「ただいま」
「おかえりなさいですー」
ライが美味しそうにランチを食べているのを、にこにこしながら眺めていると、庭先からアデルとドラコの声が聞こえてきた。
どうやら、アデルがドワーフの坑道から帰ってきたようだ。
「おかえりなさーい」
私も窓から顔を出して、アデルに声をかける。
「ああ、ただいま」
アデルはこちらを見上げると、紅い瞳を優しく細めて、柔らかい笑顔で応えてくれた。
「アデルお兄ちゃん、どこかに出かけてたの?」
窓から離れてテーブルまで戻ってきた私に、ライが尋ねる。ランチセットもほとんど食べ終わったようだ。
私は、お口の周りに付いているトマトソースをナプキンで拭いてあげながら、質問に答える。
「うん、ドワーフさんたちのところに行ってたのよ」
「ドワーフさん、僕も知ってる! 僕のおうちのそばでも、見かけるよ。近くの街で、お店屋さんを開いてるんだ」
「ドワーフさんが、お店を?」
「うん! 街に住む人間さんや、妖精さんたちが暮らすのに必要なものを売ってるんだって」
「まあ! その街には、人間も妖精も住んでいるの? それって、すっごく素敵ね!」
それが本当なら、ライの家のそばにある街は、精霊と妖精と人間が共存する街、ということになる。
だとしたら、なんて素敵な街なんだろう。私の生まれ育った、魔法や精霊を毛嫌いするファブロ村とは、大違いだ。私は想像を膨らませて、うっとりする。
ちょうどライがランチセットを平らげたタイミングで、部屋の扉がノックされた。部屋に入ってきたのは、当然、アデルだ。
「おかえりなさい」
「おかえり、アデルお兄ちゃん」
「ただいま。ライは食事中だったか」
「いま、食べ終わったところ。レティお姉ちゃん、とっても美味しかったよ! ありがとう!」
「どういたしまして」
ライは満面の笑顔でお礼を言った。こういう風に喜んでくれると、作ったかいがある。
「それなら、少し確認したいことがあるんだが、良いか?」
「僕に? うん、いいよお」
アデルはライの前でしゃがみ、目線を合わせると、言葉を選びながら話しはじめた。
「ライの家は、聖王国の北端にある『
「せいおうこく? のえるたうん?」
「人間がつけた地名では、ピンとこないか……。夏でも頂上が冠雪している高山が連なる地域で、街にはレンガ造りで傾斜が強い屋根の建物が並んでいる。ひときわ古く大きな木が聖樹として祀られ、それが街のシンボルになっていると聞いた」
「あっ、それそれ! それ、僕の家のすぐそばにある街だよ」
「やはりそうか。……実はいま、その『
「……困ったこと?」
ライの顔が、少し曇る。
それと同時に、彼の周りに漂っていた白い雲が、ちょっとずつ灰色味を帯び始めた。
「猛吹雪に閉ざされてしまったらしい。山火事があった直後に、今度は季節外れの大雪。鉱夫たちは無事に避難できたようだし、街にも被害が出ていないものの、近隣住民は不安に思っているようだ」
「吹雪……」
ライの表情が一気に暗くなると同時に、雲が、みるみるうちに黒くなっていく。
ぽつ、ぽつ、と室内に雨が降り始めた。
「ねえ、アデル」
私は、非難するようにアデルを見る。
せっかくライの気持ちが落ち着いたところだというのに。
「ああ、わかっている。……すまない、ライ。聞きたくないのなら、やめるが」
「……ううん、聞く」
「山が吹雪に閉ざされたのは、今朝のことだと聞いた。――ここからは俺の想像なのだが、もしかしたら、その吹雪にライの双子の姉が関わっているのではないかと思ってな」
「……うん。僕とフウは、天気の精霊なんだ。僕には雷と雨、フウには風と雪を制御する役目があるの。でも、僕たちはまだ半人前で……」
雷雨と風雪を司る、精霊の子供。まだ若い精霊だからこそ、感情に天候が引っ張られてしまうのだろう。
現に、この部屋の中には、今も、もくもくした雲が増えていっている。ライの感情につられて降り始めた雨は、部屋の中をしっとりと濡らしていく。
庭にライが座っていたとき、私は家の中に入らないかと尋ねた。ライはそれに対して、「外も中も一緒」と言っていたが、こういうことだったのだ。
雨雲の発生は、ライのすぐ近くで起こる。だから、室内にいようが、屋外にいようが、雨は所構わず降ってしまうようだ。
「ライ……フウもきっと、後悔しているのではないか? 思わず猛吹雪を引き起こすほどに」
アデルは、自分が濡れるのも構わず、ライの目を真っ直ぐに覗き込んでいる。
「一度家に帰って、話をしてみたらどうだ? 本当は、仲直りしたいんだろう?」
「僕……、フウと仲直りしたい」
ライの出した答えに、アデルは優しく微笑んで頷く。
「ライがこの森に現れた時、炎の結界には反応がなかった……ということは、ライは、空からこの森に降り立ったのだろう? 吹雪の中は飛べそうか?」
「うん、それは大丈夫。慣れてるから。でも……」
ライはうつむいて、もじもじし始めた。その瞳は、涙で潤んで揺れている。
「……僕、やっぱりフウやお父さんと会うの、不安だなあ。ねえ、アデルお兄ちゃん、レティお姉ちゃん。僕と一緒に、フウとお父さんに会ってくれない……?」
「……それは、すまない。できないんだ。俺は、この地を離れられない」
「そんなぁ……!」
アデルが申し訳なさそうに断ると、ライの瞳に涙がどんどん溜まっていく。
「ひっく、僕、やっぱり、無理だよう。ふえ、ふええええ」
ライはとうとう、声をあげて泣き出してしまった。
部屋の中に、打ち付けるような雨が降り始め、私もアデルも、テーブルもベッドも、何もかも容赦なく濡らしてゆく。
見かねた私は、アデルに尋ねた。
「ねえ、アデル。私、ライくんについて行っちゃダメかな?」
「レティ、それは――」
「知らない土地だし、猛吹雪で危ないかもしれない、というのはわかってるわ。でも、ライくんはこんなに不安がってる。放っておけないよ」
「だが……」
私は食い下がるが、アデルは首を縦に振ろうとはしなかった。そのとき――、
「なら、ドラコがついて行くですー!」
「「ドラコ?」」
甲高い声が聞こえて、私とアデルは、同時に部屋の入り口を振り返る。
そこにはいつの間にか、レストランの営業を終えたドラコが、仁王立ちしていたのだった。