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5-2. 異変の原因



 玄関の扉を開けると、猛烈な雨が吹き込んできた。アデルは、抱っこで両手が塞がっている私を、黙って傘の中に入れてくれる。


 異変の原因は、すぐそこに在った。

 庭の中央に設置してある、レストラン用の椅子。

 そこに、見慣れない小さな人影がひとつ。足をぶらぶらさせながら、ちょこんと座っている。


「男の子……?」


 椅子に腰掛けていたのは、四、五歳ぐらいの男の子だった。

 鮮やかな黄色い短髪と、同じ色のまんまるな瞳。涙をこらえるように唇をきゅっと結んで、テーブルの木目をじっと見つめている。


 けれど、彼は人間の子供ではなく、アデルの言っていた通り、精霊なのだろう。男の子の周りには、黒い雲のようなものがふよふよとたくさん浮かんでいた。

 小さな黒雲からはピリピリと肌を逆立てるような気配が感じられて、腕の中のドラコもますます縮こまる。


「なあ、君」


 少し離れたところから、アデルは警戒しながら声をかける。男の子は顔を上げて、潤んだ瞳をこちらへ向けた。


「君は、雷雨の精霊か?」

「ライウじゃない。僕は、ライ」

「ふむ。ライは、迷子なのか?」

「迷子じゃない。けんかして、家出してきた」

「家出?」


 ライは、唇を噛み締めて頷いた。瞳に涙を溜め、手を膝の上でぎゅっと握っている。


「それで、ライはどうしてこの森に? 誰か知り合いがいるのか? そもそも君の家はどこで――」

「待って、アデル」


 アデルがいきなり質問攻めを始めたので、私はそれを止める。ライが見知らぬ精霊だからか、アデルは警戒しているようだ。

 けれど、相手は幼い子供である。こういう場合、先に不安を取り除いてあげる方がいいだろう。


 私は抱っこしていたドラコをアデルに預けて、代わりにアデルの持っていたもう一本の傘を手に取り、ライに歩み寄った。


 ライに近づくにつれて、ピリピリが強くなっていく。

 だがきっと彼に害意はなく、無意識に雷の魔力が漏れ出しているだけなのだろう。


 私はライのすぐそばまで行くと、彼を安心させるようにふわりと微笑む。持っていた傘を開いて、ライの頭上に差し出すと、彼と目線を合わせるように中腰の姿勢になった。


「ライくん、寒くない? ずいぶん濡れちゃったね」

「ううん、寒くない。僕のいたところより、ここの方がずっとあったかい」

「そっか」


 優しく話しかけると、肌を刺すピリピリが、先ほどよりも和らいだ。


「おうちの中、入る? このままじゃ、風邪ひいちゃうよ」

「外も中も一緒。だから、ここでいい」


 どうやら、ライはここから動く気がないようだ。


「うーん、なら……そうだわ、君は甘いもの、好きかな?」

「甘いもの……?」


 私が微笑んで頷くと、ライは、まんまるな目をこちらに向けて、首を縦に振った。




「ライくん。家出したって言ってたけど、お父さんかお母さんと喧嘩したの?」


 私はライの隣の椅子に腰掛けて、質問をした。

 アデルとドラコも、正面の椅子に座っている。


 髪の雫をタオルで拭い、花の蜜をたっぷり入れた温かいフルーツティーをひと口飲んだライは、先程より落ち着いた様子だ。

 雨も雷も今は止んでいて、ライの周りにぷかぷか浮かんでいる小さな雲も、真っ黒ではなく、黒灰色に変化していた。


「ちがう。フウと」

「フウ?」

「フウはね、僕の双子のおねえちゃん」


 なるほど、姉弟きょうだい喧嘩だったようだ。双子ということは、そのフウという子もライと同じく、まだ子供の精霊なのだろう。


「そっか……仲直りできそう?」

「……フウが謝ったら、ゆるしてやる」


 ライが怒ったり悲しんだりすると、ピリピリが強くなる。周りの雲も、また少し黒くなり始めた。どうやら、ライの感情によって、周囲の天候が変化するみたいだ。


「フウちゃんとは、どうして喧嘩しちゃったの?」

「それはね……」


 ライは、少し目を伏せ、気まずそうに口ごもった。

 けれど、彼は小さく首を横に振ると、ぽつぽつと経緯を話し始める。


「……あのね、トールお父さんの大切なミョルニルを、僕とフウが勝手に借りちゃったのが、始まりなんだ」


 ライの話によると、フウとライは、普段は仲の良い姉弟なのだそうだ。その日も、住んでいる雪山で、新しい遊びをしようと考えたらしい。

 彼らの住んでいる場所は、魔鉱石の原石が発掘される鉱山の一角なのだそうだ。

 ドワーフのコンロにも使用している魔鉱石だが、発掘される原石は、魔力が空っぽの状態である。その原石に、精霊や妖精、魔法を使える人間が魔力を蓄えることではじめて利用可能になるのだ。


 彼らは、その日、坑道で見つけた原石に魔法を込めて、どちらがより価値の高い魔鉱石を作れるかという競争をしようと思い立ったらしい。だが、ライが父精霊の力を受け継いだ雷雨の精霊なのに対し、フウは母精霊と同じ、風雪の精霊。

 魔鉱石の価値は、石の大きさと、そこに込められている魔力の強さで決まる。魔力の強さを比べるには、その魔力色の濃さで判別できるのだが――。


「同じ属性の魔法を使わないと、色の比べっこができないでしょ? お父さんのミョルニルを使えば、フウも魔力を雷に変換して撃つことができるから、勝手に借りちゃったの。でも……ミョルニルの制御は僕たちには難しくて、山火事になるような大きな雷が落ちちゃって……」

「なるほど……」


 要するに、遊びのために父親の大切な道具を持ち出し、事故を起こしてしまったらしい。

 けれど、それなら父親に怒られて家出した、という話になるのではないか?

 それがどうして姉弟喧嘩に発展することになったのだろう。


「……それで、大きな雷が落ちたから、お父さんは当然、フウじゃなく僕の仕業だって思ったんだ。それで、僕、正直に事情を話して、謝ったの。でも、実際にミョルニルを使おうって言ったのはフウだから、僕はフウと一緒に、ちゃんとごめんなさいしようと思って、連れて来ようと思ったんだけど……」


 ライの目に、また涙が溜まり始めた。


「僕がお父さんと話してる間に、フウは、どっかに逃げちゃったの。お母さんが雪山でフウを捕まえて連れ帰ってきたんだけどね、でもね、フウは……『アタシはそんなことしてない、全部ライが悪いの』って、知らんぷりして僕のせいにしたんだ。僕、びっくりして言い返せなくて」


 ライは、くしゃりと可愛らしいかんばせを歪める。眉をハの字にして、涙がこぼれるのを我慢しながら、続けた。


「フウはそのまま、またピューって逃げちゃった。それでお母さんはフウを追いかけてって、お父さんは怒ったお顔のまま、ミョルニルを持って、ドワーフさんの工房へ出かけちゃった。僕、大変なことしちゃったなって、悔しくて悲しくて情けなくて……フウの顔もお父さんの顔も見たくなくなって、誰もいないうちに、お手紙を置いて、家から出てきちゃったの」

「そうだったの……」

「……うん。だからね、フウがちゃんとごめんなさいするまで、僕、帰らない」


 ぽつ、ぽつ、と再び空が泣き始めたのだった。


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