座古宮エンジェ―――本名佐藤エンジェライトの人生は、端的に言って詰んでいた。
『エンジェ、あんたバイトでこの程度しか稼げないなら、体売りな』
そう言い放ったカスの毒親から逃げ出したのが半年前のこと。
それから数日ほどネカフェで過ごしたエンジェは、こんな生活は長く続けられないと悟った。
『ネカフェ、高すぎ……。でも未成年で賃貸契約とか難しいし。児相に相談するのも賭けだし……』
手元にあったのは、なけなしの十万円にスマホ。あとは友達と戯れで入れた『スキルステータス』のtier7スキル。
「スキル名:挑発
スキルレベル:1
スキル解説:挑発が上手くなります」
カススキル。だが、何もないよりはマシ。
そう考えたエンジェは、自分にできることは何だろうと考えた。
まず、エンジェは容姿がいい。顔がいいし体もメリハリがきいている。
真っ先に思いつくのは、親の言うようなことだが―――体を売るのはありえない。
こう見えてエンジェは乙女な性質だ。白馬の王子様とか結構憧れちゃうタイプである。
だが、容姿を活かすのは悪くない。見た目が役に立つ職で、手っ取り早く取り掛かれるものとは……。
『人の目に触れること……配信とか?』
エンジェはワクワクするようなことが好きだ。最近だとダンジョン配信。アレはワクワクして好きだった。
好きなこととは、需要が分かること。
ダンジョン配信には詳しいつもりだったし、流行りも押さえていた。
エンジェはもちろん戦えないが、隔離地域などの危険地帯でリポートなどは出来る。そういうのにも一定の需要がある。
そして、スキル。友達を少しからかったりするのが好きな、エンジェが授かった「挑発」スキル。
複合的に考えた結果、エンジェはこんな結論に至った。
『メスガキ系ダンジョン配信者……これで行ってみようかしら』
佐藤エンジェライト改め、座古宮エンジェ誕生の瞬間である。
エンジェはまず、手持ちの十万円を最新式の配信ドローンに変えた。多機能だし頑丈だしちょこっと戦闘もできる優れものだ。
友達にも相談して、転々と泊めてもらいながら配信の準備を進めた。
みんな、その時はエンジェに好意的だった。容姿もスキルも配信向きだと、エンジェも自信満々だった。
さりとて、ことは上手くは運ばない。
挑発スキルを交えての初配信では大炎上。ビビって引退を考えるも、友達にも挑発が炸裂し、全員からブロックされてしまった。
当然家になど帰れない。しかしこのままだと路頭に迷う。
追い詰められたエンジェは、すわ背水の陣だとばかり、隔離地域に侵入し本格的にダンジョン配信者として活動を始めた。
結果はご覧の有り様だ。
伸びたのはチャンネル登録者という名のアンチの数と、挑発スキルとかいう、敵を増やすだけのゴミスキルのレベルだけ。
お蔭で、挑発以外に悪いことをしたこともないのに、視聴者に追い回された回数は数知れず、スキルレベルが上がる度にその割合も増えていった。
それでも、もうエンジェには行き場はない。
メスガキキャラを演じ、アンチが回した再生回数で飯を食い、泥臭く隔離地域を逃げ回る。
エンジェにはそれしか、もう手はないのだから――――
「でもこれは無理ぃ~~~!」
びぇぇぇえええ! と泣く。「誰か助けて~!」と声を張り上げる。
廃屋の屋根の上。真下には二十匹のゴブリンたち。
ゴブリンの数、倍なんですけど。最初追い回された数から、倍になってるんですけど。
「『あと少しだ! ゴブリンさん! イケイケ!』『ついに! ついに座古宮の最後が見れる!』『今日は祭りだぁ~~~!』」
ドローンが読み上げるコメント欄は、この状況に大歓喜だ。
アンチたちは、直接エンジェに攻撃して、ヘイトを消化する手段がない。だからこういうエンジェのピンチで、驚くほど盛り上がる。
それで配信が回るなら―――と今までは甘受していたが、今回のピンチは洒落にならない。
「う、うぅぅううう……!」
エンジェは下に目をやる。
咄嗟に屋根に上るために使った梯子。それを茂みに隠れるように蹴倒した。
だからゴブリンは、今はまだ下で騒ぐにとどまっている。しかしいずれ梯子を見つけるだろう。
そうすれば終わりだ。ゴブリン一匹でも、エンジェには十分な脅威である。それが二十匹。絶望以外の何だというのか。
「終わりよもぉ~~~! こんなへき地で助けなんか来ないわよぉ~! ゴブリンはしつこいし諦めないし~!」
ゴブリンは血走った目でエンジェを見つめている。
意識的な挑発はしていないが、エンジェが視界に入るだけで多少の挑発効果が効くから、それだろう。
「あーあ……あたし、どこで間違ったのかしら……。大人しく体売っとけばよかった……? ゴブリンにめちゃくちゃにされるよりマシよね多分……あはは……」
泣き笑いしながら、エンジェは頭を抱える。
「白馬の王子様なんて現れないって、幸せになんかなれないって、端から諦めてたら、もっとマシな人生だったのかな……」
エンジェは生まれも育ちも良くないが、地頭は悪くない。だから、現状を打破する最後のピースは、すでに分かっていた。
