ぼたんのスキル【吸血鬼】には、特殊能力の一つとして、暗視能力がある。
夜の眷属たる吸血鬼には、暗闇はホームフィールド。視界を遮られるものではない、ということだ。
だから、焚き木の光を頼りに隣を見るタクよりも、より精彩に、現れたSSS級モンスター―――山王オオヤマノアラミタマの姿を知ることができた。
「……大猿」
それは、まるで、山一つもある猿の様だった。
かつて古い映画で見たような、ビルによじ登る巨大な猿。少なくとも、アレよりは大きい。巨大なビルがあったとして、その倍のサイズはある。
それだけ巨大ならば、とぼたんは思う。サイズ比を考えるなら、山王から見たぼたんたちは、それこそ蟻のようなもの。気付かずにスルーしてくれれば、そう願う。
だが、そうはならなかった。山王の目は、明らかにぼたんたちを―――特にタクを注視している。
「なぁ、ぼたん。あいつさ、明らかに俺たちを狙ってる、よな」
「うん……! モンスターは、人間の生気を求めるって、言われてるから。そして、高tierであるほど、生気の量は増えるって」
だから、タクが一番に狙われているのだろう。次点で、ぼたん。
サイズ比はとんでもないが、山王からは二人が、小さくとも濃密なごちそうに映っているに違いない。
山王が、拳を振り上げる。
「タクッ、来るよ!」
「おうッ!」
巨大な猿の拳が、ゆっくりとこちらに迫った。遠近感が狂うような攻撃。いつどのタイミングで良ければいいかも分からない。
そして、気付くのだ。
振り上げた瞬間から、全力で逃げるべきだったと。
「―――おいこれっ、手だけで家一つ分くらいあるぞ、あの化け物!」
タクが叫ぶ。同時に、ぼたんはタクを抱きしめて跳躍した。
それで数メートル。だが、回避しきるのにわずかに足りない。
ぼたんは多少死んでもいい。ぼたんには、高い不死性がある。だが、タクには? タクはマスタースキルの保持者だが、不死性はないはず。
なら、とぼたんは、タクだけでも生かすために、タクを突き飛ば―――
「ぼたん、要らねぇ心配すんな」
【開傘】
タクがビニール傘を開く。そこに山王の拳が当たる。ギィイインッ! と激しい音を立てて、タクはぼたんごと、山王の攻撃に弾かれ吹っ飛んだ。
それを、すぐにタクが着地する。地面を靴が激しく擦る。タクに疲労は見られない。注意深く、山王を睨みつけている。
ぼたんは、目を丸くしてタクを見た。
「……マスタースキルは、ここまで……」
無傷。ぼたん一人では、少なくとも一回は死んでいたような攻撃を、タクは無傷で済ませた。
桁が違う。teirが一つ違うだけでも、レベルとして桁が違うとは知っていたが。
―――これは、これほどの防御性能は、戦闘経験の豊富なぼたんでも、見たことがない。
「ぼたん、大丈夫か!」
「う、うん」
「一旦逃げるぞ! とりあえず、俺にあいつは倒せない! そのための
タクがぼたんの手を引いて、息せき切って走り出す。
ぼたんは、タクの動きに注視した。
タクの走り方は、素人そのものだ。肉体として逞しくなったわけではない。恐らくすぐに息切れする。
つまり、日用品を使っている時、そしてその効果が発動する領域においてのみ、タクはマスタースキル保持者としての実力を発揮する。
逆に言えば、それ以外のシーンにおいては、タクの実力は見た目通り、ということになる。
「……!」
限られた状況下においてのみ、全能に近い力を振るう。それがマスタースキル保持者の特徴だ。
だからビニール傘の防御だけでも、山王の攻撃を防ぎきる。一方で、傘がなければ、容易くタクは死んでいた。
手にした日用品がすべて最強の武器になる、極めて貧弱な青年。
