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5-8. 甘くて、けれどスパイシー



 アデルは、テーブルに肘をついて頭を抱えている。


「え……や、やだ、違った? そうだったら恥ずかし……っていうか、また怒らせちゃった……?」


 私は、不安になってアデルに声をかける。だが、彼は頭を抱えて固まったままだ。


「あ、あの、アデル?」

「――君には、敵わないな」


 そう言って顔を上げたアデルは、呆れているような困り顔だ。ため息が聞こえてきそうな苦笑を浮かべている。


「ど、どういうこと? 私、やっぱり間違えちゃった……?」

「いや、違わない。君の言った通りだ」


 アデルはそう言うと、テーブルの向こう側から手を伸ばし、私の頬に触れた。顔は火照っているはずなのに、アデルの手も熱を持っていて、あたたかい。


「……むしろ、君の考えの方が良い。そうしよう。それで構わない」

「え? それで構わないって、どういうこと?」

「いいや、何でもない。君の言ったとおり、俺は、君がいないと寂しいみたいだ」

「アデル……」


 優しい眼差しの奥に、炎のような感情が渦を巻いている。そして、それはいつでもまっすぐに私へと注がれているのだ。

 この数ヶ月で、私は彼の愛情がとても深く強いものであることを、認識していた。だから、私も、そろそろ彼に応えてあげなくてはと思う。

 ――いや、応えてあげなくては、ではない。応えたいのだ。私自身が。


「あのね、アデル」


 私は、頬に触れているアデルの手に、自らの手を重ねた。私が自分から彼に触れるのは珍しいので、アデルは、小さく目を瞠った。


「私、アデルが好き。だいぶ前から、あなたに恋をしてたみたい」

「――――っ」


 たくさん、考えた。考えすぎて、眠れぬ夜を過ごした日もある。

 けれど、答えはとても単純明快だったのだ。


「アデルに見つめられると、私、ドキドキするの。あなたに触れられると嬉しくて、もっと触れてほしい、ずっとこのままでいたいって思うの。それに……アデルが、離れたくないって思ってくれたことが、私のことで一喜一憂しているのが、どうしようもなく嬉しくて」


 ――彼が私のことを考えるとき、私は彼の心を、独占している。そのことに喜びを感じてしまう、浅ましいこの気持ちが、恋ではなくて何だというのか。


 最初は、彼が穏やかに幸せに暮らせたらいい、私の存在が邪魔にならなければいいと思っていた。それはやがて、私も彼の役に立ちたいという気持ちに変わった。

 そして、いつからだろうか――私の幸せの中に常にアデルがいるように、アデルの幸せの中にも常に私の存在があってほしいと……そんな欲が芽生えはじめた。

 気がつけば、昼も夜も、頭の中に浮かんでくるのは、アデルのことばかり。一緒にいない時でも、いつも彼の存在が、私の中にあった。


 それは泉のように湧いてくる、独占欲にも近い、制御し難い強い感情。

 少なくとも、友達や家族に抱く想いなどとは、全く異なるものだ。


「私、アデルが好き。いいえ、もう、どうしようもなく――愛してる」


 私が告げたその言葉に、アデルの喉仏が上下に動いた。白皙のかんばせは薔薇色に色づき、瞳には喜びの灯がともる。


「……そう、か……ようやく」


 アデルの声は、絞り出したように掠れていた。


「いっぱい待たせちゃって、ごめんね」

「ああ。だが、待った甲斐があった」


 アデルは喜色を顔に浮かべて、椅子から立ち上がる。

 彼は私のそばまで来ると、うやうやしく私の手を取った。そのままその場に跪く。


「レティ。俺は、君が考えているよりも、おそらく、ずっと重い男だ。君が俺を選ぶと言うなら、俺はもう、一生君を手離してやれなくなるだろう。それでも、俺の気持ちを受け入れてくれるか?」

「もちろん。好きな人にたくさん想ってもらえて、嫌な人なんていないよ」

「……ふ。言質はとったぞ」


 アデルは、私の手の甲に愛おしそうに口づけを落とす。言葉のチョイスこそ微妙に不穏だけれど、その瞳には優しいいたわりの炎が揺らめいている。

 物語の騎士のような仕草に、私は嬉しいと同時に恥ずかしくなって、頬が熱くなった。

 アデルが手の甲から唇を離すと、熱の宿った紅の瞳が、私の青を射貫く。彼のかんばせには、ぞっとするほどの妖艶な微笑みが浮かんでいた。


「……つまり、これからは、思う存分君を甘やかしてもいいと。容赦はいらないと……そういうことだな?」

「えっと、その……っ」


 身を起こしたアデルに手を引かれ、私は立ち上がる。

 彼の秀麗なかんばせが、ゆっくりと近づいてくる。私は、アデルの問いかけに頷くと、黙って目を閉じた。


「――レティ、愛してる」


 柔らかな感触が、唇にそっと優しく落ちる。


 はじめてのキスは、とても甘くて――けれど、スパイシーなカレーの香りがした。



    ――――第五章 雷雨のランチタイム fin.



【参考資料】


「スパイス&ハーブ検索」、S&B、参照日2025/04/15

https://www.sbfoods.co.jp/sbsoken/jiten/search/

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