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5-3. お腹が鳴ったらランチの時間



「しかし困ったな。ライの気持ちが落ち着くまで、少しここで預かるのは構わないのだが」

「ダメです、反対なのです! 雷は空飛ぶ生き物の天敵なのですー!」

「うーん……。親御さんも心配してるだろうし、どうにかしておうちに帰してあげたいけどね」


 庭に置いてあるテーブルに突っ伏して眠ってしまったライを前にして、私たちは困っていた。


「この子のおうちって、どこにあるのかしら?」

「ここよりも寒い地域だと言っていたです。きっと北の方です」

「ふむ。父親の名が、トール……それに、ミョルニルと言ったな」


 アデルは顎に手を当て思案していたが、何かに思い至ったように、小さく頷いた。


「アデル、心当たりがあるの?」

「ああ。以前、ドワーフがミョルニルについて話していたことがある。師匠マスターの最高傑作で、使う者を選ぶ魔道具だと。所有しているのは、戦神と呼ばれる雷の高位精霊」

「へええ、戦神ですか」


 何だか、とても強そうで、怖そうな精霊だ。ドラコは、のほほんと頷いている。

 アデルはそんなドラコをちらりと見てから、ライに視線を移す。


「ライはその息子……ということは、丁重に扱わないと戦神トールが怒るかもしれな――」

「な、な、な、なんてことです! 早くこの子をあったかいベッドに連れて行くです! 早く!」


 ドラコは一瞬で手のひらを返したのだった。



 アデルはライをそっと抱きかかえ、家の二階、私の借りている部屋へと運び入れた。

 ダイニングは、慌てて運び込んだレストランの食器やクロス類で散らかっているので、ひとまず私が使っている客室のベッドに寝かせることを提案したのだ。


「俺はドワーフの所へ行って、知っていることを尋ねてみる。レティ、この子のことを頼めるか? ライも君に心を開いてくれたようだし、危険はないと思うが……」

「うん、大丈夫よ」

「すまない、任せたぞ。ドラコも、念のためレティと一緒にいてくれ」

「ドワーフのところまで送らなくていいですか?」

「ああ、エピに頼むよ」


 そういってアデルは部屋を出て行った。

 少しして扉が開閉する音がして、私は客室の窓を開け、外をのぞく。

 アデルが庭先でぴゅう、と指笛を鳴らすと、巨鳥エピはすぐにやってきた。


『ふんふふーん♪ お呼びザマスか♪』

「ああ、ドワーフの坑道まで頼めるか?」

『ふんふんふーん♪ 乗るザマス♪』


 森の祝福を得て、動物たちの声が聞こえるようになった時、一番衝撃を受けたのが巨鳥エピの声だった。

 それまではギョエエ、とかギョワアア、としか聞こえなかったのだが、いざ聞こえるようになってみれば、まさかのザマス口調。

 そしていつも楽しそうに鼻歌を歌っているが、ちょっぴり調子外れだった。


「いってらっしゃい!」

「ああ、いってくる」


 私が窓から顔を出して声をかけると、アデルは振り向いて手を上げる。

 アデルはひらりとエピに乗って、森の中を颯爽と駆けていった。


 *


「ん……むにゃ……あれ、ここは」

「あ、ライくん。おはよう」


 ライが目覚めたのは、昼過ぎだった。

 私たちが突然の雷雨に見舞われたのは、お昼に向けてレストランの準備をしようとしていた頃だったから、かれこれ二、三時間は眠っていただろうか。


「えっと……あ、フルーツティーのお姉ちゃん?」

「うん。名乗ってなかったね、私はレティって言うの。今はいないけど黒髪の男の人がアデル、ドラゴンの妖精がドラコよ」


 アデルはまだドワーフの坑道から戻ってきていないが、もうそろそろ帰ってくる頃だろう。

 雨が上がったので、ドラコには私のかわりにレストランを開けてもらっている。

 今日は雨の影響で空いているし、ドラコももうすっかり慣れているので、特に問題は起きていないようだ。


「レティお姉ちゃん、アデルお兄ちゃん。あと、ドラコだね。僕、覚えた」


 ライは、にっこりとあどけない笑顔を見せてくれた。

 眠る前は笑うどころかベソをかいていたが、お昼寝をして、気持ちがすっきりしたのだろう。


「ふふ、ちょっぴり元気になったかな? 起きたらお腹がすくんじゃないかと思って、お昼ごはん用意したの。食べられそう?」


 ライは、こくんと頷く。

 私はテーブルの上に置いてあったバスケットの中身を広げる。


 バスケットの中には、白パンとジャムのセット、茹でたブロッコリー、ミニトマト。

 小さな木串に交互に刺してあるのは、枝豆とコーン。もう一種類の串には、小さく切って茹でた皮つきの新ジャガと、甘く煮たニンジンだ。

 その隣には、小さなオムレツ。特製のトマトソースをかけてある。


「わあ、すっごい!」


 ライは、目をキラキラと輝かせて、テーブルに並んでいくランチセットを眺めている。

 こうやって素直に喜んでくれると、作った私も嬉しい。


「イチゴのジャム、コケモモのジャム、オレンジのマーマレード。それからメープルシロップもあるわ。どれがいいかな?」


 私はジャムの入った小瓶を並べて、ライに見せる。


「これ!」


 ライは、迷わず茶色い小瓶を選んだ。


「メープルシロップね。はい、どうぞ」


 小瓶の蓋を開けると、甘い香りがふわりと漂う。

 私がシロップを小皿にとろとろと注ぐのを見ながら、ライは自慢するように話しはじめた。


「あのね、あのね、僕のおうち、雪山の中にあるんだ。カエデの木がたくさんあるの。美味しいメープルシロップがいっぱい採れるんだよ」

「そっか、素敵ね! じゃあ、メープルシロップは、ライくんのふるさとの味なんだね」

「うん、いつもね、フウと一緒に……」


 それまでライは嬉しそうに話していたが、フウのことを思い出したためだろう。

 みるみるうちに表情が曇っていってしまった。


「……そうだ、僕……家出して……」

「……うん、辛かったよね。ねえ、ライくん」


 私は、ライの肩に、そっと手を乗せる。

 少しピリッとした痛みが走るが、気に留めず、目を見て優しく微笑んだ。


「ライくんは、どうしたい?」

「……僕……」


 キュルルルル。


 ライの周りに浮かぶ小さな雲が黒くなり始めた、その時。

 ライのお腹が可愛く鳴った。


「あっ」

「ふふ、お腹すいたよね。ごはん、食べよっか」


 お腹が鳴って恥ずかしそうにしているライを椅子に座らせ、暖炉で温めていたケトルで、お茶を淹れる。

 ライは、白パンをちぎってメープルシロップの皿に付けると、シロップをパンで上手にすくって、口いっぱいに頬張った。


「レティおねえひゃん、おいひい」

「良かった、たくさん食べてね」


 黒く染まりつつあった雲もあっという間に白くなって、ライの顔にも笑顔が戻ってきたのだった。



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