エンジェの、育ちすぎた挑発スキルの、効かない人。
例えば、エンジェの配信を見てなお「ファンです」なんて言ってくれる人がいれば、きっとそこから、人生は上向きになる。
分析というか、戦略というか。挑発スキルが効かない人がいれば、そこから全部、エンジェの人生をひっくり返すルートは見えているのだ。
しかしその登場は、確率上ありえない。
まずエンジェよりも遥かに上位スキルでなければならない。その時点で厳しい。
しかも他にも条件がある。
それは、エンジェに好意を抱いていること。
挑発抜きでも、配信で煽るようなことばかり言っているエンジェに、だ。
つまり皆無だ。そんな人は現れない。
そんなことを考えていたその時、声が聞こえた。
「大丈夫ですか~?」
エンジェはバッと顔を上げた。
「っ!? ひっ、人!? こっちです助けてくだ―――」
エンジェは助けを求めながら、その声の主の姿を確認する。
遠く。そこに立っていたのは、かなりやせ型の青年だった。
手にはバールとビニール傘。およそ戦える装備ではない。
ならば、巻き込んではならない。
「―――だっ、ダメよ近づいちゃ! ゴブリンめっちゃいて危険だからこっち来ないで!」
エンジェが急遽発言を翻すと、その青年は言う。
「あれっ? でも助けてって」
「言ってるけど! でもあなた一人でしょ! いくらゴブリンとはいえ、この数は」
「ギィィイイイ!」
しかし本人は暢気に構えているから、ゴブリンが襲い掛かってしまう。
エンジェは息を飲んで、全力で叫んだ。
「逃げてッ! 今すぐ逃げてぇっ!」
直後。
青年に襲い掛かったゴブリンは、血まみれで投げ捨てられるように地を転がった。
「……え……?」
エンジェは、目を丸くする。何なら見間違えを疑って、ゴシゴシと擦る。
「良かった。やっぱちゃんとした強いゴブリンはいなさそうだな」
いや居るでしょ、と思いながら、エンジェは言葉を挟むことができなかった。
何故なら、青年の動きが、あまりに洗練されていて、圧倒的だったから。
「ギィイイ!」
「ほい」
【合わせ】【開傘】
「ギャァァィイイイイ!」
「よっ」
【合わせ】【包丁致命】
ゴブリンが襲い掛かり、軽い調子で青年がゴブリンを一蹴する。
その度に、ゴブリンは血をまき散らしながら、地面を転がった。
振るっているのは、武器とは思えないバールとビニール傘……あと、よく見たら包丁も使っている?
ともかく、ちゃんとした武器ではない。絶対にない。
モンスターの普通の攻撃に耐えるために、五十万円という大金をはたいて盾を買ったエンジェが言うのだから、間違いない。
「え、え?」
「『いやつっよ』『いきなり現れて何だこいつと思ったら、めちゃくちゃ強いやん!』『武器バールだよな、あれ?』『何で倒せんの?』」
エンジェは困惑に声を漏らし、普段はエンジェへの憎しみで染まったコメント欄も、冷静になっている。
「ぎっ、ギィイイ!?」「ギャギャッ!」「ギィイイイッ」
そして半分にまで減ったゴブリンたちは、恐れをなして逃げていった。
青年は、近くまで寄ってきてくれて、声をかけてくる。
「多分もういないと思います~。大丈夫でした~?」
「あっ、は、はい! あっ、ああああ、ありがとうっ、ありがとうございますぅ~!」
号泣しながら、エンジェが屋根から顔を覗かせた。
何はともあれ、窮地を救ってもらったことに感謝しかない。
エンジェは近くに隠した梯子のことを教えて、屋根に立てかけてもらう。そして降りて、再度深々と腰を追った。
「あっ、ありっ、ほん、本当にありがとうございました~! ま、マジで、マジでヤバくてっ! あの、い、命の恩人ですっ」
「いやいや、このくらいは普通ですよ」
穏やかに青年は謙遜する。それを見て、素敵な人だな、と思う。
ここ最近悪意にさらされ続けて、人並みの対応をされただけで、ものすごく好感度が上がってしまうエンジェだ。
しかも命の恩人。何かお礼とかできないかな、と思う。
「『つーか、こんな危険な地域に人いたんか』『よく助けに来られたなお兄さん』」
コメント欄の言葉に、エンジェはハッとした。
「そうよ! この辺全然人気なかったわよ!? え、どこにいたの!? どうして助けてくれたの?」
「あ、えっと……」
青年は戸惑いつつも、スマホ画面をエンジェに見せた。
そこには、エンジェの配信画面が映されている。
「……えっ?」
「その、近所に住んでるんですけど、配信見てたらピンチになってたんで、様子を見に来たっていうか……」
「え……?」
エンジェは、息がとまるような衝撃と共に、青年の顔を見つめた。
青年は、言葉をつづける。まるで、照れくさそうに、はにかんで。
「その、ファンなんです。応援してます」
―――エンジェが求める、人生を大逆転させる最後のピース。エンジェの配信を見てなお、挑発スキルを無効化して、「ファンです」と名乗る人。
確率上、天文学的な可能性の低さになるはずの存在。
エンジェにとっての白馬の王子様。
それが、突如として目の前に現れて―――
「ふぇ……?」
エンジェは、まるでリンゴみたいに顔を赤くし、硬直した。