまったことを、改めて後悔したのだった。
*
「ああ、アデルったら、可哀想なのです! 果物の収穫になんて行かないで、最初からドラコがキサマの様子を見にくれば良かったです!」
「いたたっ! もうちょっと優しく……」
薬箱を手に部屋へと入ってきたドラコさんは、大層ご立腹だった。私が借りている寝巻きを乱暴に脱がせながら、鼻息を荒くして怒っている。
「キサマがアデルを拒否したんでしょう!? アデルったら、すっごく様子が変だったんですから! ああもう、可哀想なアデル」
どうやらドラコさんは、私が肌を見せるのを拒否したことで、アデルさんが傷ついたと思っているらしい。
アデルさんも、ドラコさんにきちんと説明しなかったのだろうか。いや、ドラコさんが話半分に聞いていたか、そもそも問題の本質を理解していないのかもしれない。
「こんの、ちんちくりんの分際で、アデルに目をかけられるなんて! キサマにはその
「ちんちくりんって、これでも私もう十八歳――いったぁ!!」
ドラコさんは私の包帯を解き、お湯で濡らした布で全身を拭いていく。布は柔らかいのに拭き上げが雑なせいで、めちゃくちゃ痛い。
「いったいなぁ! だからそういうわけじゃなくて……いたっ、痛いって!」
「これはアデルの心の痛み! 甘んじて受けるです!」
「そっ、そんな殺生な……」
ドラコさんは、真っ黒なおめめを思いっきり吊り上げて、今度は布をハケに持ち替え、傷の周囲にベタベタと薬を塗りつけていく。ハケもちゃんと柔らかい素材なのだが、薬がしみてやはり痛い。
「アデルが、どこの馬の骨とも分からないキサマを、どんな気持ちでここに置いているか。キサマは少しでも考えたですか? 人の世と関わりを絶ってきた、孤独な
「いだだ! ――って、ちょっと待って、
私がドラコさんにそう問いかけると、ドラコさんは手を止め、これでもかとギュウギュウに引っ張っていた包帯を取り落とした。
「そうですが、まさか、気付いてなかったですか?」
「う、うん」
――
火の精霊の加護を受け、あまりに強い力を持つために、人の世を捨てて『魔の森』で暮らす男性。
闇を溶かしたような黒髪に、真紅の瞳。ドラゴンをも使役し、人々から恐れられている存在――。
「でも、アデルバートさんが、あの
アデルさんが、私に、この家から出るな、外と連絡を取るなと言ったこと。
それも、この家が魔物の
私の安全を守るため、そして私を迎えに来ようとするかもしれない誰かの安全を守るためだったのだ。……実際は、私には助けを求める相手など、一人もいないのだが。
「……気付いてなかった、ですか」
「うん」
「キサマは、アデルが
「そんなわけないでしょう。私はただ、男の人に体を見られるのが恥ずかしかっただけ」
「それだけ?」
「そうよ」
しばらく手を止めていたドラコさんは、私に巻きつけていたキツキツの包帯を緩めた。
そして申し訳なさそうに黙り込んで、丁寧に包帯を巻き直していく。
今度はキツくも緩くもなく、丁度良い塩梅だ。
「……アデルバートさんって、噂と違って優しくて、純粋で、親切な人なのね」
「ふうん?」
「面識もないのに、大怪我した私を拾って、ベッドを貸してくれて、こうして治療までしてくれてる。それに――」
昨日、枕元で私にかけてくれた言葉。壊れ物に触れるような、優しい指の感触。
それは、私が久しく忘れていた、遠く懐かしい何かを想起させた。
さっきの反応もそうだ。打算や悪気があったら、あんなに耳を赤くして取り乱したりしない。
「――最初は確かに冷たそうで、怖い人かもって思ったけど。実際に話してみて、私はアデルバートさんが良い人だって、よくわかったよ。
「ふむ、それはドラコも同感です」
ドラコさんのくりくりした瞳が、輝きを増した。
ドラゴンの表情なんて読み取れないが、なんとなく笑っているように感じる。
「キサマ、なかなか見どころがあるです。ちんちくりんは撤回してやるです」
「……ついでにキサマなんて呼び方も撤回してほしいのだけど」
「どうしてですか?」
ドラコさんは、傷口に包帯を巻き終え、薬箱の中にしまいながら、不思議そうに尋ねた。
「だって、確かにちんちくりんは悪口でしたが、『貴』も『様』も良い意味って習ったのです。だからキサマは良い意味のはずなのです」
「それがねえ、組み合わさると良くない意味になるのよ。不思議よね」
「く、組み合わせると悪くなるものがあるですか!? 知らなかったです。キサ……いえ、レティシア、教えてくれてありがとうです」
「ふふ、どういたしまして」
ドラコさんに対しては名乗ったことがないが、アデルさんから聞いていたのだろう。どうやら、私の名前を覚えてくれていたようだ。
主人思いの妖精さんと一歩仲良しになれたみたいな気がして、私は嬉しくなった。
「他にも、組み合わせたらいけないもの、あるですか? ドラコは今、人間のことを勉強中なのです。何か思いつくものがあったら教えてほしいのです」
「そうねぇ、言葉もそうだけれど、食べ物でも、美味しいけれど組み合わせちゃいけないものがあったりするのよね。例えばタコと青梅、スイカと天ぷら、蕎麦と茄子……、あっ」
天ぷら、蕎麦、と言ってから、私はその料理がこの世界に存在しないものであることに気がつき、口を噤んだ。
しかし、ドラコさんはそのことに気がついていなかったようだ。というか、そもそも人間の料理をあまり知らないのかもしれない。
「レティシアは、料理が好きなのですか?」
「うん。私ね、昔、キッチンカーっていう……そうね、いろんな場所を移動しながらお料理を出す、レストランをやるのが夢だったんだ。そのために、ずーっと頑張って来たの。……その夢は、叶わなかったけれどね」
「叶わなかった?」
「ふふ」
誤魔化すように笑った私を、ドラコさんがそれ以上詮索することはなかった。