タクの戦闘能力を表すのならば、そういった評価を下さざるを得ない。
「……私が、守らなきゃ」
「ぜぇっ、ぼ、ぼた、ん……っ!? な、なんか、言った、かぁ……!?」
「……ううん、何も言ってないよ、タク」
ぼたんは走る足を加速させ、タクを引っ張るようにして走り出す。
「タク、疲れたらいつでも言って。私が抱っこしてあげる」
「はぁっ、はぁっ、だ、だから、ぼたんにそんな、こと、させる、わけ」
「うん。そうだよね。タクにもプライドがあるから。でも、覚えておいて」
たった数十メートルの全力疾走で、汗だらだらの瀕死状態になりながらも、強がるタク。
それに愛おしさすら覚えながら、ぼたんは告げた。
「タクのお願いなら、私、全部叶えてあげるから。本当にまずい状態になったら、すぐに言って」
「ぜぇっ、わ、わかっ、ぉぇっ……!」
今すぐ問答無用で抱えた方がいいかな、と思いつつ、ひとまずぼたんは先導して走る。
後ろを見る。山王は、自分の一撃が防がれたことが不思議なのか、じっと自分の拳を見つめていた。
そこには、傷らしい傷はない。しかし、液体が滴っている。ぼたんは鼻を鳴らし匂いを確かめる。
血の、匂い。
タクの反撃は、山王に血を流させた。
「タク、さっき『火力がない』って言ってたよね」
「あ、げほっ、ああ! ゲホゲホゲホッ!」
「それは、どういうこと? タクの傘、山王にダメージ入れてるけど」
「ちょっ……ま、すこ、きゅうけ……」
「抱っこするね」
「うぐぇっ」
問答無用でタクをお姫様抱っこして、ぼたんはさらに加速して山道を駆け降りる。
タクはぼたんの腕の中で、両手で顔を覆っている。
「恥ずかしい……女の子にお姫様抱っこされるのは、流石に超はずい……」
「恥ずかしがるのは後。早く教えて」
「……あのデカブツの厄介の点は、二つだ。一つは、デカいこと。もう一つは、回復能力が高いこと」
ぼたんは思い浮かべる。血が滴ってはいたものの、すでに治癒していた山王の拳を。
「デカイことの何が厄介って、攻撃力以上に、こっちの攻撃が弱点に通らないことだ。しかもあの治癒能力。致命傷以外はすぐ治されちまう」
「何か策はない?」
「今のところ、自分から食われて内臓の中で滅茶苦茶暴れる案しか出てこない」
「一寸法師?」
「それそれ。でも現実的じゃないから、火力がないって判断した」
確かに、とぼたんは思う。顔によじ登って目を重点的に……と次善策を思い付きはするものの、そこに確実性があるか微妙なところになる。
「じゃあ、どうするのがいいと思う?」
「この場は逃げるしかない。倒す準備がない。あいつを殺すには、とんでもない大火力ありきで考えるべきだ。つまり」
タクが、真剣な顔で言う。
「
「……」
「ぼたん、無言でジト目になるのはやめろ」
「なってない」
「なってる」
タクの認識が壊れてる部分は、今はどうしようもないから一旦置いておこう。
そうぼたんは、あきらめと共に息を吐く。
「分かった。じゃあ、全力で逃げ―――」
「ぼたんッ! 来たぞ!」
背後から迫る圧迫感。見れば、一足で距離を縮めた山王の拳が、再びぼたんを捉えている。
【開傘】
タクの傘が開かれる。防御だけは間に合うが、それでも衝撃は殺しきれない。
「あっ」
「うぉっ?」
二人は大きく弾かれ、空中に打ち上げられる。
ぼたんはその衝撃に、思わずタクを手放してしまう。
血の気が引く。マズイ。これはダメだ。だってタクは、日用品がなければひどくか弱いただの青年でしかない。
「タクッ!」
ぼたんは必死で手を伸ばす。タクも慌ててこちらに手を伸ばす。
