アデルは、テーブルに肘をついて頭を抱えている。
「え……や、やだ、違った? そうだったら恥ずかし……っていうか、また怒らせちゃった……?」
私は、不安になってアデルに声をかける。だが、彼は頭を抱えて固まったままだ。
「あ、あの、アデル?」
「――君には、敵わないな」
そう言って顔を上げたアデルは、呆れているような困り顔だ。ため息が聞こえてきそうな苦笑を浮かべている。
「ど、どういうこと? 私、やっぱり間違えちゃった……?」
「いや、違わない。君の言った通りだ」
アデルはそう言うと、テーブルの向こう側から手を伸ばし、私の頬に触れた。顔は火照っているはずなのに、アデルの手も熱を持っていて、あたたかい。
「……むしろ、君の考えの方が良い。そうしよう。それで構わない」
「え? それで構わないって、どういうこと?」
「いいや、何でもない。君の言ったとおり、俺は、君がいないと寂しいみたいだ」
「アデル……」
優しい眼差しの奥に、炎のような感情が渦を巻いている。そして、それはいつでもまっすぐに私へと注がれているのだ。
この数ヶ月で、私は彼の愛情がとても深く強いものであることを、認識していた。だから、私も、そろそろ彼に応えてあげなくてはと思う。
――いや、応えてあげなくては、ではない。応えたいのだ。私自身が。
「あのね、アデル」
私は、頬に触れているアデルの手に、自らの手を重ねた。私が自分から彼に触れるのは珍しいので、アデルは、小さく目を瞠った。
「私、アデルが好き。だいぶ前から、あなたに恋をしてたみたい」
「――――っ」
たくさん、考えた。考えすぎて、眠れぬ夜を過ごした日もある。
けれど、答えはとても単純明快だったのだ。
「アデルに見つめられると、私、ドキドキするの。あなたに触れられると嬉しくて、もっと触れてほしい、ずっとこのままでいたいって思うの。それに……アデルが、離れたくないって思ってくれたことが、私のことで一喜一憂しているのが、どうしようもなく嬉しくて」
――彼が私のことを考えるとき、私は彼の心を、独占している。そのことに喜びを感じてしまう、浅ましいこの気持ちが、恋ではなくて何だというのか。
最初は、彼が穏やかに幸せに暮らせたらいい、私の存在が邪魔にならなければいいと思っていた。それはやがて、私も彼の役に立ちたいという気持ちに変わった。
そして、いつからだろうか――私の幸せの中に常にアデルがいるように、アデルの幸せの中にも常に私の存在があってほしいと……そんな欲が芽生えはじめた。
気がつけば、昼も夜も、頭の中に浮かんでくるのは、アデルのことばかり。一緒にいない時でも、いつも彼の存在が、私の中にあった。
それは泉のように湧いてくる、独占欲にも近い、制御し難い強い感情。
少なくとも、友達や家族に抱く想いなどとは、全く異なるものだ。
「私、アデルが好き。いいえ、もう、どうしようもなく――愛してる」
私が告げたその言葉に、アデルの喉仏が上下に動いた。白皙のかんばせは薔薇色に色づき、瞳には喜びの灯がともる。
「……そう、か……ようやく」
アデルの声は、絞り出したように掠れていた。
「いっぱい待たせちゃって、ごめんね」
「ああ。だが、待った甲斐があった」
アデルは喜色を顔に浮かべて、椅子から立ち上がる。
彼は私のそばまで来ると、うやうやしく私の手を取った。そのままその場に跪く。
「レティ。俺は、君が考えているよりも、おそらく、ずっと重い男だ。君が俺を選ぶと言うなら、俺はもう、一生君を手離してやれなくなるだろう。それでも、俺の気持ちを受け入れてくれるか?」
「もちろん。好きな人にたくさん想ってもらえて、嫌な人なんていないよ」
「……ふ。言質はとったぞ」
アデルは、私の手の甲に愛おしそうに口づけを落とす。言葉のチョイスこそ微妙に不穏だけれど、その瞳には優しいいたわりの炎が揺らめいている。
物語の騎士のような仕草に、私は嬉しいと同時に恥ずかしくなって、頬が熱くなった。
アデルが手の甲から唇を離すと、熱の宿った紅の瞳が、私の青を射貫く。彼のかんばせには、ぞっとするほどの妖艶な微笑みが浮かんでいた。
「……つまり、これからは、思う存分君を甘やかしてもいいと。容赦はいらないと……そういうことだな?」
「えっと、その……っ」
身を起こしたアデルに手を引かれ、私は立ち上がる。
彼の秀麗なかんばせが、ゆっくりと近づいてくる。私は、アデルの問いかけに頷くと、黙って目を閉じた。
「――レティ、愛してる」
柔らかな感触が、唇にそっと優しく落ちる。
はじめてのキスは、とても甘くて――けれど、スパイシーなカレーの香りがした。
――――第五章 雷雨のランチタイム fin.
【参考資料】
「スパイス&ハーブ検索」、S&B、参照日2025/04/15
https://www.sbfoods.co.jp/sbsoken/jiten/search/