ドラコは、最近気に入っているウェイター風の服――本人は執事服と思っているが――を身につけて、ちっちゃい手を腰に当て、廊下で仁王立ちしている。
部屋の中は豪雨なので、中に入ってこようとはしない。
「ふぇ、ぐずっ……ドラコ、僕と一緒に、来てくれるのぉ?」
「もちろんです! むしろドラコしかいないでしょう、です!」
ドラコは、ぽん、と胸を叩く。
ライはそれを見て少し安心したのだろう。まだしゃくり上げてはいるものの、部屋の雨は少し小降りになった。
「ドラコ、寒いところ苦手じゃなかったのか?」
「そうなの? 大丈夫?」
「確かに、ドラコは寒いのが苦手なのですー。特に吹雪だと、うまく飛べません。ブレスで雪を溶かしてもすぐに前が見えなくなるし、翼がかじかんでスピードが出なくなるです」
「そっか……なるほど」
ドラコは寒さが苦手なのか。トカゲも寒冷な季節は冬眠するものだし、と私は妙に納得する。
そう思ったのが顔に出てしまっていたのか、ドラコは私にジト目を向け、力いっぱい否定した。
「まあ、ドラコはトカゲみたいに冬眠はしませんけど!」
「そ、そうよね。わかってるよ、うん」
私は慌てて笑顔を貼り付けて、誤魔化した。
だが、吹雪の中を飛べないとなると、ドラコがお供するのは難しいのではないだろうか。というか、よく考えたらそもそも私にも移動手段がないのだった。
「……でも、そうなったら、ライくんたちのおうちに向かうのは難しいんじゃない?」
「確かに直接家まで行くのは難しいです。でも、ライもそうですけど、フウが天気に影響を及ぼせる範囲は狭いと思うです」
「ああ。先ほどドワーフの坑道へ行ったが、そこへ向かう途中の道は乾いていた。ライがこの家に来たとき、局地的な豪雨を引き起こしていたが、それはこの森全体の二割程度の範囲に留まると推測される」
「うん、そうかも。フウの力も、僕と同じくらいだから」
ドラコとアデルの言葉を肯定するように、ライは頷いた。ドラコは、満足気に続ける。
「だから、『
「なるほど。なら、問題なさそうだな」
ドラコは自信満々に胸をそらした。アデルも納得したようだ。
「ライ、そういうわけですから、もう泣き止むです! ドラコがしっかりお供しますから!」
「ぐずっ……ほんと?」
「本当です! ドラコに二言はないのです!」
ばばーんと胸を張るドラコを見て、雨足はさらに弱まっていく。
ライの周りに浮かぶ雲も、先ほどまでは真っ黒だったが、いまは薄灰色に変わっていた。
「よかったね、ライくん。ドラコはね、とっても頼りになるのよ。ドラコが一緒なら安心ね」
「にしし、その通りです! ドラコは出来るドラゴンなのです!」
私は微笑んでライの頭を撫でる。彼がひっくとしゃくり上げるたびに、天井からぱらぱらと雨が降ってくる。
私は、先ほど話題にのぼった『
「それにしても、精霊や妖精と人間が共存する街、か。一度見てみたいなあ」
「じゃあさ、レティお姉ちゃんも一緒に――」
「ダメです。レティは、お留守番です。ドラコだけで充分でしょう?」
珍しく強い語気で、ライの提案を遮ったのは、ドラコだった。
私は、ドラコに「トカゲ?」と言ってしまったとき以上に強く睨まれ、少し面食らってしまう。
「ライ、ドラコと二人でいいですよね?」
「うん。ドラコ、よろしくね」
「えっと、あの、ドラコ……?」
「とにかく、ドラコがついて行くですから!」
ドラコはいまだに私を睨みつけている。私は何か気に障ることを言ってしまったかと不安になったが、ドラコは取り合ってくれなかった。
「それでいいですよね、アデル?」
「ああ。頼んだぞ、ドラコ」
「……?」
何だか、私に背を向けたままのアデルの声が普段よりも固いような気がして、私は更に首を傾げた。
「あの……私、何か変なこと言った?」
「何でもないです! それよりレティ、アデルも、びしょ濡れですよ。着替えた方がいいと思うです」
「そうだな。まだ風呂の湯を抜いていないから、温め直せばすぐに入れる。さあ、下の階へ行こう」
「え? ねえ、ちょっと――」
抗議もむなしく、アデルは目も合わせずに、私の腰をがっしり掴んだ。そのまま、押し出されるように部屋から連れ出されてしまう。
「ちゃんとあったまるですよー」
ドラコが小さく手をふりふりしながら、雨の止んだ部屋に入っていくのを横目に、アデルは扉を閉めた。
「ちょっと、アデル?」
私は、戸惑いながら身をよじり、アデルの身体を少し強めに押し返す。彼は予想外にも、すぐに私を解放してくれた。
私は意外に思ってアデルの顔を見上げるが、彼はただ、首を小さく横に振るだけ。目も合わせてくれない。
「……アデル……?」
「……さあ、身体が冷え切ってしまう前に、風呂へ行こう」
――その目の奥に、深い哀しみと拒絶が宿っているのを見つけてしまい、私は口を閉ざす。
そうして、アデルに従い、階下へと向かったのだった。
*
先にお湯をもらって出てくると、アデルは濡れた客室の後片付けをしていた。彼の足元には、水のたまったバケツと雑巾が置かれている。
空中には、オレンジ色の炎の球がいくつも浮かんでいた。どうやら、仕上げに炎の魔法を使って、室内を乾かしていたようだ。
「……アデル、お風呂あいたよ」
「ああ」
室内には、右手を宙にかざして炎を制御しているアデルしかいない。ドラコとライは、もう出発してしまったのだろう。
「部屋、だいぶ乾いたね。でも、ちゃんと掃除しないと使えないか」
室内の水気はほぼ飛んだようだったが、床や家具など、雨に濡れた場所が何箇所かシミになってしまっている。
クローゼットの中に入れていた衣服のたぐいは難を逃れたようだったが、寝具やカーテンなどは、一度洗濯した方がいいだろう。ソファーも、シミ抜きかカバー掛けをしなくてはならない。
「ああ。だが、今日はじきに日が沈む。掃除と洗濯は明日だな」
「そうだね」
二人とも黙ってしまうと、気まずい空気が流れる。
アデルはいまだに私と目を合わせず、揺らめく炎を眺めていた。
私もアデルにならって、ふわふわと室内を漂う炎の球を、目で追いかける。
ややあって、口を開いたのはアデルだった。
「――レティ、さっきは、すまなかった」
「……ううん、いいの。ねえ、それより、アデル――」
「――さて、布類以外は一通り乾いたな。俺も風呂に入ってくるよ」
私は、アデルに質問しようと口を開いたが、彼はそれを途中で遮った。手を下ろし、部屋中に灯っていた炎を消す。
灯火が消えた黄昏時の部屋は薄暗く、すべてが灰色に褪せて見える。
私は聞きたいことも伝えたいこともぐっと呑み込んで、無理矢理口角を上げた。
「……わかった。私は夕飯の準備しておくね」
「ああ。ありがとう」
「ううん。こちらこそ」
努力して貼り付けた笑顔は、しかし一瞥もされることなく、冷たく固い感謝の言葉だけが、上滑りしたのだった。