だが、山王はもう、手加減をしなかった。
「ヴゴォォォオオオオオオオオオ!」
咆哮。再び振るわれる、家ほどもある拳。
それはまっすぐにタクを狙って振るわれた。
「―――あ」
タクが拳を受ける。凄まじい速度で、さらなる高高度まで飛ばされる。
そんなの、そんなの、常人が耐えられる訳がない。
「あ、やだ、やめてっ、タクっ、タクッッッッッ!!!!」
ぼたんは絶叫を上げる。だが空を掻く手は届かない。拳の勢いをそのままに、タクはどんどんと空高く舞い上がっていく。
ぼたんの脳裏に、様々な最悪がよぎる。
「タク、タク、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう」
うまく着地できずに、タクはきっと落下死する。
死んだだけなら死体を回収して蘇生すればいい。だが、下手な相手に見つかってしまえば、その限りではない。
ぼたんは、数々の最悪の目の当たりにしてきた。
蘇生魔法を悪用した内臓ブローカー。洗脳され人生を破壊された哀れな人々。そもそも、蘇生されずにモンスターに食い荒らされるかもしれない。
そんな目に、タクを遭わせるわけには行かない。ぼたんを地獄の淵から救い出してくれたタクを、決してのそんな目に遭わせない。
「タクッッッッッ!!!!!!」
ぼたんは、空に向かって名を呼ぶ。
「絶対! 絶対あなたを見つけ出すから! 今度は私が、あなたを絶対に救いだして見せるから!!!」
ぼたんは、泣きながら叫ぶ。
だって、まだ、答えを貰えてない。『私と一緒に生きて欲しい』という、お願い。不器用なぼたんなりのプロポーズ。
タクの答えを聞くまでは、ぼたんは絶対に諦められない。そう、固く覚悟を決め――
直後、ぼたんを横殴りの衝撃が襲った。
山王の拳。家をそのままぶつけられたような威力。
ぼたんは潰され、死んだ。
そして吸血鬼の不死性により、復活する。
全身血まみれで立ち上がり、そして巨大な猿を―――山王を、睨みつける。
「……邪魔、しないで」
山王は、ニタニタと気味の悪い笑みでぼたんを見下ろしている。
獲物としか思っていない目だ。こちらを侮っている目だ。
だから、まずは、この山王とか言うデカいだけのモンスターを、分からせる必要がある。
「あなたは、大きい。……確かにこの場で殺すことは、出来ないかもしれない。でも、今のところ、それだけでしょう?」
ぼたんは、一歩前に踏み出す。タクがいないのならば、被害など恐れずに戦える。
「私は、小さい。けれど、数多くの人から恐れられ、常軌を逸した数のモンスターを殺してきた」
ぼたんは、手近にあった道路標識を抜く。
そしてやり投げの要領で投擲し、再び振るわれようとしていた山王の拳に当てた。
道路標識が、山王の拳を貫く。山王が、痛みに悲鳴を上げる。
「ギャォォォオオオオオオオオオ!?」
「山王、オオヤマノアラミタマ」
ぼたんはゆらりとその場に立つ。
「タクを探すのに邪魔だから、まずはあなたに、『怪物』の恐ろしさを教えてあげる」
そしてぼたんはゆらめき―――
その場から瞬時に消えた直後、再び山王が、悲鳴を上げた。
一方その頃、とんでもない距離をぶっ飛ばされたタクは――――
「どわぁぁああああああ! 死ぬっ! このままだと死、あ、いや待てよ?」
【開傘】
傘を開く。するとアニメやゲームみたいにふわふわと傘が風に乗り、そのまま緩やかに地面に着地した。
「うぉぉお~……あっぶねぇ~。っていうか、ヤバ。ぼたんあの場に取り残してるわ」
相変わらず無傷のまま、「遠いよ~チャリもないのに~」ものすごい渋い顔で、ぼたんを迎えに山に戻るのだった。